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| ケヤキ並木が美しい資料館前 (2003/11/23 撮影) |
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【所在地】 埼玉県行田市大字埼玉4834 |
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地図の下には関東7県で発見された大型古墳の数が、前方後円墳と前方後方墳に分類して表示してあった。その内容を以下に転記しておく。データは平成8年3月現在のものとのことだが、この表を見る限り、関東地方で古墳の数が多いのは、群馬、茨城、千葉であり、埼玉県は意外と少ない。
さらに、埼玉古墳群を構成する各古墳の大きさを示すパネルも掲げてあったので、参考のために以下に転記しておく。
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考古展示室に並べられた古墳出土品の中で、見学者の注意を最初に引きつけるのは、やはり赤さびた「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」であろう。鉄剣は展示室のほぼ中央に、ガラスケースに収められて展示されている。見学者のほとんどは、今ではあまりに有名になりすぎたこの国宝を己の眼で確かめたいため、県立さきたま資料館に足を運ぶ。 実は、昭和43年(1968)に稲荷山古墳を発掘調査した時、刀身73.5cmのこの鉄剣は後円部頂上の礫槨(れきかく)の中から発見されていた。発見されて10年もすると掘り出された鉄剣の傷みが進んできたため、その保存処理を奈良県の元興寺文化財研究所に依頼していた。同研究所は鉄さびを落とす作業中に、刀身の表に57文字、裏に58文字、計115文字が金象嵌で刻まれていることが発見された。昭和53年(1978)9月のことである。100年に一度あるかないかのこの大発見は、日本中を揺るがした。 金象嵌とは、まず地となる刀身に墨で文字を下書きし、次に書かれた文字をタガネで掘り、そこに径0.06mmほどの金線を打ち込み、さらに文字の上面を研いで平らに仕上げたものをいう。
古墳時代の刀剣類に銘文が刻まれているものは、今までに全国で7件発見されている。有名なものに奈良県の石上(いそのかみ)神宮の七支刀や東大寺山古墳出土の太刀、熊本県の江田船山古墳出土の銀象嵌銘大刀、千葉県の稲荷台1号墳(5世紀中頃)出土の王賜銘鉄剣などがある。しかし、稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣は、刻まれた文字数において、また銘文が語る内容において、他を圧倒する。刀身の表と裏には以下の金文字が象嵌されていた。 銘文の意味は、まず上祖・意富比■(おほひこ) から作刀依頼者の乎獲居臣(おわけのおみ)に至る8代の系譜を示し、杖刀人(じょうとうじん、身分の高い人物を護衛する武官)の長として代々仕えてきたことを述べ、続いて、獲加多支鹵大王(わかたけるのおおきみ)が斯鬼宮(しきのみや)で天下を治められたとき、乎獲居臣は獲加多支鹵大王を補佐してきたとし、このことを記念して辛亥(かのとい)年7月にこの練りに練った剣を作った”、という内容になっている。 獲加多支鹵大王とは『日本書紀』に記す大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)大王、すなわち雄略天皇のことであり、辛亥年は伴出した副葬品の考古学的検討から西暦471年とされている。倭王・武(雄略天皇)が宋に使者を送り上表文を奉献した478年の7年前のことである。この銘文の解読は意外な波紋を呼んだ。熊本県江田船山古墳から出土した銀錯銘鉄剣の銘文に示された大王名も雄略天皇であることが判明した。これにより、5世紀後半には、大和政権の勢力が、西は肥後から東は武蔵まで及んでいたことが分かった。倭王・武の上表文の内容は、あながち誇張ではなかったのである。 残念ながら、この鉄剣とともに稲荷山古墳に埋葬されたヲワケなる人物が何者かは特定されていない。3つの説が出されている。(1)武蔵の豪族で中央に出仕して、象嵌された鉄剣を持ち帰り、死後に鉄剣とともに葬られた人物とする説、(2)中央の豪族で武蔵に派遣されてきて、この地で死んでしまったので、鉄剣とともに葬られた人物とする説、(3)武蔵の豪族で中央のヲワケに仕え、功績を認められてヲワケの剣を貰い、武蔵に帰趨して死んだので鉄剣が副葬されたとする説である。 |
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現在、民俗展示室では、米作りや麦作りを中心とした農具類を、一年の作業スケジュールにしたがって順に展示してある。室内を一周してみて、ほとんどの農具は筆者自身の子供の頃、農作業を手伝った時に手に触れたものだった。それだけに当時の父母や祖父母の懐かしい思い出が甦って仕方がなかった。 |
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旧山崎家住宅は、明治初期に建てられた建築で、茅葺き寄せ棟造りだが、中二階建てである。資料館からほど近い行田市佐間から移築してきたもので、面積は143、18平方米(43.39坪)。田の字型の間取りを持つ稲作農家の典型的な建物だそうだ。
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