平成25年3月26日

東京の桜の名所:飛鳥山、千鳥ヶ淵、小石川後楽園



■ 先週末に上野公園をはじめとして都内の桜の名所を何カ所か訪れた。だが、肝心な所を忘れているのに気がついた。皇居の北に位置する北の丸公園の縁に首都随一の桜の名所があった。千鳥ヶ淵の桜である。ここを訪れずして都内の桜巡りをしたとは言えまい。幸い天気予報がはずれて、本日は朝から青空が広がった。早速出かけてくることにした。

JRの線路脇にある飛鳥山公園の桜

飛鳥山公園の中の遊歩道


■ 自宅から都心へ向かうときは京浜東北線を利用する。東京都北区にはこの路線沿いに飛鳥山公園という区立の公園がある。その名の通り、飛鳥山という小さな丘になっているが、都内の桜の名所の一つに数えられている。サラリーマン時代を含めると47年もこの京浜東北線を利用してきたが、一度も飛鳥山に立ち寄ったことがない。「王子」駅の線路に沿って植えられた桜の木が見頃を迎えているのが車内から目に入ったので、途中下車することにした。

■ この公園は、享保5年(1720)に徳川吉宗が桜の木などを植えて整備・造成し、元文2年(1737)に庶民の行楽の場所として解放したことで知られる。明治6年(1873年)には上野公園・芝公園・浅草公園・深川公園と共に、日本最初の公園に指定されている。飛鳥山には3つの博物館がある。郷土資料を展示する北区飛鳥山博物館、旧王子製紙の収蔵資料を引き継いだ紙の博物館、そして園内に残る渋沢栄一の旧邸を利用した渋沢史料館である。

JRの線路沿いに花開く桜並木 飛鳥山の山頂へ続く遊歩道

■ 王子駅の南口から線路をまたいで飛鳥山の頂きに続く遊歩道をたどると、公園の中央に児童広場があり、その南に3つの博物館が並んでいる。

紙の博物館 北区飛鳥山博物館

飛鳥山博物館前の「平和の女神像」

■ 北区飛鳥山博物館の前に、桜の木に挟まれるように「「平和の女神像」が置かれている。日本と中国の国交正常化を記念し、人類の理想である平和と幸福を願って、関係団体が1974年に建立した像である。作者は長崎市の「平和祈念像」で知られる彫刻家の北村西望(きたむらせいぼう)氏。

渋沢史料館 飛鳥山公園内の遊歩道

■ 飛鳥山公園内に築かれた遊歩道は、王子駅へのショートカットでもある。道の両側に植えられた桜並木の満開の花を見上げながら、時折サラリーマン風の男が急ぎ足で通りすぎる。公園の北側に、王子駅中央口に降りる短いモノレール「あすかパークレール」が設置されていて、それを利用すればすぐに山を下りられる。。

飛鳥山公園の中の桜並木



皇居西側の千鳥ヶ淵緑道は濠の水面に向かって見事な枝を伸ばす老桜の並木道

千鳥ヶ淵にボートを浮かべて桜見学を楽しむ人たち


千鳥ヶ淵周辺地図

■ 都内の桜の名所として第一位に挙げられるのが、皇居西側の千鳥ケ淵に沿う全長約700mの千鳥ヶ淵緑道である。千鳥ケ淵戦没者墓苑入口から靖国通り沿いの麹町消防署九段出張所まで続き、ソメイヨシノやオオシマザクラなど約260本の桜が、遊歩道を歩く人の頭上に咲き乱れ、桜のトンネルを作る。桜の見頃には、大勢の見物客が訪れ、混雑時には入場制限がかかる場合もあるという。なぜか、最寄りの駅は地下鉄の「九段下」だが、JRの「王子」駅で地下鉄南北線に乗り換え、さらに「飯田橋」駅で地下それが億劫で今まで見学に出かけたことがない。

■ 地下鉄東西線の「九段下」駅で下車して地上に出ると、そこは靖国通りである。地上に出た途端に、見学者の人の波が皇居の濠に沿って延々と続いている。この付近は皇居の田安門と清水門の間に築かれた牛ヶ渕だが、両岸から濠の水面に向かって枝を伸ばす桜の老木が見事な花を咲かせている。見学者は撮影に余念がなく、行列がなかなか先へ進まない。

牛ヶ渕の桜 同左

牛ヶ渕に枝を垂れる老木の桜

田安門前で桜見学を楽しむ卒業式を終えた女子大生 千鳥ヶ淵の水面にボートを浮かべてのんびり桜見物

■ 千鳥ケ淵緑道にはソメイヨシノやオオシマザクラなど約260本の桜が植えられている。いずれも巨木である。遊歩道を歩く人の頭上に咲き誇るだけでなく、濠沿いに身を乗り出すように花開く姿は壮麗そのものだ。日没後のライトアップでは、青白く輝く美しい夜桜が満喫できるそうだ。最盛時には、年間100万人の見物客が訪れる都内有数の桜の名所である。

