例年より開花が遅い奈良のサクラを追いかけて・・・

撮影 平成23年4月3日〜4月14日

奈良市内にある氷室神社のシダレ桜 (2011/04/03)

■ 奈良県の数ある桜の名所の中でも、氷室神社境内の樹齢100年のしだれ桜は開花が最も早い。去年の見頃の時期は3月下旬だった。今年は他の桜はまだ咲き始め、五分咲きといった段階なのに、氷室神社の桜は先陣を切って早くも満開の時期を迎えた。その咲き方が豪快である。大勢の観光客が巨木を見上げながらカメラのシャッターを切っていた。

「郡山城址公園」の御殿桜 (2011/04/04>

■ 大和郡山市にある「郡山城址公園」は平成2年に桜名所100選に選ばれた。この城の桜は、豊臣秀長が多武峰の談山神社を郡山に遷座したとき、桜も城内に移したのがきっかけとされている。その後、柳沢吉里が1724年に郡山城に入ったとき、多くの桜を植えた。花の時期には藩士や町民が御殿桜と呼んで楽しんだという。ソメイヨシノ、大島桜、山桜、かすみ桜、しだれ桜など種類は多い。

■ 例年、満開の桜の下で「お城まつり」が盛大に行われる。今年は開花が遅れた。お城まつりの最終日は4月3日だったが、花はまだ五分咲き程度である。本日訪れたとき、すでに飾りのボンボリの片付け作業が進んでいた。その中にあって、二本の木が満開の花を咲かせていた。

橿原市小房町付近の飛鳥川堤防の桜 (2011/04/05>

■ 筆者にとって最寄りの桜の名所といえば、小房観音の近くを流れる飛鳥川の堤防である。堤の両側に植えられたソメイヨシノがすでに巨木に成長し、枝を張り出して花のトンネルを作ってくれる。特に花の散る頃が良い。堤防の上の小径は白の絨毯を敷き詰めたように、花びらでいっぱいになる。本日見た限りではまだ八分咲きといったところで、花びらが散り始めるのはもう少し先だ。

大神(おおみわ)神社の大美和の杜(おおみわのもり)の桜 (2011/04/05>

■ 奈良県の桜の開花情報で、本日現在満開の表示が出ている箇所が氷室神社の他にもう一箇所あった。それが大神(おおみわ)神社である。はて、大神神社に桜の木などあったっけ? 今までに何度も大神神社に参拝しているが、境内に桜の木など見かけたことがない。気になったら、確かめたくなるのが性分である。さっそく、愛用のチャリンコを駆って出かけることにした。

■ 大神神社の桜は、大国主神の和魂(にぎたま)である大己貴神(おおなむちのかみ)を主祭神として祀る大神神社の境内にはない。その北に大国主神の荒魂(あらたま)を祀る狭井(さい)神社がある。狭井神社の前に池を挟んで展望台があり、そこからかなり下ったところが大美和の杜である。5本ほどの桜の木があったが、その中の一本はすでに花びらを風に散らしていた。

大神神社のご神体三輪山を遠望 大美和の杜展望台からの眺望

大美和の杜の桜 桜の花の下での宴会模様

阿倍文殊院のしだれ桜 (2011/04/05>

■ 大神神社からの帰り、阿倍文殊院に立ち寄った。桜情報ではまだ五分咲きの段階とのことだったが、金閣浮御堂が浮かぶ文殊池の周囲には桜が植林されている。浮御堂は安倍仲麻呂を祀るために建立されたもので、仲麻呂堂ともいう。満開の頃は桜に囲まれて見事な姿を水面に浮かべるはずだ。残念ながら、まだ時期が早かった。ただ、、昨年春に「阿倍仲麻呂公望郷詩碑」が建立されたのを記念して、「天空の庭・高見の郷(吉野郡東吉野村杉谷)」から移植されたシダレ桜が、けなげにピンクの花を咲かせていた。”仲麻呂望郷しだれ桜”と言うそうだ。

仲麻呂望郷しだれ桜と浮御堂 仲麻呂望郷しだれ桜(拡大)

表参道の桜並木 本堂横の桜

高田川の河畔に植えられた1000本桜 (2011/04/07>

■ 葛城山の東山麓に源を発する高田川は、近鉄南大阪線の手前で小柳川と甘田川の細流と合流すると、大和高田市の市街地を北に向かって貫流する。大和高田市は昭和23年(1948)に市制を施行したが、それを記念して市民のボランティアが高田川の河畔に桜の木を植樹した。それから60有余年、大和高田市の礒野(いその)から神楽(じんらく)附近まで約1kmの河畔に、今では大きく成長した桜が、毎年見事な花を付け、千本桜として内外に知られている。

