大臣・蘇我馬子(おおおみ・そがのうまこ):蘇我稲目の子。蘇我蝦夷の父。敏達元年(572年)4月、敏達天皇の即位に際し、大臣に任ぜられる。時に大連(おおむらじ)は物部守屋。
紀男麻呂(きのおまろ):欽明23年(562年)7月、大将軍となり、新羅を討つ。 崇峻4年(591年)11月、任那再興のため、再び大将軍として兵二万余を率いて筑紫に出陣する。翌年蘇我馬の天皇弑逆により渡海は中止となり、推古3年(595年)7月、帰朝。
巨勢臣比良夫(こせのおみ・ひらぶ):
膳臣賀陀夫(かしわでのおみ・かたぶ):厩戸皇子の妃となった菩岐岐美(ほききみ)の父。欽明31年(570年)、越の国に遣わされ、高句麗使を餐した。用明2年(587年)、物部守屋討伐軍に加わり、軍旅を率いて大連を撃った。
葛城臣烏那羅(かつらぎのおみ・おなら):
大伴連囓(おおとものむらじ・くい):
金村の子。小吹負の父。 勝宝元年閏5大伴牛養薨去の条に、囓は大徳とあり、小吹負の父で牛養の祖父なる旨が見える。用明2年(587年)7月、物部守屋の討伐軍に加わる。崇峻4年(591年)11月、任那再興のため、大将軍となって筑紫に出陣。翌年天皇が殺されたので遠征を中止し、推古3年7月筑紫より帰った。推古9年(601年)、新羅が任那を侵したので、高句麗に使し、急いで任那を救援した。推古10年6月百済より帰国。推古16年(608年)8月、隋使裴世清が来朝し、国書を呈した時、阿倍臣が庭にでてその書を受け、囓はこれを迎えうけて、大門の前の机上におき奏したとある。推古18年(610年)、新羅使を迎える役に任じられている。
阿部臣人(あべのおみ・ひと):
平群臣神手(へぐりのおみ・かむて):
坂本臣糠手(さかもとのおみ・あらて):
武将。物部守屋討伐に参加した。推古9年(601年)3月,前年より新羅が任那を侵したので,任那救援のため百済に遣わされ,同10年6月帰国した。
春日臣仲君?(かすがのおみ・なかつきみ?):