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【所在】兵庫県加古川市加古川町北在家424 |
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JR山陽本線の「加古川」駅から南西方向へ徒歩でおよそ20分、国道250号線(明姫幹線)の近くの公園の中に鶴林寺がある。「刀田の太子さん」と呼ばれて庶民から親しまれ、また多数の優れた文化財を藏していることから「播磨の法隆寺」と称されている名刹である。
■高句麗の還俗僧が身を隠していた所 仏教崇拝者にとって冬の時代といえるこの時期、高句麗から恵便(えべん)と名のる僧侶がやってきた。もちろん、本人の意思で来朝した訳ではない。平原王の意図を実現するための使命を帯びていたと思われる。おそらく、崇仏派の大物である蘇我馬子に接近して、高句麗との外交のパイプをもっと太くすることがその使命であったと思われる。だが、廃仏派の仏教徒に対する迫害は厳しかった。その迫害を逃れるため、恵便はやむを得ず還俗して、播磨のこのあたりに身を隠した。そのとき、彼は法明という尼僧を伴っていたが、彼女も一緒に還俗したものと思われる。
■蘇我馬子に見いだされて仏法の師となった恵便
■鶴林寺の歴史
718年(養老2)、武蔵の国の太守・大目身人部春則(おおめみほとべのはるのり)が聖徳太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立した。9世紀の初めには、慈覚大師・円仁が入唐の際に立ち寄り、薬師如来を刻して国家の安泰を祈願したという。1112年(天永3)には、鳥羽天皇から勅額をいただき、寺号を「刀田山鶴林寺」に改めた。 鎌倉時代とその後に続く室町時代には、太子信仰の高まりとともに鶴林寺は全盛時代をむかえた。当時の寺坊の数は30余、寺領は25.000石、楽人数十名が常に舞楽を奏していたといれれた。しかし戦国時代にいたって、信長、秀吉らの弾圧、さらには江戸幕府の厳しい宗教政策のため、衰徴の一途をたどらざるを得なかったという。
■現在の鶴林寺は「播磨の法隆寺」 国宝の本堂は1397年に建立されたもので、和洋・禅宗様・大仏様の折衷様式の傑作として知られている。本尊の薬師如来は平安中期の作品である。その他に、日光菩薩、月光菩薩、持国天、多聞天(いずれも重要文化財)をこの本堂で祀っている。これら5体の仏像はいずれも秘仏で、宮殿と呼ばれる大きな厨子に納められていて、60年に1回しか開帳されない。
宝物館には、多くの重要文化財が展示されているが、その中では聖観音立像がいい。白鳳時代に造像された、青銅に金箔を押した金銅仏で、像高は83cm、右に腰をひねり左足をあそばせ、すらりと立っている。その昔、盗人がこの仏像を盗み出し、溶かして一儲けをたくらんだが、「アイタタ」という観音の声に驚いて、像を返し改心したという伝説が残っている。白鳳の傑作として海外でもその美しさが認められている。
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