鴨都波神社(かもつばじんじゃ)


鴨都波(かもつば)神社 道24号線を御所駅方面に向かって自転車を走らせていると、右手に樹木に覆われた森が現れ、鴨都波神社の扁額を掲げた鳥居が突然目に入った。まさか国道脇にあるとは思わなかったので、いささか驚いた。自転車を歩道の端に止めて、樹木を分け入るように境内の中に進む。

都波神社は葛城川と柳田川の両河川の合流地点に鎮座する古社で、鴨都味波八重事代主命(かもつみはやえことしろぬしのみこと)と下照比売命を祭神として祀っている。創建は明らかではないが、異本三輪神三社鎮座次第によると、太田田根彦の孫にあたる大賀茂都美命が崇神天皇の勅に奉じて葛城の賀茂に事代主命を奉斎し、賀茂の氏を賜ったといい、大神神社の別宮としている。

神の神名である都味波八重事代主命についてはいろいろな説が出されている。例えば『御所市史』では、鴨都味波(かもつみは)のツミハはミヅハの誤りで、正しい名前は水神の弥都波能売(みづはのめ)神であり、後に出雲から迎えられた八重事代主命と二神を合わせたと解している。しかし、鳥越憲三郎氏は、その著書『神々と天皇の間』の中で、鴨都味波の「鴨都」は「鴨の」であり、「味波」は「水端」すなわち水辺を意味するとして、字のまま率直に「鴨の水辺の」と解すべきだとしている。

た「八重事代主命」についても、まず下の「代主」は「田主」すなわち田の神のことであるとし、さらに「八重事」の「事」は「事始め・事祭」のように折り目のことで、八重事で「しばしば折り目ごとに祀られる」の意味に解されている。鳥越氏の解釈が正しければ、「鴨の水辺でしばしば折り目ごとに祀られる田の神」を意味することになる。

古事記』や『日本書紀』の国譲りの神話では、事代主神は大国主神の子として重要な役割を果たしている。大国主神が国譲りを決意したのは、我が子の事代主神の助言を容れたためである。ところが、どうした訳か国譲り神話の立て役者ともいうべき事代主神が、733年に編纂された『出雲国風土記』にはその名さえ見いだせない。この神はもともと鴨族の祭神であり、出雲の人々の信仰の対象になっていなかったことの証左である。記紀神話の中で、なぜこの神が大国主神の子とされ、天孫降臨の国譲りで大役を負わされたのかは不明である。

都波神社を後にした頃は、午後の3時を過ぎていた。西に傾きかけた初冬の太陽が葛城山頂の雲に遮られて、吹く風に冷たさが増した。県道118号線(御所高取線)を東に向かって帰路につく。約1時間かかって出発点である畝傍御陵前に戻る。約6時間の自転車による散策だった。



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