藤ノ木古墳(ふじのきこふん)

藤ノ木古墳
藤ノ木古墳

【所在】奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺字藤ノ木・陵山
【墳形】円墳
【規模】直径約48m、高さ約9m
【築造時期】6世紀後半
【アクセス】JR法隆寺駅からバス、バス停「法隆寺門前」で下車、西へ徒歩5分。または、王寺駅から奈良行きバス、バス停「斑鳩町役場前」下車、北へ徒歩5分


皇族クラスの若者二人を埋葬した古墳

 法隆寺の西350mの所に、法隆寺の中世文書で「陵山」と呼ばれ、江戸時代には崇峻天皇陵と考えられた古墳がある。藤ノ木古墳である。橿原考遺古学研究所は1985年(昭和60)から1988年(昭和63)にかけて三回発掘調査を実施し、ほぼその全容を解明した。

藤ノ木古墳内部
藤ノ木古墳内部(発掘調査写真図録より)
 古墳は直径48mの円墳で、全長14.5mの両袖式の横穴式石室を持ち、その中に長さ2.35mの朱塗りの家型石棺が未盗掘のまま残されていた。石室には、近くを流れる竜田川の石が用いられ、石棺は凝灰岩の繰り抜き式家形石棺だった。1985年の調査で、金銅製馬具1組、鉄地金銅張馬具2組、挂甲札、鉄鏃、鉄刀など多くの遺物が出土した。1988の調査では、石棺が開けられた。棺の内部には、伸展葬された2体の人骨があった。被葬者の周囲には多くの副葬品がほとんど埋葬時のまま残されており、冠や履、大帯など各種の金銅製品、獣帯鏡など4面の銅鏡、6口の刀剣、多量の玉類と金属製装身具などが出土した。これらの豪華な副葬品は、藤ノ木古墳の名を一躍全国に知らしめた。早速、史跡保存の運動が起こり、1991年11月16日に史跡に指定された。

 石棺内に葬られていた2人の被葬者は、六世紀後半の政権中枢の皇族クラスの若者と考えられるという。北側の一人は、20歳前後の男性で、身長165cm。がっしりした体格で、歯の磨耗は少ない。もう一人も成人男性の可能性があるという。なにしろ、聖徳太子が斑鳩の宮を造営する直前に作られた墳墓である。当然、被葬者が誰であるかは知っていたと考えるのが普通である。例によって、マスコミは被葬者探しに熱中した。さまざまな候補者の名があがった。しかし、2003年の現在まで、特定されたという話は聞かない。


追記

 藤ノ木古墳の規模は、これまで直径48mと推定されていた。だが、実際の規模はそれより大きかった。第5次発掘調査を行なった斑鳩町教育委員会は、2003年11月、この古墳は直径50mを超える円墳であることを確認した。大型横穴石室を持つ円墳としては、牧野古墳(広陵町)や塚穴山古墳(天理市)に次ぐ大規模な古墳であるという。

 さらに、第5次発掘調査で、円筒埴輪片や形象埴輪片がで古墳東側から多数出土した。古墳東側は石室前方部に位置していることから、この場所で埴輪祭祀が行われていたことも明らかになった。(03/11/20)




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