4.守屋との対面

 さすがは古代の雄族・物部氏本宗家の居館である。守屋が配下の武将たちと会議や宴会を開く主屋は屋敷の中央にあり、そこにたどり着くまでに、武装した守衛が守る門を幾つもくぐった。
物部守屋の屋形跡に建つ大聖勝軍寺
物部守屋の屋形跡に建つ大聖勝軍寺−@
物部守屋の屋形跡に建つ大聖勝軍寺
物部守屋の屋形跡に建つ大聖勝軍寺−A

 敷地内には十数棟の建物が建っていた。いずれも掘立柱の平屋で茅葺きだが、柱が太い。どの建物も内部に人の気配がし、屋敷全体が重苦しく騒然とした雰囲気に包まれていた。
 主屋の入口で、イヌは門番に来意を告げた。門番は奥へ引っ込んだが、しばらくして出てくると、控えの間で待つようにと伝えた。どうやら先客があるようだった。

 控えの間は土間だった。中央に円卓が置かれ、その周囲に大木を輪切りにした椅子がいくつか置かれている。窓はない。
 円卓を挟んで互いに向き合うように座ると、イヌは腕を組んで何かを思案するように目を閉じた。
 この男が数日後に出くわす運命を私はすでに知っている。それを教えてやりたい誘惑にかられた。だが、すでに完了した己の運命を今更知ったところで、それを変えられるものではないだろう。

 イヌに話しかけようかどうか迷っていると、外で本物の犬の鳴き声がして、一匹の黒い犬が弾丸のように飛び込んできた。犬の鳴き声に思わず腰を上げたイヌに向かって、黒い弾丸が飛びかかった。そして前足でイヌの胴体を抱え込むと、首を伸ばして無精ひげに埋まったイヌの顔をところ構わずなめ回した。それが、イヌの飼い犬だった。
  「おう、クロ。久しぶりだのう。元気にしていたか」
 尻尾を振ってすがりつこうとする愛犬の頭をなでながら、イヌが話しかけた。その相好を崩した顔は、今までの厳しい兵士の顔ではなかった。
  「私めの飼い犬です」
餌香の川原 (石川の下流左岸付近)
イヌが戦死した餌香の川原 (石川の下流左岸付近)

 と、その大柄な犬が可愛くて仕方がないように目を細めて、イヌは紹介した。

 私はこの犬の末路も知っている。数日後の餌香(えか)の川原での戦いで、イヌは奮戦しながら戦死する。
 戦いの後に川原には数百の死体が転がっていた。夏の暑さで腐乱して誰の死体か分からなくなってしまったが、イヌの愛犬クロは主人のむくろの傍に横たわって離れなかった。親族のものが、イヌの死体を引き取って墓に収めるのを見届けると、はじめてどこかへ立ち去ったという。だが、目の前のイヌはそのような未来を知るよしもなく、愛犬と睦み合っている。

 捕鳥部萬(ととりべのよろず)

イヌの埴輪
 イヌが愛犬クロの話を自慢げに語るのを聞いていると、屋敷の奥から足音が聞こえてきた。背後から近づいてくる荒々しい足音に気づいて、イヌが後ろを振り返って叫んだ。
「おう、これは捕鳥部(ととりべ)のヨロズ殿ではないか」
そして、いぶかるように聞いた。
「ずいぶんお怒りの様子だが、いかがなされた?」
 捕鳥部のヨロズと呼ばれた男は、見るからに屈強そうな大男だった。この男もイヌと同様に日焼けした顔が無精ひげで覆われていたが、両方の眼が血走って赤い。薄暗い部屋の中で立ち上がったイヌの姿を認めると、彼は革の短甲(たんこう)をユサユサと動かして、
「おう、これはイヌ殿、久しぶりでござる」
と、頭を下げた。

 ヨロズは物部守屋の身辺を警護する親衛隊長として、イヌは守屋直属の100人の精鋭からなる歩兵部隊を束ねる隊長として、旧知の間柄だった。怒りのはけ口をイヌに見つけたように、ヨロズはイヌの横に腰かけると、こう言った。
「最近は、長(おさ)が何を考えておられるのか、さっぱり分からなくなった」
「いったいどうしたというのだ? 今まで長と防衛体勢を話し合っていたのではないのか? 蘇我勢が大和から押し出してくる日は近いぞ」
「おう、それよ。そのために長に呼ばれたと思って出向いてきたのに、長はこれから100人の兵を率いて難波(なにわ)に発てと言われる」
冑(かぶと)を被った武人埴輪
冑(かぶと)を被った武人埴輪
(埼玉県立さきたま史跡の博物館)
「難波に?」
と、イヌも怪訝そうに聞いた。緊急の事態が目の前に迫っているこの時期に、最も信頼している男を難波に行かせる理由がイヌにも分からなかった。
「そうだ、蘇我との決戦を間近に控えて、長に近侍してお守りする立場にあるこの吾(われ)をだ」
 ヨロズの表情はいかにも悔しそうである。最後の一兵となっても長を守る覚悟でいたのに、突然の下命があったようだ。イヌはヨロズの憤懣を押さえるように、静かに言った。
「長には長の考えがあってのことであろう」
 そのとき、奥から出てきた男が、イヌに向かって、守屋さまがお会いになります、と告げた。イヌは、ヨロズの肩に手をやると、
「後でゆっくり話を聞こう。夕方にでも拙宅にお越しあれ」
と言葉をかけた。そして、奥へ参りましょう、と目で私を誘った。

