大谷古墳 ”丹後の卑弥呼”と比喩された丹後女王の墓
研修旅行二日目は朝から雨になった。午前8時に宮津ロイヤルホテルを出発したバスが最初に向かった先は、京丹後市大宮町周枳(すき)。この地区には、竹野川上流の平野部を見下ろす丘陵の先端に営まれた大谷古墳がある。
昭和61年(1986)に大宮町を見下ろす小高い丘に工業団地が建設されることになり、事前発掘調査が実施された。そして、長さ約1.8m、幅30cm程度ときわめて窮屈な箱形石棺が見つかった。石棺は密閉されていたので、被葬者の骨がよく残っていた。京都大学で鑑定したところ、40代の熟年女性の人骨であることが判明した。 この被葬者は、鏡・玉・剣といった支配権の象徴としてのいわゆる三種の神器を一揃い保持していた。そのため畿内的要素の強い在地の首長墓ではなかったかと想定されている。畿内的な要素は、こののち丹後政権の首長墓とされる蛭子山・神明山・網野銚子山古墳と引き継がれていく。 埋葬されていた人物が熟年の女性であることが判明してから、この女性は、丹後の卑弥呼と比喩されて話題になった。その発掘現場は調査の後に削平されてしまったが、帆立貝式の前方後円墳は、現在、隣接地に古墳公園として復元整備されている。墳丘上に石棺が置かれ、道路脇に「女王の丘」と書かれた碑が立っている。 |