渋谷向山古墳(景行陵)(しぶたにむかいやま古墳(けいこうりょう))


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■竜王山から延びる尾根を利用して築かれた柳本古墳群の中で、最大の規模を誇る前方後円墳である。

■墳長300m、後円部径160m、前方部幅170m。

■江戸時代の終わり頃まで、この陵は崇神天皇陵に治定されていたが、慶応元年に治定が変更され、現在は景行天皇陵とされている。

所在地: 天理市渋谷町向山
アクセス:
穴師兵主神社から1.5km、徒歩25分
国道169号線脇に位置する渋谷向山古墳の正面

穴師兵主神社から穴師の集落の西端に建っている「山の辺の道」の標識まで下り、道を東にとる。集落の途中で右折の矢印が出ているので、矢印に従って棚田の間の道を進む。前方左手に樹木に覆われた丘陵が景行天皇陵と伝えられる渋谷向山古墳である。

柳本古墳群の中で最大の前方後円墳

 天理市布留の石上神宮から桜井市三輪の大神神社までの南北約10kmの途中に、標高586mの竜王山および標高567mの纒向山から延び出る尾根がいくつか張り出している。それらの尾根が盆地の平坦部にとどくあたりに多くの古墳が築かれている。これらの古墳は、便宜上北から順に大和(おおやまと)古墳群、柳本(やなぎもと)古墳群、纒向(まきむく)古墳群と呼ばれている。

 そのうち、柳本古墳群は大型の行燈山(あんどんやま)古墳、渋谷向山古墳を中心に13基の前方後円墳と1基の双方中円墳から構成されるが、いずれも古墳時代前期の築造と見られている。墳長約300mの渋谷向山古墳はその中で最大規模を誇り、全国の古墳の中でも、第7位にランクされる大きさである。

 この渋谷向山古墳は第12代景行天皇を埋葬したとされる天皇陵である。以前は景行天皇陵の名で一般に知られていた。だが古代の天皇陵は、そのほとんどが記紀の伝承に基づいて治定されている。このため実際にその名の通りの被葬者が埋葬されているかどうかは分からない。誤解を避けるために、最近では陵墓の所在地が陵名として用いるられている。まして、この陵は江戸時代の終わりごろまでは第10代崇神天皇の陵とされてきた。それを慶応元年に治定変更したいきさつがある。変更の理由は不明であるが、『日本書紀』に示された陵の名称に起因するのかもしれない。

 『日本書紀』では、崇神天皇陵も景行天皇陵も「山辺道上陵」と全く同じ名称を用いている。この史書の編纂のころには、被葬者が分からなくなっていたことを暴露しているようなものだ。このようなずさんな史料を基にした治定など信用できない。被葬者が確定するまで、天皇名で陵を呼ぶのは差し控えるべきであろう。ちなみに『古事記』では、前者を「山辺道勾之崗陵」、後者を「山辺道上陵」と記し一応区別している。

 だが、これだけの規模の墓を造営できたのは、大和朝廷の大王クラスの人間であったことに変わりはない。墳墓は竜王山から西に伸びる尾根を利用し、前方部を西に向けて墳丘を築かれている。後円部は正円形で三段に築成されており、頂上部は平坦で円形である。前方部は直線的にのびて開いている。東西300mを超す周濠の水面はかなり落差がある。そのため水を片寄らせないように渡り土堤によっていくつも区切られている。


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