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| 高麗神社 (03/12/04 撮影) |
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【祭神】 高麗王若光(こまのこきし・じゃっこう)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、武内宿禰(たけちのすくね) |
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神社の大鳥居の脇にある駐車場に車を停めて、驚いた。「天下大将軍」「地下女将軍」と胴体に大書されたチャンスンが、駐車場の中央に建っている。チャンスンは、韓国の村落、寺院の入り口によく見られる標識で、先端に恐ろしい将軍の面相が彫刻されている。韓国では、悪霊や疫病の侵入を防ぐ村の守り神であるが、境界標や道路の里程標としても立てられる。この後、神社の境内を散策しながら気付くのだが、説明板にことごとくハングルによる解説が並記してある。日本国内だけでなく、韓国からの参拝者も多いのだろう。 |
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神門に続く正面参道の両脇には、杉の大木が並び、その根本にも大小の植樹がされている。杉の木を含め、すべては参拝者の献木である。献木者の名前を見ると、政界、官界、財界の著名人の名が並ぶが、特に政治家の名前が多い。古来、この神社は霊験あらたかな神社として知られ、高麗郡総鎮守として郡民の崇敬を受けてきた。近代になって、若槻礼次郎、浜口雄幸、斉藤実、鳩山一郎など著名な政治家が参拝し、その後相次いで総理大臣に就任したことから、出世明神としても信仰されるようになったという。 献木者は日本人だけではない。韓国人の名前もある。その中に、「李王垠(ウン)殿下御手植」と「李王妃方子(マサコ)女王殿下御手植」と書かれた2本の杉があった。帰宅して調べてみると、李王垠と王妃方子は、日本が強行した韓国併合という暴挙の陰で、運命を狂わされた悲劇のカップルである。李朝高宗の皇太子だった垠は、日韓親善を演出するために、日韓併合前の1907年に11歳で日本に留学させられた。1919年には、当時皇太子だった昭和天皇のお后候補の一人とされていた梨本宮方子(なしもとのみや・まさこ)と結婚させられた。いわば皇族同士の結婚だった。 その二人が、朝鮮半島にゆかりの深い高麗神社で植樹を行なった。植民地支配への不満をやわらげるための政治的な意図が見え見えの演出だった。神社からすれば、その演出に利用されたことになる。李王垠が方子妃と伴って大韓民国に帰ったのは、昭和38(1963)年11月である。皇太子として11歳で故国を後にして実に56年の歳月が経っていた。祭神として祀られている高麗王若光は、ついに故国の土を踏むことはなかった。それに比べれば、李王垠は少しは恵まれていたというべきか。 |
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神門を入れば、そこは高麗神社の神域である。正面に拝殿があり、拝殿の陰でみにくいが、奥には県の重要文化財に指定されている本殿がある。桧皮葺(ひはだぶき)の一間社流れ造、身舎柱(しんしゃばしら)・向拝柱(ごはいばしら)とも禅宗様式であり、室町時代後期の様式を伝えるという。向かって拝殿の右に社務所と祈祷希望者の休憩室がある。
だが、猿田彦命と武内宿禰が合祀されている理由がよく分からない。猿田彦命は天孫降臨のとき、皇孫迩々芸命(ににぎのみこと)を案内した神である。武内宿禰は景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五代の天皇に244年間に渡って仕えたとされる伝説上の人物である。若光は、日頃から崇敬していた猿田彦命を祭祀していたが、一社を建立しそこに武内宿禰を合祀して白髭明神として崇敬していたという説がある。後に、高麗明神を白髭明神に合祀して高麗大明神として祀ったのが高麗神社の創祀であるとされている。また、猿田彦命は高麗明神と同様に渡来系氏族が祀ってきた白髭神社の祭神で、若光自体が白髭明神として祀られたとする伝説もある。祭神である若光の子孫は、代々当社の宮司をつとめ、現在は59代目であるという。 本殿以外にも、当社には12世紀(鎌倉時代)の「大般若経羅密多経」(国指定重要文化財)や徳川将軍家社領寄進状(市指定文化財)といった有形文化財がある。10月19日の例大祭に氏子によって奉納される獅子舞は市の無形民俗文化財に指定されている。その他に、高麗氏所蔵の文化財として17世紀の建築と言われる高麗家住宅(国指定重要 文化財)や高麗氏系図(市指定文化財)がある。 |
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遠方から眺める茅葺きの建物は、山を背にして、しだれ桜の老木と並んで、広い庭の奥にポツンと佇んでいる。近寄って、格子窓から中をのぞき込んでみると、内部は意外に広い。説明板によれば、間口14.292m(約7間半)、奥行き9.529m(約5間)、総面積136.188m(約37.5坪)とのことだ。間取りは5つの部屋と比較的狭い土間とから成っている。5室のうち表側下手の部屋は最も広く21畳もある。かっての宮司の優雅な生活が偲ばれる住居である。 |
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その他に、釈迢空も「山かげに獅子笛おこるしし笛は高麗の昔を思えとぞひびく」の歌を残した。その句碑が境内の桜の木の下に建っている。また、加倉井秋の「引獅子や 昏れをうながす 笛と風」の句碑も境内に建っている。 |