 守屋の部屋

 かって知ったる他人の家ではないが、イヌは大股で回廊を伝って主屋に入っていった。主屋の中央に敷かれた虎の毛皮の上で物部氏の族長・守屋(もりや)はどっしりとあぐらをかいて座っていた。彼の前に鹿皮に書かれた地図が置かれ、その地図を挟むようにして二人の武将が控えている。どうやら蘇我軍を迎え撃つ布陣を相談していたようである。
 部屋の入口でイヌは片膝をついて一礼すると、守屋に向かって挨拶した。
桜井田部連胆淳(さくらいたべのむらじ・いぬ)、只今戻りました」
「おう、イヌか。無事に戻ってこれたか。なによりの祝着(しゅうちゃく)じゃ。さっそく大和の様子を聞かせて貰おう。近くに寄れ」
 守屋は手招きして、イヌを室内に招き入れようとした。しかし、その手の動きが止まった。イヌの背後に立っている私に気づいたようだ。
「イヌよ、そちらのお方は?」
「長の命令で、”あの世”からお連れしたパンチョ殿でござる」
「パンチョ殿?」
 守屋は鋭いまなざしを向けて私を見ると、記憶を探るように私の名を口にした。私を連れてくるように命令したことなど、失念しているようだった。
「守屋殿は、このたびの戦いに興味を持っている私の夢枕に立たれた。そして、戦いの場に招待しようと約束された。イヌ殿は貴方様の指示で私をここまで案内されてきた」
 やむを得ず、私はこれまでのいきさつを説明すると、
「おう、そうであったか。すっかり失念していて申し訳なかった。ようこそ我が屋敷をお訪ねくださった」
と、軽く叩頭した。そして、言葉を足した。
「とりあえずイヌの報告を聞いてから、ゆっくりお話を伺おう。今しばらくそちらでお待ちあれ」
と、部屋の隅を指さした。
 それから、守屋はイヌを呼び寄せると、同席している他の二人の武将と共にイヌを報告を聞いた。イヌは大和に潜入して、部下を使いながら、蘇我氏をはじめ有力豪族の動きを探って来たのである。先の皇后の額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)から守屋追討の詔が出されたことで、蘇我氏と物部氏のどちらに荷担するか迷っていた有力豪族は一気に蘇我側に傾いたようだ。大和の石上(いそのかみ)には石上神宮を奉斎している守屋の弟の物部贄古 (もののべのにえこ)がいる。だが、蘇我側に機先を制されて身動きがとれない状態にあるようだ。
 目を閉じ、腕組みしながらイヌの報告を聞いている守屋は、時折腕組みを解くと、前に広げた地図の上に目を移して、各氏族の状況を確認しているようだった。

 部屋の隅から、私はじっくりと守屋の様子を観察することができた。部屋の中央でどっしり構えている男は寸鉄を帯びず軽装である。決して大柄な男ではないが、さすがに軍事氏族の物部本宗家の族長である。鬟(みずら)に結った髪に白いものが混じっているが、薄い衣を通して、武人として引き締まった肉体を感じさせる。きりっと結んだ口元は意志の強さを表している。一見したところは、強面(こわおもて)の武将といった印象を与えるが、普段の彼の物言いは鷹揚である。その語り口が多くの兵士たちに信頼感を与え、彼を長として尊敬させている。

 彼が父の尾興(おこし)の後を嗣いで大連(おおむらじ)に抜擢されたのは25歳の時だった。以来15年、多くの兵士を束ねながら大和朝廷に仕えてきた。40の齢を迎えたこの年になって、朝敵の汚名を着せられようとは、守屋にとっては心外だった。その原因は敏達大王(びたつのおおきみ)のその皇后だった額田部皇女の寵臣・三輪君逆(みわのきみ・さこう) を穴穂部皇子(あなほべのみこ)の命令で殺害したことにある。穴穂部皇子は用明大王亡き後、物部守屋や中臣勝海が次期天皇に推していた皇位継承資格者の筆頭だった。いわば君命によって事を運んだに過ぎないのだが、そのことが額田部皇女の逆鱗に触れた。

