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道路に埋め込まれた山の辺の道の標識
道路に埋め込まれた山の辺の道の標識
山の辺の道 − 奈良盆地の東側の山麓を縫うように細々と南北に続く古道。『日本書紀』にもその名が記されているほど古いこの道を初めて歩いたのは、もう5年も前のことである(山の辺の道を歩く参照)。

 『日本書紀』は山の辺の道に関する悲しい恋物語を伝えている。武烈天皇がまだ即位する前の皇太子だったとき、物部麁鹿火(もののべのあらかい)の娘・影媛(かげひめ)に懸想し、海柘榴市(つばいち)の歌垣でその想いを打ち明けた。だが、影媛はすでに平群真鳥(へぐりのまとり)の息子・鮪(しび)と恋仲だった。

 鮪が恋敵と知って、皇太子は大伴金村(おおとものかなむら)に命じて鮪を捕らえさせ、奈良山で処刑することにした。処刑の噂を聞いた影媛は、山の辺の道を必死に駆けて処刑の場所に行き、恋人が殺されるのを泣き濡れながら見守ったという。

 おそらく足の皮膚が切れ鮮血が飛び散るのも厭わず、影媛が転がるように懸けていったであろう古道を、5年ぶりに歩いて見たくなった。近鉄の駅で配布している「てくてくマップ」によれば、桜井駅から長岳寺を経て天理駅まで歩く山の辺の道ハイキングコースは、全長約16キロ。5年前には二日がかりで歩いたこのコースを、本日は一日で歩いてきた。

 以下の順序で、このハイキングコースのキーポイントを写真を交えてレポートしよう。



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