| 見学のしおり | ||
東洋に現存する最も古い天文台として知られている石塔。『三国遺時』には第27代・善徳女王の時代(632〜647年)に建てられたとある。国宝第31号に指定されている。 全体の高さは9.17mで、上部の直径が2.85m、下部4.93mの二重基壇の上に1段の高さが30cmの花崗岩が円筒形に27段積み上げられている。また下から13段と15段目に南に向かって一辺1mの四角い窓が設けられている。 瞻星台に使われた石の数を数えると362個であり、これは1年を太陰暦で計算した場合の日数と一致する。しかしながら当時どのような方法で観測が行われていたのかは、記録が残されていないためはっきりわかっていない。 見 所362個の石を積み上げた天文台 瞻星台の「瞻」は、「仰ぎ見る」という意味を持つ漢字である。星を仰ぎ見て天体観測を行う建造物ということで、瞻星台という名前が付けられたのであろう。遠目で見ても、直線と曲線が簡潔に調和した美しい建物である。 ■所在地:慶尚北道慶州市仁旺洞839-1 |
| 天文観測の歴史は古い |
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『日本書紀』は、天武天皇4年(675)春1月5日、我が国ではじめて占星台を建てたことを記している。占星台とは、天文を観察して、吉凶などの占いを行なう建物で、その機能は瞻星台と同じである。瞻星台の建設は日本の占星台のそれより30年以上も早い。 朝鮮半島では、早くから天文観測が行われていた。瞻星台の建設によって初めて天文観測が行われるようになったのではない。百済では4世紀頃から占星台が建てられ、天文観測をしていた。『三国史記』には、数多くの日食、惑星、彗星の運動や気象現象の記録が残されていて、その数は419件に達するという。 写真でお馴染みの赤茶けた瞻星台を間近で見てみたかった。だが、荒れ狂う暴風雨はもはやその場所にアクセスすることすら許さない。専用バスを止めて遠くから遠望するのが精一杯だった。車内の熱気で曇った窓ガラスを拭くと、嵐の中にたたずむ石の塔を望見できた。だが、窓をたたく雨しぶきでその姿はすぐにかすんでしまう。 ふと、古代の天文学者は台風の到来をどのように予測したのだろうかと、変な興味を抱いた。古代においても、台風は毎年朝鮮半島を襲ったはずであり、現代と同じように農作物に多大な損害を与えたであろう。であるならば、台風の到来は吉凶占いの重要な対象ではなかったか。しかし、我々が現在受け継いでいる知識は210日が台風の到来時期であるという経験則だけである。
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