漢陽陵(かんのようりょう)陵墓の周囲に築かれた陪葬坑を地下博物館として公開している漢の景帝・劉啓の墓

前漢の第4代皇帝景帝の陽陵
前漢の第4代皇帝景帝の陽陵(撮影 2011/11/23)

中国は歴史上最初のピーク時を迎えた時期に建造された漢の陽陵

漢の第6代景帝劉啓(在位BC157-141)は、第5代文帝の子で、母は竇(とう)皇后だった。紀元前157年、32歳のとき即位し16年間在位したが、紀元前141年に未央宮で亡くなった。父の文帝とその後を継いだ景帝の時代の40年間は政治が安定し、社会も持続的に発展したため、「文景の制」と後世讃えられた。

に、景帝は、紀元前154年の「呉楚七国の乱」を鎮めた後は、高祖劉邦の遺志を継いで「与民休息」政策を実行した。すなわち、内政面では「無為にして治め、民に休息を与える」という治国の方針を実行し、農業を奨励し、産業を発展させた。また対外的には匈奴と和親を結んで国家の安定を維持した。その結果、中国は歴史上、最初のピーク時を迎えた。景帝は西漢王朝の発展に重要な役割を果たした人物だったと言える。

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景帝陵園の平面図(*)
然のことながら英邁な皇帝を埋葬するために秦の始皇帝を意識した広大な陵墓が、渭水の北岸に築かれた。それが陽陵で、一辺の長さ180メートル、高さ31メートルを測る。陽陵の兆域は3.5平方キロに達し、皇帝陵園、皇后陵園、陪葬坑および陪葬墓などから構成される。

帝陵そのものの発掘調査は実施されていないが、1990年から周辺の発掘調査が行われ、始皇帝の兵馬俑坑に似た80以上の陪葬坑が発見されている。その中には武士俑や女性俑、豚、馬、牛、羊、鶏、犬等群れの動物陶製俑などが副葬されていた。これら精美な文物は、漢朝宮廷文化と社会生活を再現していて、20世紀中国に於ける重大な考古学の発見と言われている。

陵は、咸陽市渭城区に造営されている。長陵から車でおよそ25分、高速道路のインターチェンジの近くだ。インターチェンジを出て一般道路に入るとすぐの所に、バスの車窓から復元された南闕門が見え、続いて景帝陵とその東400メートルの所にある皇后陵が車窓に流れた。

景帝陵 皇后陵
景帝陵 皇后陵

陵では、三箇所の見学が予定されていた。2006年にオープンした地下博物館「帝陵外蔵坑保護展示庁」、2001年に復元・保護された南闕門、および発掘の出土品を展示するため1999年にオープンした「漢陽陵考古物陳列館」である。

ガラス張りの地下博物館「帝陵外蔵坑保護展示庁」

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漢陽陵帝陵外蔵坑保護展示庁

代の中国では、死者は黄泉の国でも生前と同じ生活をするものと信じられていた。それ故、世界八大奇跡に数えられる秦の始皇帝陵は、始皇帝が即位した翌年の紀元前246年に、死後に暮らす地下宮殿の造営を命じ、38年間で述べ10万人が動員して造営されたと推測されている。

漢陽陵帝陵外蔵坑の入口
漢陽陵帝陵外蔵坑の入口
ればかりではない。始皇帝陵では地下宮殿を取り巻くように兵馬俑坑が配置されている。その規模は2万平米以上にもおよび極めて広大だ。発掘調査された3つの俑坑には、戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体近く出土しており、しかも皆が東を向いている。死後の世界でも、東方から攻め寄せる仮想敵国に備えたものと思われる。

とは、中国で副葬品として用いられた人間や動物の姿をした人形のことで、木や土、金属、陶などで造られた。日本の古墳の墳丘を飾った埴輪にようなものだが、中国では地下に埋められた。1990年から行われてきた漢景帝の陽陵の周辺でも、始皇帝陵の兵馬俑坑に匹敵する、あるいはそれ以上の陪葬坑が発見された。陽陵の四方に配された陪葬坑の数は80以上に達する。

こに副葬されていたのは等身大の秦の兵馬俑とは異なり、約三分の一のミニチュア陶俑である。その種類は兵士や女官、武器、車馬、生産用具、食品、家禽・家畜などで、皇帝の生前における朝廷での政治と後宮での生活のさまざまな局面をそのまま死後の世界に再現したものであるという。

