橿原市のほぼ中央に、こんもりと樹木に覆われて周囲の市街地を見下ろしている山がある。大和三山の一つに 数えられる畝傍(うねび)山だ。なんとも存在感を感じさせる不思議な山である。標高は199.2mにすぎないが、41ヘクタールの裾野を持つ。かっての火山であると聞いて、 その理由を納得した。大和平野の原野の真ん中で、ある日突然溶岩が吹き出し始め、それが徐々に盛り上がって現在の山形を造ったにちがいない。その様子が目に浮かぶ気がする。

傍山の裾野は王陵の地である。天皇陵に擬せられる複数の古墳が点在している。東部に神武(じんむ)天皇陵、北西部に綏靖(すいぜい)天皇陵、南西部に 安寧(あんねい)天皇陵、南部に懿徳(いとく)天皇陵が配されている。皇統でいえば初代から第四代までの天皇が、この地で眠っていることになる。そして、極めつけは、 畝傍山の東南に鎮座する橿原神宮である。神武天皇とその后・姫蹈鞴五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ)の命(みこと)を祭神とする。しかし橿原神宮がこの王陵の地に作られたのは、 比較的新しく明治になってからである。

前の皇国史観はいざ知らず、戦後の古代史では、 神武天皇とそれに続く八代は架空の天皇であるとして、その存在が否定されている。神武天皇以下の皇統譜は、七世紀の末に古事記や日本書紀の編纂者によって机上でねつ造された と言われている。こうした架空の天皇が眠る畝傍山の周囲は、普通の速さで歩けば一時間で一周できる距離である。ようやく春めいてきた週末の午後、ゆっくりと散策してみた。 以下はその時の印象記である。


2002/02/23作成by n-ohsei@bell.jp