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| 宮内庁書陵部 | 綏靖天皇陵 |
綏靖天皇も欠史八代の中の天皇であり、現在ではその存在が否定されている。にもかかわらず宮内庁がこの地を綏靖天皇陵としている根拠は、『日本書紀』に綏靖天皇を「畝傍山の北の葬る」「倭の桃花鳥田丘上陵に葬る」とあり、また『古事記』にはその陵が「衝田岡に在り」と記されているためである。『延喜式(諸陵寮)』には、「桃花鳥田丘上陵、兆域東西一町、南北一町、守戸五烟」とある。
元禄時代には、この地に塚山とよばれる小さな 塚があった。元禄10年(1697)の山陵調査ではその塚が神武天皇陵にされて修復が行われたことは、 上記の通りである。神武天皇陵がミサンザイ塚に変更になったため、現在は綏靖天皇陵になっている。
綏靖天皇陵は寂しい御陵である。神武天皇陵に参拝した後では、とくにみすぼらしく見える。整備されていないという訳ではない。参道に入るとすぐに直角に右折し、その奥に木立がある。しかし、参道の周りの樹木がまばらで、近くの民家が梢ごしに見える。何時訪れても参拝者を見かけたことがない。犬の散歩で境内を横切る近くの住人に時折出くわすだけである。