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| 西谷墳墓群史跡公園「出雲弥生の森」 |
見 学 メ モ
【所在地】出雲市大津町字西谷 史跡公園「出雲弥生の森」内 |
布団を掛けたコタツの形をした四隅突出型墳丘墓
この特異な形をした墳丘墓は、四隅を突出させ、周りを貼石で覆っているのが特徴で、墳丘上で祭祀を行った跡も検出されている。このため、青銅器を祭祀に使用していた時代が終わり、首長の死に際して執り行われる新しい祀りの場として、今からおよそ1900年前の弥生中期に、中国山地で発生したとされている。
斐伊川を眼下に臨む丘陵上にある西谷3号墓は、弥生時代の終わりごろに造られた東西40m、南北30mの巨大な四隅突出型墳丘墓である。島根大学考古学研究室によって発掘調査によって、この墳丘墓に8人以上の人物が葬られていることが分かった。中でも、墳丘の中央に並ぶように掘られた2つの埋葬施設は特に大きく、この埋葬施設の上から葬儀のお祭りに使われたと考えられる土器が多量に出土した。これらの土器には、地元の出雲地域で作られた土器以外に、岡山や北陸地方の特徴を持つ土器が全体の1/3も含まれていたという。 特に特殊器台や特殊壷と呼ばれる祭儀用の土器は王墓にしか使われないものだが、こうした土器も西谷3号墓で見つかっている。そのことによって、被葬者が岡山県の吉備地方と強い関係を持ち、周辺地域と盛んに交流をもっていたことが証明される。古代の出雲は西日本でも有数の有力な“クニ”だった。 西谷9号墓は、東西42m、南北35m、高さ4.5mの方形部に突出部が付く我が国最大の四隅突出型墳丘墓で、突出部を含めると50mを超える規模になると推測されている。貼石や石列は存在するようだが、発掘調査が行なわれていないため、詳細はわかっていない。今年の1月、同じ出雲市内の青木遺跡から、山陰地方では初めての最古形式の四隅墓が見つかった。最古級から最大までの墳丘簿がこの地に存在するため、四隅墓の歴史をたどることも可能となってきたとされている。 |
日本版「王家の谷」を形作る墳墓群
その頃、平野部では大規模な集落があちこちに点在していたことが分かっている。環濠集落として知られる下古志遺跡(しもごし)を中心とした古志遺跡群や矢野遺跡を中心とした四絡遺跡群など数多くの遺跡が発見されているためである。
近くの丘陵地には大量の青銅器埋納で知られる神庭荒神谷(かんばこうじんだに)遺跡や加茂岩倉(かもいわくら)遺跡など、出雲地方を代表する弥生時代の遺跡が密集していて、これらの遺跡とともに、古代出雲が最も光り輝いた時代を象徴する重要遺跡であり、日本版「王家の谷」に喩えられている。 |