2010 04 09 
春爛漫、湖東にそびえる彦根城の国宝天守閣


R東海道線の「彦根」駅から西北西方向に徒歩およそ13分、小高い丘の上に井伊彦根藩の居城だった彦根城がそびえている。学生の頃、田舎から来阪するたびに車窓から白亜の天守閣を遠望したが、この年になるまで訪れたことがない。たまたま奈良から自宅に戻る途中、知人に誘われて途中下車し、彦根城の桜を見学することになった。現在、彦根城では桜祭りが開催中で、城を中心に約1200本の桜が満開の時期を迎え、一年で一番美しい時期だという。

彦根城観光案内図
彦根城観光案内図

根城といっても、筆者の頭には、幕末の安政7年(1860)、江戸城桜田門外で水戸浪士の襲撃で暗殺された大老職の井伊直弼(いいなおすけ)の事ぐらいしか知識がない。知人の話では、井伊彦根藩の初代当主は、常に徳川軍の先鋒を務め徳川四天王の一人とされた井伊直政(なおまさ)だそうだ。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、直政は上野箕輪城12万国から近江佐和山城18万石に転封された。家康は、非常時に皇室を守るため、京都に近い彦根に代々勤皇の家柄である井伊家を配したという。そして、石田三成の居城だった佐和山城を一掃し、近くに彦根城の築くことを命じた。当初、彦根城はもっと湖畔に築かれる予定だったが、慶長9年(1604)に二代目当主・井伊直継(なおつぐ)の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されたそうだ。

彦根城の天守閣
彦根城の天守閣
城にあたって、天守閣は大津城から、天秤櫓(てんびんやぐら)は長浜城から移築し2年足らずで完成したが、表御殿の造営や城郭改造、城下町などの完成は元和8年(1622)までかかった。三代目当主の井伊直孝(なおたか)は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治の確立に貢献した。こうした功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となった。しかし、一般には彦根35万石と称されている。これは、井伊家の所領のほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となるためだ。

治になって、彦根城は解体の危機に見舞われた。それにも拘わらず生き延びれたのは、明治11年10月、明治天皇が北陸巡幸を終えて彦根を通られたとき、保存するよう大命を下されたためとされている。その背景には、随行した参議の大隈重信が城の消失を惜しみ、天皇に奉上したとする説があるようだ。

井伊家に伝わる「彦根屏風」のジャンボプリント(部分)
井伊家に伝わった「彦根屏風」のジャンボプリント(部分)
の真偽はともかくとして、近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城だけである。このうち、松本、犬山、彦根、姫路の4城の天守閣が国宝の指定を受けている。現在の彦根城は、築城以来5回目の大改修を平成8年に完了して、美しく蘇った姿を見せている。

上の予備知識を得て、JR彦根駅の改札を出ると、いきなり巨大な風俗画が出迎えてくれた。井伊家に伝わってきた「彦根屏風」のジャンボプリントである。寛永期(1624-44)の風俗が描かれ興味深い。実物は彦根城博物館に所蔵され、年に一回公開されるとのことだ。


 桜見物の前に先ず腹ごしらえをと、駅前のデパートの
 レストラン階に上った。彦根城を見渡す窓際に数頭の
 馬の模型が置かれていた
 いずれの馬も、田賀祭りや近在の祭りに引き回される
 時の飾り衣装をまとって展示されていた。

 駅前広場の井伊直政の銅像。遠江国井伊谷の出身
 の武将で, 戦国屈指の精鋭部隊率いて徳川四天王の
 一人として活躍した。井伊彦根藩の初代藩主。
 明治9年に官祭招魂社として創建された護国神社。
 神社の前の桜は見事。

 表門橋に向かう中程の沿道の松並木。47本あったの
 で「いろは松」と呼ばれた。ただし、現在残っている
 のは33本。
 いろは松の間から眺めた中堀。堀の淵に植えられた桜
 並木が美しい。

 いろは松とは反対側の中堀の淵に建つ埋木舎(うもれぎの
 や)。井伊直弼が青春時代をこの館で過ごしたことで
 知られる。
 いろは松の先は佐和口に向かって延びている。佐和口
 の左に延びる白壁の櫓(やぐら)が重要文化財の指定を
 受けている多聞櫓。

 佐和口を入ると内堀にぶつかる。内堀に沿って桜が植
 得られており、左へ進むと表門橋に達する。
 内堀をノンビリと周航する屋形船。屋形船の中から眺
 める堀端の桜も風情があるにちがいない。

 表橋門手前に重要文化財の馬屋がある。元禄時代に建
 てられ、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていた。
 現在の建物は昭和43年に解体修理されたもの。
 古い文献などを参考に、3年かけて平成16年に再建
 された表門橋。

 管理事務所で入場券を買って一の丸に入ると、表門山
 道が長々と続く。
 表門参道を登り切ると、左手の鐘の丸と右手の天秤櫓
 を結ぶ廊下橋の下をくぐる。非常時には、この橋を落
 として敵の侵入を阻止する目的で架けられた橋である。

 廊下橋を過ぎると鐘の丸と呼ばれる独立した曲輪(く
 るわ)がある。現在は太鼓櫓門の下にある時報鐘が、
 築城当初はここにあったため鐘の丸と呼ばれている。
 廊下橋は天秤櫓(てんびんやぐら)の中央に取り付い
 ている。この橋を中央にして両隅に2階建ての櫓が建
 てられていて、まるで天秤のような形をしているので
 天秤櫓と呼ばれている。

 天秤櫓は大手門と表門から上ってくる道が合流する要
 の位置に建てられた櫓である。内部の柱の表面はいず
 れも鉋(かんな)仕上げではなく、チョウナの跡が美
 しい。この櫓の高石垣の積み方が左右で異なる。右手
 の石垣は越前の石工たちが築いた築城当初の「牛蒡
 (ごぼう)積み、左手の石垣は幕末の嘉永年間に積み
 替え切石の落とし積みとなっている。
 太鼓門櫓は本丸への最後の関門。登城合図用の太鼓が
 置かれた。

 どっしりとした牛蒡積みと呼ばれる石垣の上にそびえる三階三重の天守閣。京極高次が築いた大津城
 から移築されたもので、完成は慶長12年(1607)とされている。通し柱のない造りで、急な階段を伝って
 最上階まで登れる。昭和27年に国宝に指定された。

 天守閣の内部に安置された井伊直弼の像  天守閣の牛蒡積みの石垣

 天守閣の背後にある西の丸の橋に掘られた大堀切に架
 かる橋。この橋を通り過ぎると、その先に長々と下る
 山崎山道が続く。
 内堀にかかる黒門橋。西の丸から黒門山道を下ってき
 てもこの橋に出る。橋を渡ると金亀公園や楽々園、玄
 宮園がある。

 名勝玄宮園。城の北東に築かれた大名庭園で、第四代
 当主直興が延宝5年(1677)に造営した。近江八景を模
 して造られた縮景園である。
 玄宮園の中の龍臥橋から茶室鳳翔台(左)と臨池閣
 (右)をのぞむ。

 内堀の淵の桜並木の下で盛り上がっている花見の宴  最後に休息したいろは松近くの喫茶店からの彦根城遠望




2010/04/10作成 by pancho_de_ohsei return