大原の里(おおはらのさと)

大職冠藤原鎌足の墓 中臣鎌足生誕の地&その母・大伴夫人が眠る里
大原の里は、古来中臣鎌足(なかとみのかまたり)生誕の地として知られている。
鎌足を生んだ大伴夫人の円墳は、鎌足生誕地の近くにある。
天武天皇と鎌足の娘・五百重娘との間で交わされたユーモラスな相聞歌の歌碑が大原神社の境内にある。
所在地:奈良県明日香村小原
アクセス:飛鳥坐神社から東へ約400m
大原神社の境内に建つ中臣鎌足誕生地の石柱

 飛鳥坐(あすかにいます)神社の鳥居の脇から緩やかな坂道が続いている。坂道を上りながら周りの景色に目をやると、周囲の様子がすっかり様変わりしているのに驚く。平成13年9月にオープンした万葉文化館の巨大な建物と整備された敷地、そして新たに造られたアクセス道路が、かっての落ち着いた里の風景を一変させてしまった。

 飛鳥坐神社の東側一帯は、万葉集にも歌われた大原(現在は小原と書き「オオハラ」と読む)の里で、鎌足誕生の伝承地としても知られている。鎌足とは西暦645年に蘇我本宗家を滅亡に追いやり、大化改新を陰で推進した中臣鎌足(のちの藤原鎌足)のことで、藤原氏の基を開いた人物である。その伝承を証言するかのように、道路を挟んで二つの石碑が隣接して建っている。「大伴夫人の墓」と「大職冠誕生旧跡」の碑である。

■鎌足の生母・大伴夫人が眠る墓

 大伴夫人の墓
大伴夫人の墓

 坂道を400mほど登ってくると右手に樹木が生い茂った小さな丘がある。その前に「大伴夫人の墓」と彫った石柱が建っているので、この丘が大伴夫人を埋葬した円墳であることがわかる。石柱の前に置かれた案内板によれば、円墳は東西約11m、南北約12m、高さ約2.4mの大きさの墳墓とのことだ。大化改新の功労者の生母の墓としては、慎ましやかな墓のような印象を受ける。

 大伴夫人とは、大伴咋(くい)の娘・智仙娘のことで、中臣御食子(なかとみのみけこ)の妻となって鎌足を生んだ。ちなみに、大伴咋は任那問題で失脚した大連・大伴金村の子であるが、崇峻天皇から推古天皇の時代にかけて活躍した。崇峻天皇4年には、任那再興のため大将軍となって筑紫まで出陣している。

■鎌足誕生地の伝承と産湯の井戸

 「大伴夫人の墓」から少し先の道路の反対側に、小原の人たちが氏神様と呼んでいる小さな神社がある。正式には大原神社と云うそうだが、今は荒れるに任せた状態で人手で修理や清掃をしているように思えない。その境内の前に「大職冠誕生旧跡」と書かれた石柱が建っている。大織冠とは、天智天皇8年(669)10月、天智天皇が死の床にある中臣鎌足の家に弟の大海人皇子を遣わして、藤原の姓とともに授けた大臣の位であり、正一位に相当するという。これ以後、中臣鎌足は大織冠・藤原鎌足と呼ばれるようになる。誕生地の伝承が正しければ、鎌足はこの地で推古天皇22年(614)に生まれたことになる。

 鎌足が産湯に使ったとされる井戸が、神社の裏手の北側にある。石柱の後ろに、「藤原鎌足公、産湯の井戸」と書いた粗末な木の表示板が建っている。大原神社の脇を通って、裏の森の中へと下りて行ったら、それらしき石垣の井戸がある。現在、井戸の周りは荒れ放題の竹薮になっている。

 天平宝宇8年(764)に恵美押勝の乱を起こしたことで世に知られる藤原仲麻呂は、生前に『藤氏家伝』を編纂している。その上巻は中臣鎌足に当てたもので、特に『大織冠伝』と呼ばれている。『大織冠伝』には、鎌足の誕生地を「藤原第」と記してある。大原のあたりは、そのころ「藤井が原」、もしくは略して「藤原」と呼ばれていた。藤原第とは大原の里にあった邸宅のことで、この記述を根拠に鎌足生誕地として伝承されてきたわけだ。

 だが、鎌足誕生の伝承地は他にもある。平安時代後期の作品で藤原氏の栄華を描いた歴史物語「大鏡」は、鎌足の生地を鹿島神宮のある常陸の鹿島であると記している。このため、大原の里は鎌足の生地ではないとする説が一時盛んに行われた。

 しかしながら、『藤氏家伝』は、鎌足の長子定恵(貞慧)の死没地を「大原殿」と記す。さらに鎌足の孫に当たる武智麻呂の誕生地を「大原の邸」と記している。このことから、少なくとも御食子−鎌足−不比等−武智麻呂と続く藤原の邸宅がこの地にあったことわかる。単なる鎌足生誕地ではなく、藤原本宗家揺籃の地であったというべきである。

■大原神社境内に建つ万葉歌碑

 大伴夫人の墓
大原神社境内の万葉歌碑

 大原神社の入り口には、「大職冠誕生旧跡」の石柱と対をなすように万葉歌碑が刻まれている。天武天皇が藤原夫人、すなわち鎌足の娘の五百重娘(いほえのいらつめ)に贈った歌とその返歌で、飛鳥の里に降った雪をめぐるユーモアに富んだ相聞歌である。ちなみに、五百重娘は大原大刀自(おおとじ)とも呼ばれ、新田部皇子を生んでいる。

天武天皇が藤原夫人に送った歌

わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後(のち)(万葉集巻2・103)
歌の意味:私の住んでいる里に大雪が降った。(あなたの住む)大原の古い里に降るのはもっと後だろう。

これに対して、藤原夫人は次の歌を返した。

わが丘の おかみに乞ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ(万葉集巻2・103)
歌の意味:私の所の神様が降らせた雪が、そこまで散っていったのでしょう。


RETURN indexに戻る