高田橋から下流の桜並木 高田橋から高田川の上流を見る

■ 桜の咲く頃、大中(おおなか)公園には多くの屋台が並び、夕闇とともにボンボリのほのかな灯りに美しく浮ぶ夜桜見物の人の波は絶えることがないという。だが、今年は3月11日の関東東北大震災の影響で点灯を自粛している。すでに7分咲きと聞いて本日出かけてきた。最寄りの駅はJR桜井線の「高田」駅。西口から3つ目の信号で有田橋に致る。そこから遊歩道を歩いて大中公園まで南下した。露天が店を連ねる桜並木が大勢の見物人で賑わっていた。

高田川河畔の遊歩道 川の流れを覆う両岸の桜の枝

大中公園遠望

ボンボリに灯が入れば美しい桜並木 川原から見上げた高田川の堤

竜田川にかかる岩瀬橋から望む三室山の桜 (2011/04/07>

岩瀬橋付近
■ 古より紅葉の名所として知られる滝田川が大和川と合流する手前に「三室山」がある。能因法師が次の歌を詠んだことで知られている。
嵐吹く 三室(みむろ)の山の もみぢ葉は 龍田(たつた)の川の 錦なりけり

■ 最近は三室山も桜の名所として知られているようだ。初夏を思わすような暑い日差しが降り注ぐ一日だったが、ついでにJRで「高田」から「王寺」まで足をのばし三室山を見学することにした。王寺駅から東へ進むと、大和川に架かる昭和橋がある。昭和橋を渡って斑鳩町に入り、国道168号線の緩やかな坂道を上っていくと、やがて坂道の頂上付近に「三室」交差点があり、そこを右折して坂を下ると竜田川にかかる岩瀬橋に出た。

■ 岩瀬橋が三室山の桜見物のスポットだという。橋の上に立つと、三室山の山麓を流れる竜田川の河畔と三室山の半分を覆う約300本の桜を一望に眺めることができた。ただ残念だったのは、晴れていた空に雲が湧き、曇り空の下での桜見物となった。

岩瀬橋の中央部から見た竜田川両岸と三室山の桜

三室山の斜面を覆う桜・桜・桜 竜田川の岸で憩う見物客

まだ蕾のままの古刹仏隆寺の千年桜 (2011/04/10>

(参考)満開時の千年桜
■ 宇陀市榛原区赤埴(あかばね)にある摩尼山仏隆寺は、平安前期の嘉祥3年(850) 弘法大師の高弟・堅恵(けんね)大徳によって創建、その後奈良興福寺の別当・修円僧都によって再建されたと伝えられる古刹である。その197段の自然石を積んだ石段の参道は、談山神社、室生寺の石段とともに大和三名段とされている。

■ 石段の両側に彼岸花が咲く咲く9月が、この古寺の最も美しい時期である。しかし、春にも石段横にある「千年桜」と呼ばれている桜の巨樹が咲かせる見事な花を一目見ようと、多くの観光客が訪れる。

■ 例年なら今頃見頃を迎える千年桜なので本日出かけてきた。他の桜は咲き始めていたが、千年桜はまだ固い蕾のままで、開花は一週間ほど先とのことだった。

大和の三名段の一つ仏隆寺の参道 参道脇に聳える「千年桜」

まだ固い蕾のままの千年桜 他のサクラは咲き始めていた

■ 県教育委員会が立てた解説板によれば、この桜の巨樹はヤマザクラと考えられていたが、開花期に鑑定したところ、実はヤマザクラとエドヒガンの雑種であるモチツキヒガンの一種であることが判明した。しかし、このモチツキヒガンは、花柱に毛がなく、萼筒のふくらみが円筒状楕円形をして長いなど、ヤマザクラの形質もそなえていて学術上貴重な巨樹であるとのことだ。根まわり7.7m、根株から2mのところで大小11本に分岐し、分岐枝の最大のものは幹まわり1.2mもあり四方に枝を広げている。樹勢は衰えておらず、県下で最大最古の株とされていて、昭和58年3月に県の天然記念物の指定を受けた。

