磐余池辺雙槻宮の跡地?
桜井市谷に鎮座する式内石寸山口神社は、『大和志』に双槻(なみつき)神社と呼ばれていたこともあり、用明天皇の磐余池辺雙槻宮(いわれいけべのなみつきのみや)の跡地であるとする説がある。現在、社殿は桜井市街地のすぐ南の阿倍山丘陵(126.5m)の北の端に位置し、社殿の前には菰池(こもいけ)と呼ばれる小さなため池がある。元の社地は現在よりやや南にあったとされる。南は菰池を挟んで阿倍山丘陵の端が迫っている。最近その場所から双築(なみつき)古墳が発掘された。古墳の名称は雙槻宮に由来するという。双築古墳からは桜井市の市街地を見下ろすことができ、宮を営むには適した場所かも知れない。菰池を磐余池とするには小さすぎるため、現在の市街地あたりに磐余池で広がっていたことになるが、実際はどうだったのであろうか。
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| 神社の前の菰池 |
『日本書紀』の履中天皇2年11月条に「磐余池を作る」とある。履中天皇の宮は磐余稚桜(いわれわかざくら)宮も、磐余池の付近にあったとされる。磐余稚桜宮の跡地は若桜神社に比定されている。しかし、桜井市には、谷に若桜神社、池之内にも稚桜神社があり、どちらが本来の式内社か判断がつかない。通説では、池之内の稚桜神社が磐余稚桜宮跡に比定されているが、谷の若桜神社を比定すべきだとする説もある。そうであれば、山口神社あたりに雙槻宮があったと想定するのも不可能ではない。また、聖徳太子の居所が宮の南にあったとする『日本書紀』の記載にもあう。
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