江崎古墳(えざきこふん) こうもり塚古墳の次の世代の首長の墓?

江崎古墳
江崎古墳の後円部 (H17/10/02 撮影)

 見 学 メ モ

【所在地】総社市上林・江崎小字大山
【墳形&規模】前方部2段、後円部2段築成の前方後円墳。造出なし、周濠あり。
全長45m、後円部径約32m、高さ5.2m、前方部幅25m、長さ1.2m、くびれ幅約23m、後後高差1.5m
【外表施設】円筒V式埴輪、朝顔形埴輪。象形埴輪は細片のため不明。
【内部主体】棺:井原市浪形産の貝殻石灰岩を用いた刳抜式石型石棺。蓋 長辺2.51m、短辺1.43m、高さ0.43m、刳抜深さ0.16m。身 長辺2.38m、短辺1.31〜1.25m、高さ0.68m、刳抜深さ0.46m
室: 横穴式石室(両袖式)全長13.8m、玄室長6.6m、高さ2.9〜2.66m、幅2.6〜2.3m、羨道高さ2.5m、幅1.7m、閉塞装置残
【出土品】刀子、馬具、鉄鏃、雲珠、ガラス小玉、獣形鏡、土師器、須恵器など
【史跡指定】県指定史跡 
【築造時期】古墳時代後期(6世紀後半?) 
【アクセス】中鉄バス、岡山駅前から総社行(山手経由)・総社駅前から岡山行(山手経由)乗車・倉敷駅前から新本行( 総社経由)乗車、国分寺前下車徒歩10分



6世紀後半に築造された吉備最期の前方後円墳の一つ

標識
崎古墳は江崎集落の北側にある丘の中腹に位置している。吉備路風土記の丘駐車場から集落の中を少し戻ることになるが、道の要所要所に案内板が立っているので道に迷うことはない。道の脇や民家の庭先にコスモスが色とりどりの花をつけていて、いかにものどかな農村の中を散策する気分である。

開口した石室
墳丘の西側に開口した石室
石棺
玄室に安置された石棺
石棺の蓋
穴を開けられた石棺の蓋
崎古墳は全長45mの前方後円墳である。だが、前方部が山側にあって丘陵の尾根を切り落として作っているので、後円部よりも高い位置にある。そのため、後円部の墳丘が雑木を刈り払われていなければ、古墳の位置をつい見過ごしてしまいそうである。後で念のために前方部まで雑木林の中を登ってみたが、確かに前面が少し低くなっていた。前方部の端は25mと幅が開いていて、古墳時代の後期に築造された墓であることが分かる。

円部に全長13.8mの横穴式石室が西に開口している。羨道は埋まっているが、玄室へ降りる階段が設けられている。その階段の下に閉塞石が残っているのが分かる。玄室は花崗岩の自然石を利用した両袖式横穴石室で、側壁は2段〜3段、奥壁は1枚の巨石で造られている。ただし、天井を見ると、墳頂から玄室天井までをぶち抜いて明かり取りの窓が作られているのには驚いた。

室には貝殻石灰岩で造られた刳抜式家形石棺が置かれている。石棺は奥側の蓋の一部が破壊されていた。盗掘の際に開けられた穴で、その穴を通して石棺内部のものはほとんど持ち去られたようだ。だが、棺の中には人骨2体分と金環1対、ガラス小玉110個が残っていた。人骨は成人男性と女性のもので、身長は157cm前後と推定されている。玄室と羨道の一部に円礫が敷かれていた。その床面から獣形鏡1面、耳環1対、鉄刀5、鉄鏃130以上、馬具、須恵器90以上、土師器10余りを発見している。

崎古墳とこうもり塚古墳との距離はそれほど離れていない。こうもり塚古墳は6世紀中ごろこの地方を支配していた首長の奥津城とされている。そうであれば、江崎古墳の被葬者として、その次の世代の首長を想定したとしても許されるであろう。



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