仏隆寺の山門 開祖堅恵(けんね)の入定所

■ 仏隆寺の開祖とされる堅恵(けんね)は、弘法大師・空海の弟子の一人でる。延暦23年(804年)に留学僧として入唐し空海に随行して彼も唐に渡った。そして、第12代皇帝徳宗(在位779-805)から茶臼と茶の種を拝受し、帰国して仏隆寺を創建すると、山内に苔の園という「茶園」を造ったという。茶樹の栽培については古くより各地で伝承されているが仏隆寺の伝承は最も古く、京都、埼玉、静岡、九州の茶樹の栽培の源はこの寺から始まったとされている。

千年桜の根元に咲いていた椿の花
■ 堅恵がいつ入寂したかは伝えられていない。境内には貞観時代(859-876)に造られた石室があり、開祖堅恵の入定所とされている。規模は正面7m、奥行5m、高さ4.5mで、宝形の屋根を石で積んでいる。







宇陀川の清流を望む大野寺の境内に咲き乱れる「垂枝桜」 (2011/04/11>

大野寺の山門
■ 寺伝では、弘法大師が天長元年(824)に室生寺を開いた時、西の大門として一宇を建て本尊として弥勒菩薩像を安置し慈尊院弥勒寺と称したのが当山の始まりとされている (ちなみに、昨日訪れた仏隆寺は室生寺の南の大門とされている)。一説には、白鳳9年(681)に役の小角(えんのおづぬ)が開いたとも言われている。宇陀郡室生村大野の位置していることから地名をとって大野寺と呼ばれているが、一般には桜の寺として知られている。

■ 境内には多くの桜の木が植えられているが、メインは山門脇と境内中央に植えられたしだれ桜であろう。見頃の時期を迎えると、天空から垂れ下がった柳のような枝が風に吹かれて静かに揺れる。見ていて見事と言う他ない。塀際に植えられた紅しだれの若木も存在感を示している。

境内にある二本のしだれ桜の巨木 山門脇のしだれ桜

境内中央のしだれ桜の巨木 塀脇の紅しだれ桜

宇陀川の清流を挟んで対岸の岸壁に刻まれた磨崖仏
■ 鎌倉時代に入って承元元年(1207),、対岸の岸壁に巨大な弥勒像が刻まれた。発願主は興福寺の雅縁大僧正で、後鳥羽上皇に奏上し、上皇の勅願によって造立されたという。

■ 岩の高さは約100尺(33m)。そこに高さ45.5尺(13.8m)の挙身光式の凹みを切り込み、その内面を水磨きをし、弥勒仏の立像を先刻した。日本の石仏史上重要な遺構とされている。

■ 明治32年(1899)生まれのホトトギス派の俳人・阿波野青畝(せいほ)は,次の句を詠んでいる。
春山の 巨岩弥勒と なり給ふ 青畝
この句を刻んだ碑がしだれ桜の根元に立っている。

大野寺の境内から拝む大磨崖仏 大磨崖仏(拡大)

「花の御寺」長谷寺の春を彩る浄土の桜 (2011/04/11>

真言宗豊山派の総本山長谷寺
■ 桜井市初瀬の小初瀬山の中腹に位置する真言宗豊山派の総本山長谷寺は、「花の御寺」の名で知られ、春は桜に牡丹、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は寒牡丹と年間を通して花々が境内に彩りを添えている。桜は今が満開というので、大野寺の帰りに途中下車して立ち寄った。

■ 寺伝によれば、朱鳥元年(686)道明上人が天武天皇のために「銅板法華説相図」を初瀬山の西の岡に安置したことが長谷寺の始まりとされている。その後、奈良時代の神亀4年(727)、徳道上人が聖武天皇の勅願によって本尊の十一面観音菩薩像を東の岡に祀って開山したという。

長谷寺の仁王門 399段の石段が続く登廊

■ 徳道上人は近江国高島から来た楠の霊木を用いて約10mあまりの観音像を三日間で作り上げたと言われ、全国に広がる長谷観音の根本像とされている。現在の像は、天文7年(1538)に東大寺仏生院実清良学の作と伝えられている。下って天正16年(1588)の頃、専誉僧正が入山してから長谷寺は発展し、関係寺院三千寺を有する真言宗豊山の総本山として現在に至っている。

総本山長谷寺の本堂 本尊の十一面観世音菩薩

長谷寺の五重塔 花吹雪が舞う五重塔付近

奈良公園の鷺池に浮かぶ檜皮葺きの浮御堂を囲む桜 (2011/04/12>

鷺池の縁に咲き誇るオオシマザクラ?
■ 奈良公園の春は桜と鹿の組み合わせがよく似合う。しかし、桜の木のしたに集う鹿の群れをスナップにおさめようとしても、なかなか思うような構図を取ってくれない。

