調子丸古墳(ちょうしまるこふん)

調子丸古墳
調子丸古墳

【所在】奈良県生駒郡斑鳩町大字東福寺
【墳形】円墳
【規模】径15メートルの
【築造時期】4〜5世紀
【アクセス】奈良交通バス奈良ー王子線のバス停「法起寺口」下車すぐ

聖徳太子の舎人・調使麻呂(つきのおみまろ)の墓の伝承を持つ古墳

 駒塚古墳の東南100mほどの田園の中に南に小さな古墳がある。聖徳太子の舎人(とねり)で、つねに皇子の横に付き従っていた調使麻呂の墓との伝承をもつ古墳である。しかし、考古学的知見は、この伝承を否定している。調子丸古墳は4〜5世紀ごろの築造とされるが、使麻呂は7世紀後半まで存命であった。

『聖徳太子伝暦』などの太子伝は、598年(推古6)年に聖徳太子が諸国に善馬を求め、献上された馬の中から甲斐の黒駒を選んで、使麻呂に飼育させたと伝えている。使麻呂は、一説には百済からの渡来人であるとも言われているが、長命だったらしく、聖徳太子が死亡した後も天智朝まで長生きし、晩年には出家したと伝えられる。使麻呂は晩年になって聖徳太子の思い出を記録として残した。「調使家記」と呼ばれるもので、その一部が『日本書紀』や『上宮聖徳太子伝補闕記』などの中に受け継がれていると推測されている。


調子丸古墳近くで土馬の頭部出土

土馬の頭部
出土した土馬の頭部
 平成12年度の発掘調査で、斑鳩町教育委員会は調子丸古墳の北側約5mの所から土馬の頭部を発見した。粘土を焼いて作ったもので、表面が淡い橙褐色をしている。非常に精巧なつくりで、馬具やたてがみをリアルに表現した飾り馬である。現物の長さ、高さともに10cmほどだが、たてがみや手綱、鼻先まで写実的で復元すれば全長は30cmはあっただろうと推測されている。

 土馬は雨乞いや疫病よけに使われたとされ、7世紀後半ごろのものが平城京など都の溝跡では度々見つかるが、古墳で発掘されることは珍しいとのことである。調子丸古墳の北約100mには、聖徳太子の愛馬・黒駒を埋葬したとの伝承をもつ駒塚古墳がある。このため、斑鳩町教委は聖徳太子伝説にかかわる「興味ある出土」としている。


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