橿原日記 平成19年6月30日

小阪合遺跡(こざかあいいせき)で見つかった水辺の祭祀遺構

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小阪合遺跡での現地説明会の様子 (2007/06/30 撮影)


阪府の八尾市文化財調査研究会は現在、小阪合(こざかあい)遺跡で第41次発掘調査を実施している。小阪合遺跡(所在:八尾市若草町1丁目)は、旧大和川の主流だった長瀬川や玉串川などの河川によって形成された沖積地の上に築かれた遺跡で、八尾市のほぼ中央に位置する。この遺跡が発見されたのは1955年(昭和30年)である。大阪府営住宅建設工事に伴う事前調査を実施したところ、弥生時代から鎌倉時代にかけての土器類が多量に出土し、長期にわたる複合遺跡の存在が判明した。それ以後、多次に渡る調査が実施されてきて、今回の調査で41次を数える。

途中に貼られていた現場までの案内図
途中に貼られていた現場までの案内図
調査研究会は、去る28日、現在の調査区域に含まれる古墳時代前期(4世紀後半)の河川跡から、水辺の祭祀に使われたとみられる小型の銅鏡と鉄剣、勾玉(まがたま)がセットで出土したと発表した。実物の鏡、剣、玉の「三種の神器」が祭祀遺跡からそろって出土するのは珍しく、近畿地方では初めてとのことである。

聞発表によると、鉄剣と同時に見つかった鉄刀や鉄鉾も、刃先がいずれも南東を向いていたという。南東方向には大和の纒向や桜井がある。創世記の大和王権に刃を向けて、この地の族長は何を祈ろうとしたのであろうか。俄然、この地に興味が湧いてきて、一度発掘現場を見たくなった。本日午後1時半から現地説明会が行われると知って、いそいで出かけてきた。

明会の会場に行くのに、近鉄八尾駅で下車した。線路沿いに「桜ケ丘2丁目」の交差点まで歩くと、街角に係員が立っていて、右折して進むように指示された。府道5号線の「青山町」交差点まで来たら、別の係員が左折を指示した。会場はその交差点からすぐのところにあった。駅からおよそ10分歩いて、1時半ちょうどに現場に到着した。



池のほとりのヤナギとクワの木の周辺で行われた祭祀

それぞれの遺物の出土地点を示す調査員
それぞれの遺物の出土地点を示す調査員(展示パネルの写真より)

出土遺物の展示コーナー
出土遺物の展示コーナー
出土した河川跡
出土した河川跡
地説明会の会場入口に受付があって、名前を記帳すると「小阪井遺跡第41次調査現地説明会資料」を渡された。その横のテントでは、出土品が展示されていた。来訪者が長い列を作っていたので、遺物の出土状況を示す写真パネルを見た後、発掘現場に向かった。

掘現場は、八尾徳州会総合病院の新築が予定されている広大な敷地の一画で、今回の調査面積は5,326平米に及ぶ。祭祀遺構が出土したのは、その調査地域の東の端の一部である。説明員はハンドマイクを手に、まず調査地を弧を描くように流れていた河川の跡の様子から説明を始めた。

川の跡には違いなかったが、川の水の流れはほとんどなかったとのことだ。そのことを示す泥が長さ約25m、幅約11m、深さ約1mにわたって溜まっていた。そのため、付近は池か沼のような地形だったと判断された。

の河川跡の東斜面から、ミニチュア土器をはじめ、壺・甕・高坏など多量の土器類が見つかった(出土地点ー1)。ミニチュア土器は、大きさが4〜5cm程度と小さく、しかも”手づくね”で作られていた。

出土地点ー1 出土地点ー2
出土地点ー1 出土地点ー2

出土地点ー3
出土地点ー3

調査地を左に拡大すると、出土地点ー2から小型の銅鏡1面、鹿角装鉄刀(ろっかくそうてっとう)1点、鉄鉾(てつほこ)1点などが出てきた。調査地を右に拡大すると、出土地点3から鹿角装鉄剣(ろっかくそうてっけん)1点と勾玉(まがたま)2点が出土した。

れらの遺物群は、河川跡の東斜面に生えていた2本の木(ヤナギとクワ)の周囲から見つかった。そのため、鏡や刀剣類、玉類、土器類を組み合わせた祭祀がこれらの木で囲まれた場所付近で行われたと考えられる、という。