 守屋との対話

 イヌの報告はおよそ30分ほどで終わった。守屋は在席していた3人の武将に、夕方あらためて作戦会議開くことを告げて退席させた。そして、奥に向かって誰かの名を呼んだ。まもなく一人の女性が現れて彼の横に跪まづいた。守屋の妻女の百枝姫(ももえひめ)のようだった。彼は部屋の隅にいる私を指さして、
「珍しい客人がお見えになられた。なにか持てなしの用意でもさせてくれ」
と頼んだ。
 女性が引き下がるのを待って、守屋は私を招くと、先ほどまで一人の武将が座っていた敷物に座るように促した。背負ってきたリュックを横に置いて、私は守屋の正面に座った。彼はまるで珍しい生き物を見るようにしばらく私を眺めていたが、やがてこう言った。
「珍しい格好をしておられる御仁じゃ。どこから参られた?」
 イヌの突然の訪問を受けて、急いでアパートを飛び出したので、私は半袖のスポーツウエアに短パンという普段着のままだった。
「今は、干支(えと)で言うと、何年ですか?」
私は守屋の質問には直接答えず、まずそう聞いた。
「今年は、たしか丁未(ひのとひつじ、ていび)の年だが・・・」
「それでは、干支が現在から23回以上も巡った1320年後の世界から来ました」
「ほう、干支が23回も巡った遙か彼方の”あの世”からのう」
 守屋は興味深そうに指で干支を数えだしたが、途中で面倒くさくなったのか指を折るのを止めた。

牧野古墳から出土した須恵器
牧野古墳から出土した須恵器
 やがて、百枝姫が器に盛った肉や果物、酒を二人の召使いに持たせて入ってきた。彼女は守屋と私の間に座ると、軽く会釈して酒を勧めた。濁り酒だった。
「いや、私は下戸ですから・・・」
と、彼女が酒を注ごうとした杯を手の平で覆った。困ったような顔をして、百枝姫は守屋を見た。
「ほう、あの世では人々は酒は嗜まれないのか?、お近づきのしるしじゃ。一杯だけでも受けてくだされ」
と、守屋は百枝姫に酒をつぐように顎で合図した。無理に断って彼の心証を傷つけてもまずいと思って、一杯だけは受けることにした。強い酒のようだった。みるみる顔が赤らんで行くのが自分にもわかった。その様子を楽しげに眺めながら、守屋が言った。
「姫。こちらのお人はどちらかお見えになったか当ててみよ」
百枝姫はまっすぐに私の顔を見据えると、はて?と首をかしげた。黒い瞳が澄んでいた。以前に高松塚の壁画で見た飛鳥美人に似て幾分下ぶくれの顔立ちをしていたが、美人だった。
「はて、どちらの国のお方でしょう。吾には検討もつきませぬ」
私の見慣れない服装に戸惑ったのか、彼女はそう答えながら、なおも私から目線を離さなかった。
「他国の人ではない。この倭(わ)の国の人よ。しかし、干支が23回も今から巡ったはるか未来からお見えになった」
「まあ、そんなことが実際に可能ですの?」
百枝姫は、瞳をさらに大きく開いて私をみた。
「吾にもよく分からぬ。だが、どうやら時間軸の揺れを利用されたら、今の時代までさかのぼることがお出来になったようだ」
「それで、そんなに遠い未来からお見えになった目的は何ですの?」
「そこよ。パンチョと申されるこの方は、これから始まる蘇我殿の戦(いくさ)のことに興味を持たれて、いろいろ確かめたいとのことだ」
「でも、どうしてこのたびの戦のことをお知りになったのでしょう?」
「うむ、吾もそのことが不思議でならない。パンチョ殿、少し詳しく説明していただけないか?」

 そこで、今から130年ほど後には「日本」という新しい国ができていること、新しい国の政府は、国の成り立ちを示すために『日本書紀』という歴史書を編纂したが、その中に物部氏と蘇我氏の戦いを「丁未の変」(ていびのへん)として記されていることを、私は二人に話して聞かせた。
 守屋は興味深く聞いていたが、話が一段落すると、少し間を置いてたずねた。
「それで、その歴史書とやらには、このたびの戦いの結末は書かれているのだろうか?」
「はい、書かれています。それをお教えしましょうか?」
「いや、それは聞かないことにしよう。聞いたところで、歴史の趨勢は変えられるものでもあるまい」
「いいや、長(おさ)、吾は一族の行く末を知りたく思います。パンチョ様とよやら、よろしかったらお話ください」
 百枝姫は懇願するように私を見た。丁未の変の勝敗は知っていても、私は百枝姫やその子たちの行く末までは知らない。どうしようか迷っていると、守屋が姫をたしなめた。
「姫、人は誰も持って生まれた運命に逆らうことはできぬ。これから先に起こることは、知らない方が幸せなこともあるのだ」



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