■ 奈良公園の桜の名所は鷺池に浮かぶ浮御堂付近と聞いて訪れた。旧浮見堂が老朽化したために平成3年から平成6年にかけて3年がかりで修復し、その美しさを今によみがえらせたのが現在の浮御堂である。今年の2月から行われていた橋の工事も終了し、春の陽気に包まれていた。


浮御堂に彩りを添える周囲の桜 同左

新しく作り替えられた橋 同左

春の日差しを受けてのんびりくつろぐ鹿 明るい日差しのもとで描く春

■ 奈良国立博物館の裏に珍しいムクロジの木があった。幹周り4.58mの巨木の途中から4本の竹が空に向かって伸びている。ムクロジの中心にある空洞に顔を出したタケノコがそのまま伸びたものと思われる。ひょっとしたら、今年あたりは新しい竹が顔を出すかもしれない。

裏道を行く観光用人力車 ムクロジの幹の中から顔を出した4本の竹

香具山の万葉の森に春を告げる桜展示園 (2011/04/13>

香具山遠望
■ 橿考研附属博物館の情報コーナーで、奈良のサクラの名所めぐりをしていると受付の女性に話したら、近くにも桜のきれいなところがあると紹介してくれた。香具山の万葉の森の中にある桜展示園である。香具山なら自転車で10分もあれば行く事ができる。以前に「万葉の森」を訪れたことがあるが、そこに「桜展示園」あるとは知らなかった。

■ 教えて貰ったのは数日前だから、ここ数日続いた陽気で見頃は過ぎたかもしれないと思った。でも、陽気に誘われてとりあえず出かけて見ることにした。彼女の話では、香具山の北にある古池の脇を通る遊歩道から自転車でアクセスできるとのことだった。たしかに、花びらは相当散っていたが、まだ見頃の名残をとどめていた。

万葉の森への途中にある古池 古池の傍らの丘に花咲くモモ園

万葉の森の桜展示園 同左

桜展示園のヤマザクラ 桜展示園のヒカンザクラ

桜の国の桜の名所・吉野山の下の千本、中の千本 (2011/04/14>

近鉄吉野駅前から花見に向かう観光客の群れ
■ 桜の国の桜の名所として、誰しも一位にランクする吉野山。下の千本/中の千本/上の千本/奥の千本を合わせるとその数ざっと6万本。毎年4月上旬に下の千本が見頃の時期を迎えると、下の千本から奥の千本に向かってすこしずつ花期をずらして桜が咲き登るため、4月一杯花見客で賑わう。

■ 蔵王権現のご神木・山桜の満開を御本尊に報告する花供懺法会・花供会式はすでに終わったが、桜情報でやっと下の千本と中の千本に「満開」のシールが貼られた。それを見て、本日の早朝吉野山に向かった。馬の背のような尾根に並ぶ商店街は相変わらずの賑わいを見せていた。

ケーブルカーから見た下の千本 同左

金峯山寺蔵王堂の桜 金峯山寺蔵王堂を吉水神社付近から遠望

中の千本桜遠望

吉水神社境内の桜の見所「一目千本」 一目千本から見た中の千本桜

一目千本から見た中の千本桜 一目千本から見た如意輪寺(拡大)

本郷の瀧桜、または又兵衛桜の名で親しまれているシダレザクラ (2011/04/14>

■ 戦国武将の後藤又兵衛は、元和元年(1615年)5月の大坂夏の陣で討ち死にしたはずだが、宇陀市の大宇陀区本郷には、又兵衛がこの地に落ち延びて僧侶となり一生を終えたという伝説が残っている。その屋敷跡とされる場所に樹齢300年のシダレザクラが毎年見事な花を咲かせるので本郷の瀧桜、または又兵衛桜という名で親しまれている。

本郷の瀧桜、またの名は又兵衛桜

■ 近鉄「榛原」駅から「大宇陀」行きのバスに揺られることおよそ20分、終着駅の一つ手前の「大宇陀高校」で下車して、約1キロの道を歩く。谷を吹き抜ける風が頬に心地よい。やがて前方で風にそよぐシダレザクラが見えてくる。

又兵衛桜へのアクセス 麓で見上げる見物客

瀧のように流れるシダレザクラ 同左

又兵衛桜の背後から彩りを添えるモモの林 又兵衛桜を描く





2011/04/14作成 by pancho_de_ohsei

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