杭全神社の初詣風景
■ JR大和路線の天王寺駅から2つ目に「平野」という駅があり、その近くに杭全(くまた)神社(所在:大阪市平野区平野宮町2-1-67)が鎮座している。ひょんなことから、正月二日目の本日はこの杭全神社を参拝することになった。
■ 平野区は、平安時代の将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の次男だった坂上広野麿(ひろのまろ)が9世紀の初め頃この付近を朝廷から下賜されて開墾した土地である。「平野」という地名はその名の広野がなまったものとされている。杭全神社は、広野麿の子の当道(とうどう)が、貞観四年(862)に祇園の牛頭天王(=素盞嗚尊(すさのおのみこと))を勧請して、氏神として祇園社を創建したのが始まりとされている。
■ 後世、熊野詣が盛んになると、建久元年(1190)に熊野証誠権現(伊弉諾尊(いざなぎのみこと))を勧請建立して、第三殿(証誠殿)が築かれた。さらに、元享元年(1321)に熊野三所権現(伊弉册尊(いざなみのみこと)・速玉男尊(はやたまおのみこと) ・事解男尊(ことさかおのみこと)を勧請して第二殿が建立された。
■ 明治3年の神仏分離で、社号を杭全神社に変えた。そのとき、本来の祇園社(素盞嗚尊・牛頭天王)を本社、熊野三所を雑社熊野神社とし、証誠殿を摂社、 田村堂を別社、その他を末社と定められた。明治5年に社格を定められた時、杭全神社は郷社に列せられた。戦後は宗教法人杭全神社となり、今日に至っている。
■ 「杭全」と書いて、関西人ならこれを「くまた」と読めるだろうが、関東人には難解な地名である。語源は、このあたりが渡来してきた百済(くだら)人たちが住んでいた地域で、「くだら」が訛って発音され「くまた」という地名が定着したという説がある。だが、杭全という表記にされた理由がわからない。
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| 国道25号線沿いに建つ杭全神社の正面鳥居 |
午前10時頃、初詣客の出足は今ひとつ |
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大門の横に聳える大阪府の天然記念物の大樟。 幹周7.85m、樹高19.5m
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社域内に残る環濠跡。 かっての平野郷は堺と並ぶ自治都市だった。 |
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| 神域を区切る大門 |
大門をくぐると見えてくる拝殿 |
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| 拝殿で巫女が舞を奉納 |
拝殿左後方にある垂乳根公孫樹(すいにゅうこんの いちょう)。大阪府の保護樹で樹齢700年、幹周 4.8m、樹高18.1m |
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| 本社(第一殿) |
檜皮葺で切妻作りの第一殿。素盞嗚尊 を祀る。 |
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| 雑社の第二殿と摂社の第三殿 |
檜皮葺で春日造りの第三殿。永正10年(1513)の 棟札を持つ大阪市最古の建物 |
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長宝寺の田村麻呂像を移した別社の田村堂。 神社にただ1宇残る仏堂 |
銀杏の後ろにある稲荷社 |
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