『日本書紀』孝昭天皇即位前期に「畝傍山繊沙渓上陵に葬る」とあり、『古事記』懿徳天皇段では「御陵は畝傍山の真名子谷(まなこだに)の上にあり」と記されていることから、第四代懿徳天皇陵に擬せされている。しかしこの天皇の存在も現在は否定されており、実際の被葬者は分からない。
懿徳天皇陵から少し南に進むと、そこは橿原神宮の西参道である。