秩父を訪れ宝登山と長瀞岩畳を散策、その後、秩父夜祭の宵宮へ

撮影 平成21年12月2日

小春日和を思わせる陽気に誘われて・・・・

走に入ると、関東地方は昨日に続いて本日も日差しが暖かく風もない好天に恵まれた。
 我が家に隣接する小さな公園の木々が、枯葉を落とした枝を澄み切った青空に向けて突き刺していた。その景観をガラス越しに眺めて、家内がポツリと言った。
「宝登山(ほとざん)に行ってみたい」
「そうだね、こんな天気の日に家の中にくすぶっているのは”もったいない”ね。出かけよう」
 宝登山は、ライン下りで知られる埼玉県長瀞町にある標高497mの山である。山頂付近には梅園や蝋梅(ろうばい)園、小動物園などがあり、中腹までは宝登山ロープウエイが架設されている。

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蝋梅(ろうばい)。
宝登山はロウ細工のような花弁をつけることから蝋梅と
名付けられた花の名所である。
毎年2月になれば遊歩道の両脇に黄色い花を咲かせる
ぜ宝登山に登りたいのかは聞かなかった。
 彼女は最近、進行性胃ガンと診断され、全摘出手術を受けるために入院したが、手術を行わずに2日前に退院してきたばかりである。
 手術直前に腹部に内視鏡を入れて内臓の各部を調べた段階で、ガン細胞の転移が見られた。執刀医はすべての転移箇所を取りきるのは無理と判断して手術を断念した。彼の見立てによると、家内の余命は残り4ヶ月と診断された。
 残る手段は、抗ガン剤投与やコバルト治療などによる延命治療だが、これには個人差がある。平均的な数値では12ヶ月から14ヶ月とのことだ。

内の者が不治の病に冒されるとは、家族の誰もが想像もしていなかった。
 胃ガンと診断された時点でも、胃の摘出で病魔を駆逐できるのでは・・・と淡い希望を抱いた。それだけに、手術が行えず余命4ヶ月と知らされた時の家族のショックは大きかった。息子などは、その瞬間に身体を震わせ大きく喘いだ。

に戻った彼女は、以前とかわらず主婦業をこなしている。
 一通りの家事をこなした後は、こたつで暖を取りながら、テレビのバラエティ番組を見て声を立てて笑っている。
 だが、彼女の内部ではガン細胞が刻一刻とその命を縮めていると思うと、陽気に振る舞おうとしている姿を見るのがつらい。
 彼女の期限を切られた余命を如何に悔いなく過ごさせてやるかが、家族の共通の命題となった。

の一つは、元気で歩けるうちは、気晴らしを兼ねて希望する所へできるだけ連れ出そうということだった。その最初の試みが、本日の宝登山(ほとざん)行きである。

 秩父連山を望みながらの宝登山散策

●宝登山神社の大鳥居 ●大駐車場の近くにある長瀞山五大院不動寺

子の運転で、朝の9時すぎに家を出た。関越自動車道の花園ICで一般国道140号線に降りて、後は荒川の上流に向かって車を走らせた。宝登山ロープウエイの山麓駅駐車場には11時に着いた。丁度11時発のロープウエイが出たばかりだったので、次の便まで駐車場の近くにある不動寺を見学した。
 不動寺は不動明王を本尊として祀り、合わせて五大明王を奉斎する寺である。参道の両脇に垂れ梅が植えられ、撫子(なでしこ)の寺としても知られている。

●宝登山ロープウエイの山麓駅 ●ロープウエイの途中で山頂駅を望む

●山頂駅から長瀞町を望む ●ロウバイの枯葉を取り払っている職員

登山の山麓と山頂を結ぶ全長832mのロープウェイは、日中は30分間隔で運行し、約5分で標高453mの山頂駅に到着する。
 高度が上がるに従って、眼下に長瀞町が眺められ、その向こうに秩父連山が峯を連ねていた。山頂駅に着いて広場に出ると、山頂の宝登山神社奥宮に続く遊歩道の周囲を、ロウバイ園があり枯葉を付けた木々が埋め尽くしていた。
 見ると、町の職員と思われる男性が数人、ロウバイの枝から枯葉をむしり取っている。
 なぜ枯葉を取っているのかと聞くと、「葉っぱが落ちてくれいないからさ」と分かったような分からないような返事が返ってきた。
 どうやら枯葉が枝についたままだと、せっかくロウバイが花をつけても目立たないため、今の時期に枯葉を取り払っているようだ。
 枯葉を取り去った枝の先端には、ロウバイの蕾がふくらみかけていた。所々に、一輪の花をつけた木もあった。

●宝登山神社奥宮の鳥居 ●宝登山神社奥宮の簡素な社殿

登山の山頂には、宝登山神社の奥宮が祀られている。奥宮に参拝するルートは2つある。正面の石の階段を登るか、ロウバイ園の中の遊歩道を行くかである。
 社殿によると、景行天皇の41年、ヤマトタケルが勅命によって東国を平定した際、神武天皇陵を遥拝しようとこの山の頂を目指して登ってきたそうだ。そのとき、一匹の大きな山犬が出てきて道案内をしてくれた。

