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| 小阪合遺跡での現地説明会の様子 (2007/06/30 撮影) |
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池のほとりのヤナギとクワの木の周辺で行われた祭祀
発掘現場は、八尾徳州会総合病院の新築が予定されている広大な敷地の一画で、今回の調査面積は5,326平米に及ぶ。祭祀遺構が出土したのは、その調査地域の東の端の一部である。説明員はハンドマイクを手に、まず調査地を弧を描くように流れていた河川の跡の様子から説明を始めた。 河川の跡には違いなかったが、川の水の流れはほとんどなかったとのことだ。そのことを示す泥が長さ約25m、幅約11m、深さ約1mにわたって溜まっていた。そのため、付近は池か沼のような地形だったと判断された。 その河川跡の東斜面から、ミニチュア土器をはじめ、壺・甕・高坏など多量の土器類が見つかった(出土地点ー1)。ミニチュア土器は、大きさが4〜5cm程度と小さく、しかも”手づくね”で作られていた。
調査地を左に拡大すると、出土地点ー2から小型の銅鏡1面、鹿角装鉄刀(ろっかくそうてっとう)1点、鉄鉾(てつほこ)1点などが出てきた。調査地を右に拡大すると、出土地点3から鹿角装鉄剣(ろっかくそうてっけん)1点と勾玉(まがたま)2点が出土した。 これらの遺物群は、河川跡の東斜面に生えていた2本の木(ヤナギとクワ)の周囲から見つかった。そのため、鏡や刀剣類、玉類、土器類を組み合わせた祭祀がこれらの木で囲まれた場所付近で行われたと考えられる、という。 この祭祀遺構で特徴的なのは、本物の刀剣や鉾の鉄製品が使われていたことだ。我が国で本格的な製鉄が始まるのは6世紀になってからである。それ以前は近畿の大王が朝鮮半島から輸入した鉄を独占して、各氏族に分配していたと考えられている。当時、鉄は貴重な輸入品だった。 そこで、一般には、祭祀には木製品で代用することが多かったとされている。だが、この祭祀遺構では一回だけの祭祀に鉄製品を惜しげもなく使っている。そうした祭祀ができる有力者が、この地域に居たことを伺わせる意味は大きい。 しかも、それぞれの鉄製品の刃先はいずれも南東方向に向けて置かれていたという。その謎解きを考古学者はしてくれない。4世紀後半には、倭国は朝鮮半島の百済と通交を開始している。そのあたりに謎解きのヒントがあるのかもしれない。 |
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遺物の出土状況と出土品ミニチュア土器
ミニチュア土器は、第40次の調査でも河川跡の西斜面から沢山出土しており、今回の出土品と合わせると100点以上を数えるという。しかも、いずれの土器も捨てられて割れた形跡がない。こうしたミニチュア土器類は、これまでの発掘調査の例に照らし合わせると、祭祀に用いられた土器と考えられる。そのため、付近が水辺で行われた祭祀遺構であると推測する手がかりとなった。
内行花文鏡
鹿角装鉄刀剣
今回の調査では、身の両方に刃をもつ鉄剣(長さ約59cm)と、片方にだけ刃を持つ鉄刀(長さ約30cm)が、それぞれ1点ずつ出土した。いずれも柄の部分に鹿の角の分岐部を用いているため、鹿角装(ろっかくそう)鉄剣、鹿角装鉄刀と呼ばれている。鉄剣の柄表面には直弧文と呼ばれる幾何学紋様が彫られているとのことだ。 今回出土した古墳時代前期後半(4世紀後半)の鹿角装鉄刀剣は、近畿地方で出土したものとしては最古のものである。
鉄鉾(全長約32.4cm)
玉類
その他に、この時代の物として、直径2.7cm、厚さ2mmの有孔円板が出土している。中央に2つ孔をあけた扁平な滑石製の円板である。5世紀を中心に、祭祀遺跡や古墳から多く出土する遺物で、銅鏡を簡略化し模造した石製品とされている。
皇朝十二銭
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