の祭祀遺構で特徴的なのは、本物の刀剣や鉾の鉄製品が使われていたことだ。我が国で本格的な製鉄が始まるのは6世紀になってからである。それ以前は近畿の大王が朝鮮半島から輸入した鉄を独占して、各氏族に分配していたと考えられている。当時、鉄は貴重な輸入品だった。

こで、一般には、祭祀には木製品で代用することが多かったとされている。だが、この祭祀遺構では一回だけの祭祀に鉄製品を惜しげもなく使っている。そうした祭祀ができる有力者が、この地域に居たことを伺わせる意味は大きい。

かも、それぞれの鉄製品の刃先はいずれも南東方向に向けて置かれていたという。その謎解きを考古学者はしてくれない。4世紀後半には、倭国は朝鮮半島の百済と通交を開始している。そのあたりに謎解きのヒントがあるのかもしれない。



遺物の出土状況と出土品

 ミニチュア土器

ミニチュア土器の出土状況 ああああ
ミニチュア土器の出土状況 出土したミニチュア土器

ニチュア土器は、第40次の調査でも河川跡の西斜面から沢山出土しており、今回の出土品と合わせると100点以上を数えるという。しかも、いずれの土器も捨てられて割れた形跡がない。こうしたミニチュア土器類は、これまでの発掘調査の例に照らし合わせると、祭祀に用いられた土器と考えられる。そのため、付近が水辺で行われた祭祀遺構であると推測する手がかりとなった。

 内行花文鏡

出土時の内行花文鏡
出土時の内行花文鏡
土した銅鏡は、直径6.9cm、厚さ1mm程度の小型の鏡である。内行花文鏡または連弧文鏡と呼ばれているもので、鏡背には、花弁状の連弧文が5枚と、その外側に櫛歯文様が描かれている。古墳時代の初頭から前期にかけて、中国製の鏡を模倣して我が国で制作された鏡とされている。





 鹿角装鉄刀剣

鹿角装鉄剣 鹿角装鉄刀
鹿角装鉄剣の出土状況 鹿角装鉄刀の出土状況

回の調査では、身の両方に刃をもつ鉄剣(長さ約59cm)と、片方にだけ刃を持つ鉄刀(長さ約30cm)が、それぞれ1点ずつ出土した。いずれも柄の部分に鹿の角の分岐部を用いているため、鹿角装(ろっかくそう)鉄剣鹿角装鉄刀と呼ばれている。鉄剣の柄表面には直弧文と呼ばれる幾何学紋様が彫られているとのことだ。

回出土した古墳時代前期後半(4世紀後半)の鹿角装鉄刀剣は、近畿地方で出土したものとしては最古のものである。

 鉄鉾(全長約32.4cm)

出土した鉄鉾
出土した鉄鉾
(ほこ)は弥生時代から使用されてきた長い柄のついた刺突用の武器である。古墳時代の鉄鉾は、古墳から出土することがあるが、祭祀遺構からの出土は、沖ノ島遺跡(福岡県宗像市)や天白岩座遺跡(静岡県浜松市)くらいしか例がないとのことだ。今回出土した鉄鉾は遺存状況が良好である。





 玉類

二個の勾玉の出土状況
二個の勾玉の出土状況
鹿角装鉄剣の近くで2個の勾玉が見つかった。長さは2.6cmと3.2cmである。勾玉の他にも、臼玉と呼ばれる小さなビーズのような玉が多数出土している。玉は本来アクセサリーとして用いられたが、祭祀の道具としても盛んに用いられたようだ。

の他に、この時代の物として、直径2.7cm、厚さ2mmの有孔円板が出土している。中央に2つ孔をあけた扁平な滑石製の円板である。5世紀を中心に、祭祀遺跡や古墳から多く出土する遺物で、銅鏡を簡略化し模造した石製品とされている。

 皇朝十二銭

皇朝十二銭
皇朝十二銭
記の古墳時代前期後半の祭祀遺跡からの出土品以外にも、その上層の古墳時代中期の地層からは土師器や須恵器、獣骨、石製紡錘車などの遺物が多量に出土した。河川跡に投げ込んで捨てられたものと思われる。さらに、その上層から奈良〜平安時代に鋳造された皇朝十二銭が、新たに12枚出土した。今まで出土したものと合わせると、110枚を数えるという。大阪府下でこれだけ大量の皇朝十二銭が発見された場所は、他にはない。



2007/06/30作成 by pancho_de_ohsei return