再び北参道に戻ると、左手にまた脇道があり、それが林の奥に続いている。一歩脇道へ入ると、参道の両脇に密集していた常緑樹の梢がまばらになり、頭上の梢ごしに明るい空が見えてくる。「若桜友苑」は脇道を入ってすぐのところにある。その入り口の右手に、イトクの森古墳(池田神社)とかかれた石柱が立っていて、奥に白壁の塀に囲まれた一角が見える。この古墳は、全長30m余りの前方後円墳であったらしいが、現在は後円部だけがわずかに残っているにすぎない。明治時代の終わり頃、前方部の土砂取りが行われた時、古墳時代の古式土師器などが出土したという。そのために前期の古墳と推定されている。
畝傍山周辺は、奈良盆地の中でも古墳の少ない地帯だそうだ。中・後期古墳の古墳はほとんど存在しない。天皇陵に擬せられている四つの古墳を除けば、古墳の名の付くのは、イトクの森古墳と後述のスイセン塚古墳だけである。何らかの理由で古墳の築造が忌避、または敬遠されたものと推測されている。