巨勢寺跡(こせでらあと)


道309号線を南に取り、巨勢寺跡に向かう。この辺りは「古瀬谷」と呼ばれる狭い谷間である。両脇から山がせりだし、その間のわずかばかりの平坦部の真ん中を曽我川が 貫流している。川の両側に民家が建ち並び、さらにその両端をJR和歌山線と近鉄吉野線が平行して走っている。吉野口駅の手前では、近鉄の線路がJRの線路にすり寄ってきて、その間隔は20mもなくなる。巨勢寺跡は両線路に挟まれた台地の上にある。国道脇に自転車を置いて、JRの線路を跨いでアクセスした。

起によれば、巨勢寺は聖徳太子の創建と伝えられているが、飛鳥・白鳳期に創建された寺院の多くは、日本仏教の開祖・聖徳太子の創建としているものが多いから、真偽のほどは不明である。ただ、創建当時は巨勢氏の氏寺として近隣に偉容を誇っていたに違いない。平安時代には奈良興福寺の末寺となり、1308年にはそれまで所有していた財産を春日大社に寄進していることから、この頃すでに荒廃の一途をたどっていたと伺えると、案内板は記す。

っての巨勢寺の中心に、現在小さな大日堂が建っている。その近くに塔心柱の礎石が元の位置のまま残されている。約1.3m角の大きさのこの礎石の表面は特異な構造をしている。石の表面に直径88cm深さ12cmの円柱の穴があり、さらにその中央に直径13cm深さ6cmの舎利納孔がうがってある。舎利納孔の周りには、同心円状に三重の溝が切ってあり、これらの溝を結ぶ排水溝が掘られている。



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