宮山古墳(みややまこふん)(室の大墓)


宮山古墳(室の大墓 歳神社から国道24号線を北に向かうと、まもなく国道309号線との交差点「室」に出くわす。鴨都波神社(かもつばじんじゃ)へ行く前に是非見ておきたい古墳があった。地元では「室の大墓」と呼ばれている宮山古墳である。交差点から国道309号線を400mほど東へ行ったところに位置している。

山古墳は葛城地方で最大の規模を誇る前方後円墳で、巨勢山の北側の丘陵を削って築かれいる。古墳の全長は245m、前方部先端の幅は110m、後円部の径105m、高さは、前方部前端で約22m、後円部で約25mである。三段に造成された墳丘には、花崗岩を割った葺石がまかれ、石室の上にはさまざまな埴輪が方形に並べられていたという。これらの埴輪のうち、高さ142.6cm、最大幅95.5cmの靫形埴輪は特に有名である。銅部の上端に有茎式柳葉形鉄鏃が表現され、左右に広がったヒレとその表面の装飾は渦巻き文や直弧文で構成された豪華絢爛なものだ。

輪の列の下に竪穴式石室があり、その中に長持ち型の組み合わせ式石棺が納められていた。古墳の築造年代は4世紀末から5世紀前半と推定されている。この時期は葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)が活躍した時期と重なるため、被葬者にこの人物を当てる歴史学者もいる。葛城襲津彦は実在の人物とされている。 『日本書紀』によれば、神功皇后5年に葛城襲津彦は新羅から来ていた人質を送っていったが、途中でその人質に逃れてしまった。そこで、新羅に入って戦い、捕虜を連れて帰還した。そして、これらの捕虜を葛城の桑原・佐味・高宮・忍海辺りに住まわせたという。

墳の後円部の下に石垣が積まれ、その上に八幡宮が祀られている。その境内には、「孝安天皇室秋津島宮跡」の石碑が建っている。灯籠の間を抜けて墳丘に登ると、石室の一部が開いていて、中の大きな石棺を覗くことができる。



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