![]() |
| 土師ニサンザイ古墳 |
| 所在 | 堺市百舌鳥西之町3丁 | 別名/比定 | ニサンザイ古墳、東百舌鳥陵墓参考地 | ||||||
| アクセス | あああ | ||||||||
| 墳形 | 前方後円墳 | 前方部3段、後円部3段築成。前方部が西向きで立地。 | |||||||
| 造り出し | 有り(両側くびれ部) | 周濠 | 有り(楯形、二重) | 周庭 | 有り(二重) | ||||
| 規模 | 総長 | m | 墳長 | 290m | |||||
| 前方部 | 幅 | 226m | 長さ | m | 高さ | 22.5m | |||
| 後円部 | 径 | 156m | 高さ | 24m | 頂径 | m | |||
| 外表施設 | 埴輪 | 有り | 葺石 | 有り | |||||
| 内部構造・ 副葬品 | 未確認 | ||||||||
| 築造時期 | 5世紀後葉〜末葉 | ||||||||
古墳の濠に接していた土師氏の有力集団の居住地
「はじめ」にでも述べたように、土師氏(はじし)は埴輪制作集団であるとともに、古墳造営の指揮や大王の葬送儀礼に従事する集団でもあった。俗に「土師氏の四腹」と称されるように、土師氏には4系統あったとされている。奈良盆地の西北部にあたる秋篠と菅原にそれぞれ住んだ土師氏、河内の古市古墳群の周囲に住んだ土師氏、そして百舌鳥古墳群に居住した土師氏である。 この付近に居住した土師氏の集団は「モズ腹」と呼ばれていた。百舌鳥古墳群の巨大古墳の造営は4世紀末ごろ開始されたと言われている。当時は多くの人々が造営工事のために長期間、一定の地に居住する状態が続いていたはずである。考古学者の森浩一氏は盟主陵と思われる古墳に隣接して土師氏の集落があったということは、この古墳が最後が築かれた証拠である、と考えておられるという。 |