パンチョのフォト・アルバム
 
今年最初の明日香散策は春風に吹かれて
 
 
平成19年3月1日
 

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私の散策の友は、常にただ一人、腰のベルトに吊して歩くソニーのデジカメくん(Cyber-shot DSC-P5)。
買ったのが平成14年6月だから、彼との付き合いもまもなく5年になる。
日進月歩のIT業界にあっては、5年前の機種など骨董品ものだ。
大事に使ってきた積もりだが、ご主人様同様、ずいぶんくたびれてきた。
バッテリーの容量はどんどん低下するし、ズームボタンを押せばレンズがガタガタ音を立てて飛び出す。
そろそろお前ともお別れかな、と思いながら、いつも散策に付き合わせている。
今ではかけがえのない友である。


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本日から月がかわって、春の弥生3月。
まるでそのことを告知するように、朝から青空が広がり、暖かい日差しが降り注ぐ一日となった。
気が付くと、今年はまだ一度も明日香を訪れていない。
先月、明日香村では二カ所で発掘調査の現地説明会が行われたが、現場を見ていない。
その他にも、まだあちこちで発掘調査が行われているはずだ。その現場も知っておきたい。
そんな訳で、デジカメくんと連れて、明日香村の散策に出かけることにした。
以下は、デジカメくんの目を通して見た、現在の明日香である。




 明日香の春点描−その1

暖冬だった今年は、明日香の地でも春の到来が早い。上を仰げば雲一つ無い青空が広がり、視線を台地に移せば、暖かい日差しが田園を明るく照らし、その上を明日香風がゆるやかに渡ってくる。その風に冷たさはない。

昨年の秋、田の畦を炎のように飾った彼岸花が、今は深い緑の葉を畦一杯に伸ばしている。明日香全体が新緑に包まれる日も近いようだ。



和田廃寺跡の土壇から畝傍山を望む

古宮土壇から畝傍山を望む

雷丘の頂きから見た天香具山

公園としての整備が進められている雷丘


 石神遺跡の第19次発掘調査

1981年に始まった奈良文化財研究所の石神遺跡発掘調査は、毎年北に向かって民有地の田んぼ一枚一枚めくるように行われてきた。今年度の調査区でやっと現在の県道に接する所まで達した。この県道は飛鳥時代の「安倍山田道」に重なると推測されている。飛鳥中枢部への北の入口だった当時の幹線道路である。

『日本書紀』の推古紀を読むかぎり、この道に面して北側に推古天皇の「小墾田宮」が営まれていたはずだ。「安倍山田道」発見の期待が高まる今回の発掘調査である。現地説明会は今月末ごろを予定されている。マスコミを賑わす発見があることを期待したい。


発掘調査に余念がない石神遺跡

「安倍山田道」の発見なるか? 県道沿いの調査区画


 竹田遺跡の発掘調査

明日香村教育委員会は、昨年6月から飛鳥(あすか)集落のはずれにある竹田遺跡で学術調査を行い、11月21日に発掘の成果を「飛鳥時代の高級住宅」跡が見つかっと公表した。2日後の23には、現地説明会が開かれた、高級住宅かどうかは別として、八釣(やつり)の集落から伸びる丘陵が緩やかに西に向かって下る水田から見つかった住居跡に立つと、正面に甘樫丘を望むことができる景勝の地である。

現地説明会の対象になった調査区画は、すでに埋め戻されて、元の田んぼに戻っている。だが、発掘調査はその隣接地で続行されていて、また何か遺構が見つかったようだ。現場の作業員に現地説明会が何時行われるのか聞いてみたが、分からないとの返事だった。

帰り道、明日香村の文化財保存課に立ち寄って確認すると、まだ説明会を行うかどうか決まっていない、行うとしても4月に入ってからだろう、とのことだった。


発掘調査に余念がない竹田遺跡

発掘現場は前回現地説明会が行われた調査区の隣接地


 石組溝が出土した飛鳥京跡の北限

出土した東西石組溝の遺構(現説資料より)
橿原考古学研究所は、飛鳥京跡第157次調査で宮の北限を示す東西石組溝を見つけ、2月11日現地説明会を行った。この溝は飛鳥時代の基幹となる排水路の遺構と考えられている。発掘場所を確認したくてアクセスしたが、すでに埋め戻しの作業中だった。







砂が撒かれて埋め戻しすでに埋め戻された発掘現場−1

砂が撒かれて埋め戻しすでに埋め戻された発掘現場−2


 甘樫丘東麓遺跡

2月11日 発掘現場を囲む見学者たち
奈良文化財研究所は、昨年に引き続いて今年度も甘樫丘東麓遺跡の発掘調査を行った。その結果、この一帯は7世紀代を通じての活発な土地利用が行われていたことが確認された。特に、7世紀前半に大規模な整地が行われ石垣が築かれ、7世紀中頃にも再び大規模な整地が行われたことが明らかになった。そのため蘇我入鹿の「谷の宮門」との関わりが話題になった。

現地見学会では大勢の見学者が詰めかけ、新聞では5000人とも9000人とも報道された。その大混雑した発掘現場が、本日は明日香散策のついでに立ち寄る人が時折訪れる程度だった。現場には砂がかぶせられ、埋め戻しが近いことを思わせた。



砂が撒かれて埋め戻しの準備ができた発掘現場−1

砂が撒かれて埋め戻しの準備ができた発掘現場−2


 明日香の春点描−その2

飛鳥大仏で知られる飛鳥寺の境内で、柔らかい日差しの中を白梅や紅梅の花が咲き誇っていた。甘樫丘の東麓に広がる菜の花畑は、黄色い花の放列を作っていた。甘樫丘に登る途中にも梅が白い花をつけていた。山桜の木がすでに若葉を付けていて、桜の季節の近いことを予感させている。



甘樫丘豊浦展望台から見下ろした飛鳥寺

飛鳥寺本堂前の紅梅

飛鳥寺の境内に咲くしだれ梅

甘樫丘東麓の菜の花畑

甘樫丘に咲く白梅

甘樫丘豊浦展望台から畝傍山を望む


 甘樫丘地区平吉遺跡北方調査

平吉遺跡の北方を調査中の現場
甘樫丘の西北に平吉(へきち)山と通称されている丘陵がある。1977年にそこで遺跡が見つかり、「平吉遺跡」と命名された。平吉遺跡では、掘立柱建物、塀、井戸、炉跡、石列の遺構が出土した。瓦や土器、フイゴ羽、ルツボ、金属の溶けたものなども見つかり、7世紀後半の金属製作(特に銅)に関する施設と考えられている。

現在、奈良文化財研究はその北方70mの地点で発掘調査を行っている。場所は甘樫丘の正面登り口付近で、現場では川石が埋まった地層が露出していた。計測を行っている女性調査員に確認すると、飛鳥川の川底とのことだった。古代の飛鳥川は暴れ川である。川筋が現在よりもさらに甘樫丘の裾をえぐって流れていたこともあったようだ。



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