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ガラスの見学通路
皇帝の兵馬俑坑は巨大なドームで覆って保護しているが、自然の景観を保護する目的で、陽陵の陪葬坑は世界の国際最先端の文物保護と展示理念を採用して、地下宮殿ならぬ全地下遺跡博物館として展示してある。その場所が帝陵外蔵坑保護展示庁(ていりょうがいぞうこうほごてんじちょう)だ。2005年開かれた国際古跡保護理事会第十五回年会では、世界文物保護と展示の模範として賞賛された。

の地下博物館では、見学通路に透明度と強度にすぐれたスロバキア製のガラスを使用し、陪葬坑の上を歩いて見学できるようにしてある。ここで保護・展示されているのは、80以上ある陪葬坑のわずか13坑にすぎないが、まるで広大な地下宮殿を見るようにすばらしい。最長の陪葬坑は94メートルもあるとのことだが、ガラス床の見学通路を歩きながら足下やガラスの壁越しにそれぞれの陪葬坑に埋められたミニチュアの陶俑を見ることができる。

ガラスの通路の下の陶俑 ガラスの通路の下の陶俑
ガラスの通路の下の陶俑@ ガラスの通路の下の陶俑A

だ、足下の俑坑やガラス越しに眺められる俑坑に並んでいる人形俑の形は異常である。いずれも細身の体形で両手がない。まるで両手をもぎ取られた裸のマネキン人形を見るようだ。

の部分は陶で作られたが、上肢が可動式の木製であったためとされている。鎧などの装備なども繊維など有機質で作られていたので、既に無くなって裸体の状態になっているという。こうした出土品の状態を見ると、この地域では「簡牘(かんとく)」と呼ばれる中国の木簡などの資料の保存には適していないようだ。
陳列館に展示された陶俑 車馬の複製品が置かれた第12号坑
陳列館に展示された陶俑 車馬の複製品が置かれた第12号坑

12号坑は8メートルと短いが、車馬坑となっていて車馬の複製品が置かれていた。これらの4頭立ての車馬は、後に始皇帝の兵馬俑博物館の銅車馬館でみる安車に似ていた。

復元保護されている南闕門

車窓から見た南闕門保護陳列庁の建物
車窓から見た南闕門保護陳列庁の建物全景

南闕門保護陳列庁の入口
南闕門保護陳列庁の入口
門とは、陵墓を囲む方形四周の土壁の東西南北それぞれ中央に築かれた門をいう。景帝陵の南闕門は陵墓の封土の南端か120メートル離れて築かれた大門である。1997年に南闕門遺跡の発掘調査が実施され、その復元・保護のため、2001年に南闕門保護陳列庁が建設された。

闕門は今までに発掘された闕門としては最大規模を誇るという。保護陳列庁に入ると、外側を鉄骨造りの施設で覆って、門跡を保護しつつ復元されている様子を見ることができる。

南闕門保護陳列庁の内部 保護されている隔壁
南闕門保護陳列庁の内部 保護されている隔壁

1999年にオープンした「漢陽陵考古陳列館」

漢陽陵考古物列館
漢陽陵考古陳列館

陵博物苑は1990年から発掘調査が開始され、陪葬坑や陪葬墓の調査でさまざまな遺物を掘りだしてきた。それらの出土品を展示する目的で1999年に「漢陽陵考古陳列館」がオープンした。

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列館の位置は、東闕門前の参道の先の駐車場から南に行った所にある。陳列館に向かったのはもう午後の4時を過ぎていた。途中の道の両側はバラ園が拡がっている。ほとんど人手をかけているとは思えないバラの茎の先で、ようやく西に傾いた冬の太陽の最後の光芒を受けて、小さな花が風に揺れていた。

列館の中でも圧倒的な数を占めるのは陶俑の裸人形である。さまざまな形をした俑が、ここでは間近に見ることができる。俑以外にも、屋根瓦の瓦当、陪葬墓から出土した漢鏡や家の形をした壺など、多くの出土品が展示されている。
陳列館に展示された陶俑 陳列館に展示された陶俑
陳列館に展示された陶俑@ 陳列館に展示された陶俑A



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