小見真観寺(おみしんかんじ)古墳  真言宗の古刹・小見真観寺の裏手にある前方後円墳

小見真観寺古墳
小見真観寺古墳 (03/12/02 撮影)

メモ

【所在地】 行田市小見1125
【墳形】 前方後円墳
【規模】 全長112m、後円部直径45m、同高さ7.3m、前方部幅30m、同高さ7.3m
【築造】 7世紀初頭
【アクセス】 国道125号線の小見交差点で県道4号線に入り、北へ300m


南向きに開口した横穴式石室


小見真観寺の山門
小見真観寺の山門
 小見真観寺古墳は、行田市小見にある真言宗の古刹・真観寺の裏手に横たわっている。

 真観寺は、藤原時代末期の典型的な美しさを持つ聖観音立像が納められていることで知られている寺である。観音像は檜材を使った寄せ木造りの像高103cmの像だが、元は三尊仏の中の脇侍として造られたと考えられている。真観寺古墳を訪れるには、この真観寺を目安にすればよい。

 国道125号線の「小見南」交差点から県道4号線に入り、北へ300mほど進んだ左手に真観寺がある。地蔵塚古墳から北西約1.5kmの地点にあたる。

横穴式石室
南向きに開口した横穴式石室
 新装の山門をくぐって真観寺の境内に入ると、本堂の裏に樹木で覆われた小山が見える。それが、この地方では最大の真観寺古墳である。本堂と墓地の間に古墳の碑が建っていて、古墳のくびれ部から墳頂に登ることができる。

 墳頂に登る前に、墓地の裏手に回ると、後円部の南に横穴式の石室が開いていて、誰でも中を見学できる。寛永11年(1634)に観音堂を創建した時発見されたそうだ。

 この横穴式石室は全長5.4m、幅2.2mで、全室と玄室で構成されている。天井石も奥壁も側壁もすべて一枚岩を使って造られているため、石室自身が石棺状になっている。前室と玄室の入口はいずれも2枚の岩でふさがれていた。現在は前室の石が取り除かれ、玄室の入口も中央がくり抜かれているため、石室の内部まで入ることができる。玄室には、箱式石棺か箱式木棺が安置されていたと思われるが、どちらだったか不明である。また羨道部は破壊されてしまっているので、どれくらいの大きさだったか不明である。



鞍部に右手に造られた箱式石室


箱式石室
鞍部右手にある箱式石室
 真観寺古墳を特徴的なものしているのは、鞍部のすぐ右手にもう一つ石室が造られていることだ。墳丘のくびれ部の階段を上り、鞍部からすこし反対側に下ったところに、ぽっかり穴が開いている。この穴に狐が逃げ込んだために1880年に発見されたと言われている箱式石室である。石室の全長は2.8m、幅1.7m、高さ1.1mとのことだが、腹這いにでもならなければ狭くて中へ入れない。

 寛永11年に発見された後円部の石室からどのような遺品が出土したかいっさい分かっていない。しかし、この箱式石室からは大刀や銅鏡をはじめとして多数の副葬品が出土した。その多くは東京国立博物館に収蔵展示されている。


被葬者は物部連兄麻呂の先代の国造?


鞍部
前方部から見た後円部方面の鞍部
 ここで気になるのが、真観寺古墳の被葬者である。まず、この付近の古墳の築造場所と築造年代を整理してみよう。この付近では、大型古墳の位置が時代とともの南から北へ移動している。6世紀初めから7世紀初めにかけて、埼玉古墳群を構成する大型古墳が次々と築かれた。7世紀中頃には、埼玉古墳群の北方約2kmに八幡山古墳と地蔵塚古墳が築かれた。この2つの古墳のさらに北方約1.5〜2kmに位置するのが真観寺古墳である。

 だが、真観寺古墳の築造は7世紀初頭と考えられている。すなわち、真観寺古墳は、埼玉古墳群の中の最後の古墳である中ノ山古墳が築かれた時期とほぼ同時期に、約4km北に築かれたことになる。

 この地に大規模古墳が築かれた背景として、当然旧勢力の没落と新興勢力の台頭があったものと思われる。つまり、約1世紀にわたって埼玉地方を中心に勢力を誇っていた武蔵国造の笠原一族が、7世紀に入ると没落し、新しい勢力が埼玉古墳群の北の若小玉付近に出現した。真観寺古墳はちょうどその勢力の移り変わりの中間に築造された墓と見ることができる。その被葬者が笠原一族と同族か、それともまったく別の新興氏族か不明である。

 一方、八幡山古墳の被葬者として物部連兄麻呂(もののべのむらじえまろ)を想定する説がある。『聖徳太子伝暦』によれば、兄麻呂は聖徳太子に舎人として仕え、その後633年に武蔵国造に任じられた人物である。当時、舎人として中央に出仕したのは、地方の国造クラスの子弟である。真観寺古墳は八幡山古墳より先行するから、その被葬者として兄麻呂の父を想定することも不可能ではない。その場合、被葬者がすでに大和政権から国造に任じられていたと思われる。すなわち、被葬者の代に、笠原一族が没落し、新しく武蔵国造の地位を引き継いだと想定できる。いずれにしても、埼玉古墳群から次の勢力への移り変りを探る上で、真観寺古墳は重要な古墳である。




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