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トピックス: ■大和古墳群の中の中山支群の盟主的存在の前方後円墳。全長220mで衾田の陵と呼ばれている。 ■出土土器の中に特殊器台などがあったことから、箸墓山古墳に準ずるごく初期の大型前方後円墳と判定されている。 ■明治9年、継体天皇の皇后・手白香皇女陵に治定されたが、考古学的知見とは時代が合わない。 |
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| 所在地: 天理市中山町西殿塚 | |
| アクセス: 中山大塚古墳から0.5km、徒歩10分 JR/近鉄の天理駅から桜井行きバスで中山下車、東へ約600m | |
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中山大塚古墳から西殿塚古墳に向かうには、途中で念仏寺の墓地の中を長々と通り抜けなければならない。念仏寺は中山大塚古墳からおよそ100m北へ行ったところにある。「山の辺の道」は念仏寺の山門前を通って、墓地へと続いている。 西殿塚古墳は、一般には「衾田陵(ふすまだりょう)」の名で呼ばれている。墓地を通り抜けて次の集落に入ると、集落の中ほどに衾田陵方面の標識が立っているが、うっかりすると見過ごしてしまう。道の左側に「五社神社」という小さな祠があるので、その祠の前の道を山の手方向へ上っていけばよい。 しかし、古墳の正面にアクセスするには、集落のはずれまで坂道を登り、その後は陵墓を左手に見ながら果樹園の中を抜けていかなければない。宮内庁管轄の陵墓なのに、古墳の前に出られる整備された公道はない。 |
西殿塚古墳は、竜王山西麓の幅広い尾根の上に南北方向を主軸にして築かれた前方後円墳で、前方部を南に向けている。前方部の先端は箸墓古墳ほどではないが、三味線のバチ状に開いている。墳丘の全長は219m、後円部の径135m、前方部の幅118mと、大和古墳群の中では最大の規模をもち、この地域では渋谷向山古墳(伝景行陵)、行燈山古墳(伝崇神陵)に次いで大きい。 1992〜1994年にかけて天理市教育委員会が発掘調査を行なった。調査では、東側のくびれ部から前方部に向かって徐々に深くなる周濠状設備の存在が確認されたが、後円部や前方部前面へはつながっていないようである。段築は認められるが、前方部の段築がくびれ部付近で解消してしまい、後円部にはつながっていない。後円部墳頂は広大な正円形の広場になっており、その中央に正方形の壇が設けられていた。方形壇は前方部頂上にも設けられていて、墳丘頂上で古墳祭祀が行われたことを物語っている。 発掘調査では、古墳の周囲から葺石が見つかり、大型の円筒埴輪が大量に出土した。一方、1988年の宮内庁の報告によれば、特殊器台や特殊壺が発掘調査以前に出土していることが明らかになっている。これらの特殊器台や特殊壺は埴輪の起源となるものである。したがって、この古墳は埴輪出現以前に築造されたもので、その築造時期は円筒埴輪だけを出土する渋谷向山古墳、行燈山古墳より古いとされている。箸墓古墳に近い4世紀前半に遡るとの意見が多い。 |