東の東大寺に対する西の大寺
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| 西大寺境内伽藍案内図 |
真言律宗の総本山西大寺は近鉄西大寺駅に近い。駅の南出口から3分も歩けば東門の前に着く。平城京に都があった奈良時代、東の東大寺に対して西の西大寺と称されたほどの官寺がこの地に建立され、盛時には実に100を越える堂宇が甍を列べていたという。そのころの寺域は東西11町、南北7町、面積31町(約48ヘクタール)という広大なものだったというから驚く。
天平宝字8年(764)9月11日、恵美押勝(藤原仲麻呂)の謀反が発覚し、近江に逃走した。何故こんなところで恵美押勝の乱を引き合いにだしたかというと、実はこの日が西大寺創建と深い関わりがあるためだ。この日、女帝の称徳天皇は鎮護国家を祈願して四天王を祀る寺の建立を発願された。そして、翌年には7尺の金銅四天王像を鋳造して祀ったのが、西大寺の始まりとされている。
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| 興善菩薩・叡尊の像 |
西大寺の建立は、宝亀末年(780)頃まで続けられ、薬師金堂と弥勒金堂、東西両塔、四王堂院、十一面堂院など多数の堂宇が築かれた。しかし、平安時代には再三の火災に遭い、さしもの大伽藍も昔日の面影を留めず衰微したという。それを復興したのが鎌倉時代の名僧・興善菩薩叡尊(1201-1290)である。
叡尊はこの寺に入って復興にあたり、創建当初とは面目を一新した真言律宗の根本道場として伽藍を整備した。現在の西大寺はその頃の伽藍配置を伝えているという。室町時代には、兵火で多くの堂塔を失ったが、叡尊以来の法灯は連綿と受け継いで今日に至っている。
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