纒向石塚古墳
纒向小学校の東に位置する全長96mの纒向型前方後円墳である。1996年の桜井市教育委の調査などから、纒向古墳群の中で最も古い古墳と考えられている。纒向小学校の周りには、この古墳以外にも、勝山」、矢塚、東田大塚など100m前後の古墳が築造されており、この辺り一帯は纒向遺跡の墓地だった可能性がある。纒向遺跡が邪馬台国と仮定した場合、これらの古墳の被葬者として、魏志倭人伝に登場する大夫「難升米」など、卑弥呼を支えた邪馬台国勢力の有力者の名があがっている。
【桜井市教育委員会・歴史街道、現地説明板】
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勝山古墳
纒向小学校の北に位置する全長110mの纒向型前方後円墳である。古墳祭祀に使われたと見られる木製品が出土している。年輪年代法で木の伐採年を分析したこころ、「紀元199プラス12年以内」という結果が出た。この結果を踏まえて、古墳の築造時期は3世紀前半と推定されている。
【桜井市教育委員会・歴史街道、現地説明板】 |
矢塚古墳
纒向小学校の西に位置する全長96mの纒向型前方後円墳である。埋葬施設は墳丘中心部の調査がされておらず不明である。築造時期については,周濠部から出土した土器より纒向V式期が考えられ、石塚古墳よりもその築造は新しいと思われる。
【桜井市教育委員会・歴史街道、現地説明板】 |
東田大塚古墳
纒向小学校の南約300mに位置する全長60mの纒向型前方後円墳である。周囲が水田地帯となっていて、周濠の痕跡は認められないが、石塚、矢塚古墳の状態から推測して周濠はあったと想われる。墳頂部は平坦となっていて、現在は畑地になっているが、それ以前には段があったと忠われる。以前にこの古墳から石製の椅子が出土したとの伝えがあるが、埋葬施設や副葬品については不明である。
【桜井市教育委員会・歴史街道、現地説明板】 |
箸墓古墳
箸墓古墳は、纒向古墳群の中で盟主的存在であり、三輪山の麓に悠然と君臨している。全長約272m、後円部径157m、高さ22m、前方部幅125m、高さ13m、北に遺存する溜池(後世の拡張)に映す姿は、いつ見てもあきない。『日本書紀』には、有名な大物主神とその妻・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の物語が記されている。倭迹迹日百襲姫命死んだので大市に葬り、この墓を箸墓(はしのみはか)と呼んだ。ところが、この墓は昼は人間が築き、夜は神が造った、しかもこの墓を築造するのに多くの人が大坂山から箸墓まで相並んで手送り式にして石を運んだという。箸墓古墳を参照のこと。
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ホケノ山古墳
纒向扇状地の南端にあたる小台地上に築かれた帆立貝式の前方後円墳である。全長約80m。前方部を南西に向け、箸墓古墳の東側200mのところに位置している。墳丘に周濠を巡らし、ほぼ全面に葺石が敷かれていた。2000年の調査で、墓穴の中に石を積み上げた「石囲い」と木槨を併せ持つ、国内に例のない埋葬設備が見つかった。木棺の破片を放射性炭素(C14)年代測定法で分析した結果、築造年代は3世紀前半とされている。詳細はホケノ山古墳を参照のこと。木槨を備えた構造が魏志倭人伝の「棺あれど槨なし」との記述と合わず、邪馬台国畿内説に不利な材料とも解釈されている。 |