式内石寸山口神社(いわれやまぐちじんじゃ) 用明天皇の磐余池辺雙槻宮の比定候補地の一つ

石寸山口神社
石寸山口神社

【所在】奈良県桜井市谷502
【祭神】大山祇神
【アクセス】近鉄大阪線桜井駅から南へ徒歩15分 薦池の北


磐余池辺雙槻宮の跡地?

 桜井市谷に鎮座する式内石寸山口神社は、『大和志』に双槻(なみつき)神社と呼ばれていたこともあり、用明天皇の磐余池辺雙槻宮(いわれいけべのなみつきのみや)の跡地であるとする説がある。現在、社殿は桜井市街地のすぐ南の阿倍山丘陵(126.5m)の北の端に位置し、社殿の前には菰池(こもいけ)と呼ばれる小さなため池がある。元の社地は現在よりやや南にあったとされる。南は菰池を挟んで阿倍山丘陵の端が迫っている。最近その場所から双築(なみつき)古墳が発掘された。古墳の名称は雙槻宮に由来するという。双築古墳からは桜井市の市街地を見下ろすことができ、宮を営むには適した場所かも知れない。菰池を磐余池とするには小さすぎるため、現在の市街地あたりに磐余池で広がっていたことになるが、実際はどうだったのであろうか。

神社の前の菰池
神社の前の菰池
 『日本書紀』の履中天皇2年11月条に「磐余池を作る」とある。履中天皇の宮は磐余稚桜(いわれわかざくら)宮も、磐余池の付近にあったとされる。磐余稚桜宮の跡地は若桜神社に比定されている。しかし、桜井市には、谷に若桜神社、池之内にも稚桜神社があり、どちらが本来の式内社か判断がつかない。通説では、池之内の稚桜神社が磐余稚桜宮跡に比定されているが、谷の若桜神社を比定すべきだとする説もある。そうであれば、山口神社あたりに雙槻宮があったと想定するのも不可能ではない。また、聖徳太子の居所が宮の南にあったとする『日本書紀』の記載にもあう。

祭神は大山祇神(おおやまづみのかみ)

神社の鳥居脇に大理石の案内板が建っている。そこには、以下のような文章が刻まれている。
"大山祇神はイザナミ尊の生み給うた山の神にて磐余の大地を守護せらる山の神水の神として御祭祀になり、上古より朝野の崇敬厚く中にも当社は大和の六山口神社の一社に数えられ、延喜式内の大社に列せられた。近世以来、桜井木材業界繁栄の守護神としてその崇敬を高めている。
桜井木材協同組合 奉賛会"


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