揖夜神社(いやじんじゃ) 意宇六社の一つとして古くから尊崇されてきた古社

揖夜神社
昔ながらの出雲街道に面した揖夜神社

 見 学 メ モ

【所在地】 島根県八束郡東出雲町揖屋
【祭神】 イザナミノミコト(伊邪那美命)、オオナムチノミコト(大穴牟遅命)、スクナヒコナノミコト(少彦名命)、コトシロヌシノミコト(事代主命)
【社格】 県社
【祭日】 10月19日
【アクセス】 JR揖屋駅から徒歩10分


『出雲国風土記』に伊布夜社と記されている神社

揖夜神社標識
泉国(よみのくに)と葦原中国(あしはらのなかつくに)との境を黄泉比良坂(よもつひらさか)という。記紀神話によれば、死んでしまった愛妻のイザナミを黄泉国に訪ねたイザナギは、変わり果てた妻の姿に恐怖して逃げ帰った。そのとき、黄泉国の醜女(しこめ)や軍勢、最後にはイザナミ自身までが追いかけてきた。やっとの思いで黄泉の国を脱出したイザナギは、千引(ちびき)の岩で出口をふさいだ。その場所が黄泉比良坂であるという。記紀神話では、千引岩を間に挟んで二神が離別の言葉を交わしたとされている。

『古事記』は、その場所を「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)という」と書いている。現在、東出雲町の揖屋に揖夜神社(いやじんじゃ)があり、このあたりを指したと言われている(*)。揖夜神社は出雲国造の直轄の神社として、『出雲国風土記』に伊布夜社(いふややしろ)と記されている。『日本書紀』にも斉明天皇の条に「言屋社」(いふやのやしろ)の名で登場し、イザナミを祀っていることなどを記すとともに、黄泉国との境界を仕切る重要な意味を持つ社としている。
(*)揖夜神社から南東に2kmほど離れた場所に「黄泉比良坂伝説地」があって、暗い木立の下に石碑が建っており、大きな石が置かれているとのことだ。


でに夕方になっていたが、出雲史跡の最後の探訪地として揖夜神社を選んだ。熊野大社と並んで出雲地方で最も古い社で、意宇六社の1つでもある。JR山陰線揖屋駅に近いので、帰路に選んだ国道9号線を途中で左折すれば、立ち寄ることができる。



黄泉比良坂に関係して、イザナミノミコトを主祭神として祀る

神門
神門
拝殿
拝殿
本殿
樹木に囲まれた本殿
道9号線で揖屋町に入り、東出雲町役場方面に左折して北へ進むと、すぐのJR松江線の踏切にぶつかる。踏切を越えてさらに北へ進むと昔ながらの出雲街道に出る。右折してこの道を東へ進むと、まもなく街道に面して大きな鳥居が立っているのが見えてくる。揖夜神社の鳥居である。

段を登って境内に一歩足を踏み入れると、夕暮れの迫った広い境内で宮司が一人で落ち葉をかき集めていた。熊野大社と並んで出雲地方で最古の神社と言われるだけあって、さすがに古社独特の荘厳な雰囲気があたりを支配している。境内に巨大な神木が多いせいだろう。大社造りの本殿は透塀に囲まれて一段と高い位置に築かれているが、周囲の木々の枝に囲まれてあまりよく見えない。

の神社の主祭神はイザナミノミコト(伊邪那美命)で、その他にオオナムチノミコト(大穴牟遅命)やスクナヒコナノミコト(少彦名命)、コトシロヌシノミコト(事代主命)を合祀している。黄泉比良坂で永久に黄泉国に閉じこめられることになった女神を哀れむ人々が、スサノヲが熊野大社に祀られるのに対抗して、当地にこの神社を創建したのかもしれない。

神が女神であることを、水平に切られた本殿の千木の先端が示している。本殿には、五色の八雲や極彩色の神事の壁画が扉に描かれているそうだが、残念ながら見学は無理なようである。この神社で執り行われる祭の一つに、古くから伝わる穂掛け祭がある。豊作豊漁を祈願する祭礼で、毎年8月28碑ににぎやかに行われると聞いている。

殿は小高い大地の上に建っているので、特に近寄って見ようとはしなかった。それより、デジカメで本殿を写す場所を位置を決めるのに苦労した。木々の枝が邪魔して良い構図が取れないのだ。後で知ったのだが、拝殿の左右の階段を登って行けば、直接本殿や摂社の鎮座する場所に出られるとのことだった。本殿に向かって左が韓国伊太(からくにいたて)神社が鎮座している。

国伊太神社はスサノオノミコトとイタケルノミコトの2神を祭神として祀っている。『日本書紀』では、神代の巻一書(八段第四)に、この二柱の神は新羅の国から出雲国の簸の川上にある鳥上の峯に天降ったと記している。そうであれば、両神は新羅から出雲への渡来神ということになる。朝鮮半島と出雲は距離的にもそれほど遠くない。古代の長い歴史の流れの中で、多くの渡来人がこの地に 住み着き、自分たちの神を祀ったことは大いにあり得る。



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