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山麓の宝登山神社
攀の途中で、東北方面から猛火が押し寄せてくるのに出遇って、ヤマトタケルは進退をどうすることもできない状態に陥った。そのとき山犬は猛然と火中に跳入り、火を消し止めてくれた。そのため、ヤマトタケルは無事頂上へ登り遥拝することができた。
 ヤマトタケルはその犬に大いに感謝したところ、犬は忽然と姿を消してしまった。そうした故事に基づいて、この山は「火止山(ほとさん)」と呼ばれるようになった。それが何時のころか宝登山の字が当てられるようになったとのことだ。

なみに、ヤマトタケルは巨大な山犬が大山祇神(おおやまづみのかみ)の神犬であった事を知り、また防火守護のため火産霊神(ほむすびのかみ)と神武天皇の三柱を祀るために、山麓に社殿を建てた。これが宝登山神社の起源となったと伝えられている。

 隆起した結晶片岩が形作る長瀞の岩畳

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長瀞岩畳
瀞町を流れる荒川の上流は、長瀞ライン下りで知られる観光の名所である。
 その川岸に国の特別記念物に指定された岩畳がある。隆起した結晶片岩で形づくられた広大な岩石の帯である。

食は、その長瀞岩畳でとることにした。宝登山の大鳥居からまっすぐ川岸に向かうと、土産物屋が並ぶ岩だたみ通りがあり、その先に岩畳に降りる階段が設けられている。
 昼食といっても、家を出る前に家内が残りご飯で急いで作ったニギリメシである。だが、滑らかな壁面に腰掛けて、自然が作り上げた芸術品ともいえる景観を前にすると、口にするニギリメシの味は格別だった。
 すでに紅葉の時期を過ぎた平日の観光地では、川船で川下りを楽しむ観光客もいないらしい。川船が岸辺に舫(もやい)であった。

●長瀞岩畳への降り口 ●観光客を待つ長瀞ライン下りの川船

●岩畳で青く淀んだ瀞 ●流れに突き出た岸壁の上

●岩畳の中程から上流を望む ●対岸の秩父赤壁と呼ばれている絶壁

 秩父夜祭りの宵宮の宮参り

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日本三大曳山祭の一つ秩父夜祭のポスター
年12月2日と3日に行われる秩父夜祭は、京都祇園祭、飛騨高山祭と並んで日本三大曳山(ひきやま)祭の一つとして有名だ。
 本日が秩父夜祭の宵宮であることは、石畳商店街に張り出されたポスターを見るまで迂闊にも気づかなかった。
 宵宮では昼頃から宮地・上町・中町・本町の屋台(やたい)が、それぞれの町内を曳き廻され、秩父神社への宮参りが行われる。

のハイライトは3日の大祭である。午前中はこれらの屋台に中近(なかちか)笠鉾と下郷(したごう)笠鉾が加わって、6台笠鉾・屋台が秩父市内の街中を勇壮に曳き廻される。
 午後7時頃からは、夜空を彩る花火の中で、6台の屋台・笠鉾が秩父神社を出発して1キロ離れた御旅所に向かう。その華麗で勇壮な祭は、彩(さい)の国埼玉の冬の風物詩である。

父の夜祭は師走の寒い時期に、しかもクライマックスシーンは夜行われる。そのため、彩の国埼玉に住みながら、我が家では誰も夜祭見学に出かけたことはなく、例年テレビのニュース番組でその模様を知るだけだった。
 これでは県民としていささか恥ずかしいため、思い切って秩父まで足を延ばすことにした。長瀞からは17キロほどしか離れていない。 

父市内は一部に交通規制がしかれ、秩父神社付近には駐車できない。
 たまたま神社の近くにソバ屋があったので、そこでソバを食べて駐車場に車を置いたまま秩父神社を訪れた。神社では、2台の屋台が宮参りをしていた。

●町内を曳き廻し秩父神社に宮参りする屋台 ●宮参り中の上町屋台と中町屋台

●舞い方に能、歌舞伎の手法が取り入れられている
秩父神社神楽
●3日の大祭で御神幸行列に使われる御輿

鉾や屋台はものすごく重く、それを支える車輪はまっすぐにしか進まない。そのため、屋台を方向転換する作業が必要であり、それが曳き廻しの見せ場になっている。
 京都祇園祭では交差点で割竹を敷いて方向転換をしているが、秩父では方法が異なる。秩父神社では宮参りが終わって町内に戻るため屋台の方向転換が行われようとしていた。その作業を境内で見学できた。

●屋台方向転換 @回転台を屋台の床の部分にあてがう ●A梃子(てこ)で屋台の後部を浮かせる

●B回転台を屋台の中心に固定し、梃子を緩める ●C4つの車輪が浮き、屋台を回転させて方向を転換する




2009/12/03作成 by pancho_de_ohsei

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