桜の白と椿の赤の競演(?) 千鳥ヶ淵緑道の桜のトンネルを楽しむ見学者の群れ

まさに春爛漫を絵に描いたような千鳥ヶ淵

■ 靖国神社は千鳥ヶ淵に近いので、戻り道の途中で立ち寄ってみた。靖国神社と桜との関わりは古く、明治3年に木戸孝允がソメイヨシノを植えたのが始まりとされている。現在、境内にはソメイヨシノをはじめ、山桜、寒桜など約600本の桜があるそうだ。相変わらず参拝客が多く、表参道には屋台の店ばかりが目立つ。しかし千鳥ヶ淵の桜を見た後では、どこに桜の木があるのかといった印象を受ける。

靖国神社の拝殿前 能楽堂の脇にある桜の標本木

■ 靖国神社に立ち寄ったのは、東京の桜の開花を観測している標本木が境内にあると最近テレビで知ったからだ。標本木は神門を入って右手の能楽堂の脇にあり、能楽堂に向かって枝を延ばしていた。標本木に5〜6輪の花が咲くと、気象台が東京の桜の開花を発表する。今年は3月16日だった。




水戸徳川家の第二代藩主・徳川光圀が完成させた水戸上屋敷の小石川後楽園

小石川後楽園を桜の名所にしている推定樹齢60年のしだれ桜


■ JR総武線の「飯田橋」駅から徒歩約8分のところに小石川後楽園がある。江戸時代の初期にあたる寛永6年(1629)に水戸徳川家の祖である徳川頼房がその上屋敷に築いた庭園で、第二代藩主の光圀はその庭園を改修して完成させたとされている。後に五代将軍徳川綱吉の寵臣・柳沢吉保が下屋敷に築いた「六義園」と同じく、池を中心にした回遊式築山泉水式の庭園である。

■ 徳川光圀は、造成に際して明国の遺臣・朱舜水の意見を用いて、円月橋や西湖堤など中国の風物を随所に配した。そのため中国風の趣味豊かな庭園ができあがったが、さらに庭園の名前も朱舜水の推薦に従って「後楽園」と名付けた。出典は北宋の政治家・范仲淹(はんちゅうえん)が書いた『岳陽楼記(がくようろうき)』の中にある「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によっている。

■ 第15代将軍・徳川慶喜は天保9年(1837)9月にこの江戸小石川水戸藩邸で生まれた。幕末の多難な時期に波乱に富んだ一生を送った最後の将軍は、大正2年(1913)に77歳で没した。今年は慶喜没後100年にあたる。明治2年(1869)の版籍奉還のとき、彼は水戸藩邸を新政府に奉還した。その藩邸は大正12年(1923)3月に、国の史跡および名勝に指定された。その際、岡山藩主・池田綱政が造営した岡山市にある後楽園と区別するために、「小石川後楽園」と呼ぶようにした。しかし、関東大震災と第二次世界大戦で損傷を受けたので戦後整備され、昭和27年(1952)改めて特別史跡および特別名勝に再指定された。

小石川後楽園の入口 入口を入ってすぐの所にあるしだれ桜

■ 小石川後楽園では、大泉水の護岸修復工事はほぼ完了しているが、まだ内庭など各地で修復工事が行われていて、正門は閉鎖されている。南西の角にある入口の両側は築地塀が延びている。その下部の石垣は、江戸城の外堀の石垣を再利用し、江戸時代初期の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積みの技法で再現したものだそうだ。入口を入ると直ぐの所に、ピンクの花をつけたしだれ桜が枝を垂れている。だが、雑誌などで後楽園のしだれ桜として紹介されている推定樹齢60年の名木とは、いささか枝振りが異なる。

推定樹齢60年のしだれ桜 同左

■ 見学者の一人に聞いて見ると、そのしだれ桜は左手の大堰川を模した流れの近くにあった。見事な枝振りだが、すでに見頃を過ぎてかなり花びらを散らしていた。しだれ桜はソメイヨシノより開花時期が早い。

大堰川側から見たしだれ桜 大泉水側からの景観

蓬莱島と手前の大徳寺石 修復中の内庭

■ 小石川後楽園の庭園は内庭と後園(後楽園)に分けられる。後園の中央に亀の形をした蓬莱島が築かれ、先端に大きな鏡石が置かれている。庭師大徳寺佐兵衛にちなんで「大徳寺石」と呼ばれ、弁財天を祀った祠(ほこら)がある。内庭は水戸藩邸の書院の庭だったところで、江戸時代には「うちの御庭」と呼ばれていたそうだ。江戸時代の大名庭園がほとんど無くなってしまった現在、書院の庭が旧態のまま残っているのは貴重であり、現在大がかりな修復工事が行われている。





2013/03/26作成 by pancho_de_ohsei

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