2007/09/04

御上神社(みかみじんじゃ)福林寺磨崖仏(ふくりんじまがいぶつ)


滋賀県野洲市三上838に鎮座する御上神社

 JRびわこ線野洲駅から南へ2キロ、国道8号線沿いにある御上(みかみ)神社は、近江富士の名で知られる標高432mの三上山(みかみやま)の麓に鎮座している。三上山をご神体とし、天照大神の孫にあたる天之御影命(あめのみかげのかみ)を祭神として祀る古社である。

 神社の由緒略記によると、第7代孝霊天皇6年の6月18日に、祭神の天之御影命が三上山に降臨したので、御上祝(みかみのはふり、神主)らが、清浄な神霊が鎮座する神体山として三上山を斎(いつ)き祭ったのが始まりとされる。

 その後、元正天皇の養老2年(718年)に、藤原不比等(ふじわらのふひと)が勅命を拝し、飛騨工(ひだのたくみ)を造営使として現在地に榧(かや)の木で社殿を造営し、ご神体を遷し奉った。そのため、現在でも三上山の磐境(いわさか)を奥宮とし、山麓の御神神社を里宮として、不二一体の信仰祭祀が古代のまま行われている。 

 

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  標高432mの三上山。遠方からは孤峰に見えるが、近づくと男山・女山の二峰から成り立っている。赤松の美林が美しい。   国道8号線の脇にある駐車場からアクセスできる南参道の石の鳥居

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  参道の正面に建つ楼門(国の重要文化財)。道真を合祀するため、両脇に天神像が置かれている。   境内の中央に建つ拝殿(国の重要文化財)。もとの本殿を改造したものと伝えられている。

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 御上神社本殿(国宝)。桁行3間、梁間3間、入母屋造り、檜皮葺の建物は建立年代不詳だが、様式から見て鎌倉時代の建立と推定されている。入母屋造り、漆喰壁、連子窓など仏教的要素が融合されている。   向かって本殿左の若宮社。伊弉諾尊 菅原道眞公 天石戸別命 天御鉾命 野槌之命を祀る

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  向かって本殿右の三の宮。瓊瓊杵尊を祀る。   鳳輦御輿(ほうれんみこし)3基。貴人用に作られ、普通の御輿より胴体が広く大きい。500年前の宝徳2年の銘がある。


福林寺跡に点在する巨石に彫られた小磨崖仏

 JRびわこ線野洲駅から東へおよそ2キロ、野洲中学校の東の裏山の中に福林寺跡磨崖仏がある。福林寺は白鳳期に建立され、室町時代の末ごろまで続いたと言われる寺であるが、現在は寺院跡も不明で、丘陵地のうっそうと茂る林の中に、わずかに「福林寺跡」の碑がたっているにすぎない。

 その碑の近くに点在するいくつかの巨岩に石仏が刻まれている。これらの石仏群は室町初期や江戸時代に彫られたもので、当時の状態のまま残されているという。決して規模の大きい石仏ではないが、福林寺跡磨崖仏と総称されている。

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  野洲中学校の脇に築かれた遊歩道を登っていくと、共同墓地の前で別の遊歩道にぶつかる。   その遊歩道を左に折れ、夏草が繁茂する道を進むと、まもなくフェンスにぶつかる。

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  フェンスの横に標識が立っていて、福林寺磨崖仏まで60mの表示が出ている。小さな谷にかかる橋を渡って山道を山林の中に分け入る。   まもなく山林の中に壊れた地蔵仏の石像を並べた場所に出る。その横にまた標識が立っている。

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  標識の指示に従って右へ進めば、40mほど先に小磨崖仏群がある。標識からそのまままっすぐ山道を登れば、福林寺跡磨崖仏がある。   右へ曲がると、小川の先に平らな巨石が大地に根を下ろしているように置かれてた。その3面に高さ45cmほどの地蔵立像が13体も平肉彫りにされている。

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  岩の正面に彫られた3体の地蔵立像。稚拙な彫りの石像だが、江戸時代の頃に彫られたものだそうだ。   岩の側面に彫られた5体の地蔵立像。いずれも独特の丸顔の地蔵尊が胸の前で合掌していて、見ていてほほえましい。

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  岩の裏面に彫られた5体の地蔵立像。これらも正面の5体の石像と同じパターンである。葛城山のロープウエイに向かう途中の櫛羅(くじら)という集落に、六地蔵石仏と呼ばれる巨岩が置かれている、昔の人々は度重なる災害や疫病から逃れるために、さらには来世の極楽浄土を願う強い信仰心から、石に六体の地蔵を彫ったという。福林寺跡の地蔵菩薩像も同じ願いを表したものか。それにしては一体足りない。   再び標識のある場所に戻って、少し斜面を登ると「史跡福林寺跡」の石柱が立っている。昔はこの付近の磨崖仏にはもっと立派なものが多くあった。しかし、大阪方面の金持ちの庭を飾るために持ち去れたという。よく見ると、石を割るために打ち込まれたノミの跡が石面に残っている。

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  その左手奥には、比較的新しい「十二所神社跡」の標識もあった。十二所神社の多くは熊野三山の神(熊野神)を勧請したもので、明治の神仏分離までは「十二所権現社」などと呼ばれていた。   「史跡福林寺跡」石柱の近くにある巨石には観音・阿弥陀・地蔵の3体の仏像が彫られている。蓮華台に立つ高さ30〜50cmの仏像は、舟形の光背を彫り込み、その中に半肉彫りで浮きだたせてある。

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  左端にある観音菩薩像が一番残りがよい。形式化した室町後期の作風とのことだ。   阿弥陀立像(左)と地蔵立像(右)。観音像に比べて摩滅の度合いが激しい

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  別の石に彫られた小型の地蔵菩薩像   何を意図して作られたのか分からないが石仏群で囲われた一画


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