鶴林寺(かくりんじ) 播磨の法隆寺として多くの重要文化財がある寺

鶴林寺
鶴林寺

【所在】兵庫県加古川市加古川町北在家424
【宗派】天台宗
【山号】刀田山
【本尊】薬師三尊像
【開基】聖徳太子
【アクセス】JR山陽本線「加古川」駅よりバス10分、または徒歩25分。山陽電鉄「尾上の松」駅から徒歩20分


 JR山陽本線の「加古川」駅から南西方向へ徒歩でおよそ20分、国道250号線(明姫幹線)の近くの公園の中に鶴林寺がある。「刀田の太子さん」と呼ばれて庶民から親しまれ、また多数の優れた文化財を藏していることから「播磨の法隆寺」と称されている名刹である。


■高句麗の還俗僧が身を隠していた所
   百済からの仏教公伝の時期について、古来二つの説がある。538年伝来説と552年伝来説である。そのときからほぼ45年(またはほぼ30年)が経過したにもかかわらず、580年代の初めはまだ仏教が流布する兆しが見られなかった。物部氏や中臣氏を中心とする仏教反対派の勢力が、崇仏派の蘇我氏を圧倒していたためである。加えて、天皇家も仏教の導入には消極的だった。したがって、一部の渡来系氏族の家族が個人的に、しかも隠れるように仏像を祀っているにすぎなかった。

 仏教崇拝者にとって冬の時代といえるこの時期、高句麗から恵便(えべん)と名のる僧侶がやってきた。もちろん、本人の意思で来朝した訳ではない。平原王の意図を実現するための使命を帯びていたと思われる。おそらく、崇仏派の大物である蘇我馬子に接近して、高句麗との外交のパイプをもっと太くすることがその使命であったと思われる。だが、廃仏派の仏教徒に対する迫害は厳しかった。その迫害を逃れるため、恵便はやむを得ず還俗して、播磨のこのあたりに身を隠した。そのとき、彼は法明という尼僧を伴っていたが、彼女も一緒に還俗したものと思われる。


■蘇我馬子に見いだされて仏法の師となった恵便
本堂
本堂(国宝)
    『日本書紀』によると、584年(敏達13)9月、鹿深臣(かふかのおみ)が百済から弥勒菩薩の石像一体をもたらし、また佐伯連も仏像一体を持ち帰った。蘇我馬子はこの2体の仏像を請い受けると、それを祀る僧を求めさせた。探索を命じられたのは鞍作村主(くらつくりのすぐり)の司馬達等(しめのたっと)と池辺直氷田(いけべのあたいひた)の二人である。二人はしかるべき渡来僧を求めてほうぼうを探したが、やっと播磨の国で還俗僧の恵便を見つけ明日香につれてきた。馬子は恵便を仏法の師としたという。恵便は司馬達等の娘で当時11才だった嶋(しま)を得度した。出家した嶋は善信尼(ぜんしんのあま)と呼ばれた。さらに、善信尼の弟子として漢人夜菩(あやひとやぼ)の娘・豊女(とよめ)と錦織壺(にしごりのつぼ)の娘・石女(いしめ)の得度した。二人はそれぞれ禅蔵尼と恵善尼と称した。


■鶴林寺の歴史
太子堂
太子堂(国宝)
 寺伝では、聖徳太子が恵便を慕い、その教えをうけるため、この地に来られたという。その後、秦河勝(はたのかわかつ)に命じて三間四面の精舎を建立し、「刀田山四天王寺聖霊院」と名付けられた。これが鶴林寺のはじまりであるとしている。

 718年(養老2)、武蔵の国の太守・大目身人部春則(おおめみほとべのはるのり)が聖徳太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立した。9世紀の初めには、慈覚大師・円仁が入唐の際に立ち寄り、薬師如来を刻して国家の安泰を祈願したという。1112年(天永3)には、鳥羽天皇から勅額をいただき、寺号を「刀田山鶴林寺」に改めた。

 鎌倉時代とその後に続く室町時代には、太子信仰の高まりとともに鶴林寺は全盛時代をむかえた。当時の寺坊の数は30余、寺領は25.000石、楽人数十名が常に舞楽を奏していたといれれた。しかし戦国時代にいたって、信長、秀吉らの弾圧、さらには江戸幕府の厳しい宗教政策のため、衰徴の一途をたどらざるを得なかったという。


■現在の鶴林寺は「播磨の法隆寺」
 現在の鶴林寺は堂塔16棟、そのうち国宝・重要文化財が7棟もある。絵画、工芸美術の品にいたっては、国宝や重要文化財が50余点、寺宝が200余点を数える。「播磨の法隆寺」と呼ばれるゆえんである。境内は15、000坪にも及ぶ。

 国宝の本堂は1397年に建立されたもので、和洋・禅宗様・大仏様の折衷様式の傑作として知られている。本尊の薬師如来は平安中期の作品である。その他に、日光菩薩、月光菩薩、持国天、多聞天(いずれも重要文化財)をこの本堂で祀っている。これら5体の仏像はいずれも秘仏で、宮殿と呼ばれる大きな厨子に納められていて、60年に1回しか開帳されない。

金銅聖観音像
金銅聖観音像(重要文化財)
 国宝の太子堂は1112年に建立されたもので、兵庫県下で最古の木造建築物であり、現存する最古の法華三昧堂である。鎌倉時代に礼堂(外陣)が増築された。檜皮葺の屋根や扉、縁などに増築の名残が確認できるという。堂内のいたる所に仏画が描かれているが煤けて肉眼では見えなくなっている。昭和51年赤外線を使って調査したところ、須弥壇後壁に九品来迎図と涅槃図が描かれているのが確認された。いずれも重要文化財に指定されている。

 宝物館には、多くの重要文化財が展示されているが、その中では聖観音立像がいい。白鳳時代に造像された、青銅に金箔を押した金銅仏で、像高は83cm、右に腰をひねり左足をあそばせ、すらりと立っている。その昔、盗人がこの仏像を盗み出し、溶かして一儲けをたくらんだが、「アイタタ」という観音の声に驚いて、像を返し改心したという伝説が残っている。白鳳の傑作として海外でもその美しさが認められている。


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