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【所在】大阪府南河内郡太子町太子2146 |
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バス停「太子前」でバスを降りると、直ぐ北側に参詣者のための駐車場がある。駐車場脇にある石段の上に南大門が建っており、門をくぐると、そこが聖徳太子(聖徳太子)の墓を守り霊を鎮めるために建てられた叡福寺の境内である。
■「上の太子」の名で親しまれている太子巡礼寺
平安時代の末期、平重盛(1138-79)によって堂塔の大修補が行なわれ、寺院の面目を一新したとされる。しかし、天正2年の織田信長の焼き討ちにより、伽藍は全焼してしまった。江戸時代になって、豊臣秀頼(1593-1615)が聖霊殿を再建したのを契機に、伽藍の再興が始まった。江戸時代中期までには金堂・多宝塔などが再建されて、ほぼ現在の寺の規模になったという。 南大門をくぐると、正面に御廟が見える。南大門と御廟を結ぶ中心線の西側に、手前から多宝塔、金堂、精霊院が並ぶ。中心線の東側には客殿と念仏堂が建っている。創建以来多くの貴顕の尊崇を集め、八尾の勝軍寺が「下ノ太子」、 羽曳野市の野中寺(やちゅうじ)が「中ノ太子」と呼ばれるのに対して、「上ノ太子」として親しまれている。
■「三骨一廟」と呼ばれる「叡福寺北古墳」
御廟は叡福寺境内の北側にあり、磯長山の丘陵を利用した円墳である。考古学では「叡福寺北古墳」と呼んでいる。墳丘の高さは7.2m、直径は54.3m、内部は横穴式石室であるという。 |