橿原日記 平成19年5月16日

特別公開中のキトラ古墳壁画「玄武」を見に出かける


特別展のしおり
特別展のしおり
良文化財研究所の飛鳥資料館では、「キトラ古墳壁画四神玄武」と題する春期特別展を開催中である。特に、5月11日から27日までは、期間限定で修復された「玄武」が特別公開されている。

様な特別公開は、昨年も保存修理を終えた「白虎」について行われた。古墳壁画の実物の初めての公開とあって、明日香は連日、白虎の狂奏曲が奏でられ、いささかかしましかった。公開期間中に6万人の見物客が訪れたという。

奏曲に後押しされる形で、筆者も飛鳥資料館に出かけ、行列の最後に並んだ。75分も待たされ、やっと白虎の前まで来たと思ったら、トコロテン式に押し出され、壁画の現物を目にしたのはわずか1分程度だった。あんな思いをするくらいなら、今回は展示会に出かけるのは止そうと思っていた。

道路脇に並べられた幟
飛鳥資料館前の道路脇に並べられた幟
が、明日香で催しがあるのに出かけないというのも、気持ちが落ち着かないものだ。やはり誘惑に負けて、友人のT.Y君を誘って本日出かけてきた。驚いたことに、明日香資料館の前を通る県道の両脇に、「キトラ古墳壁画四神」と染め抜かれた幟(のぼり)が列をなして立ててあった。まるで神社仏閣の縁日のような異様な雰囲気である。文化庁が主催し、朝日新聞社が後援する催し物にしては、いささか品位に欠けるとの印象をもった。

かも、「消失寸前で発見された最古傑作」という横文字が幟に踊っている。消失寸前だったかどうかは疑問がある。点検で人が入ったり照明を当てたりすることで、人為的に壁画の劣化を進めてしまったという意見もある。高松塚古墳の保存の失敗に懲りて、まともな保存方法も試みないで壁画はぎ取りを決定してしまった節もある。



リニューアルされた館内ロビーのジオラマ

リニューアルされたジオラマ
リニューアルされたジオラマの一部

鳥資料館の玄関を入って驚いた。館内ロビーに置かれたジオラマが新しくリニューアルされていた。しかも、新しいジオラマは、航空写真との抱き合わせである。床に貼られた飛鳥地方の航空写真と同じ縮尺でジオラマが制作され、飛鳥京や飛鳥寺など古代の遺跡の位置が復元してある。

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館内ロビーに置かれたジオラマ
のジオラマでは、飛鳥地方で学術調査された遺跡を、ある程度想定を盛り込んで復元されている。したがって最近調査され、蘇我入鹿邸宅跡ではないかと想定されている甘樫丘東遺跡まで復元されていた。ジオラマ全体から受ける印象では、飛鳥浄御原宮が置かれた天武朝の頃の飛鳥をイメージとして捕らえることができるが、その頃には入鹿の邸宅などは亡くなっていたのでは?

鳥は石の都だったと言われるほど、発掘すればあちこちで石敷きの遺構が出土する。ジオラマでは飛鳥京から飛鳥寺周辺をすべて石敷きで復元している。しかし、飛鳥の西にあった槻木(つきのき)の広場まで石敷きとは恐れ入った。この付近は聖なる槻(けやきのき)が林をなしていたと考えたほうが古代の実景に近い。

れにしても、復元模型を見ていると飛鳥盆地は寺院と宮居で埋め尽くされ、当時の有力氏族の館や一般住民の住居が見あたらない。彼らは何処に居を構えていたのだろうか。



一般公開されたキトラ古墳の玄武

春期特別展示のポスター
春期特別展示のポスター
回一般公開された玄武は、平成17年(2005)11月30日にキトラ古墳の北壁から剥ぎ取られた壁画である。その際、中央縦の亀裂や右側の横に延びた亀裂に沿って壁画を3分割して剥ぎ取ったという。玄武の絵自体は、横約25cm、縦約14.5cmの大きさだが、剥ぎ取られた漆喰の範囲は、絵の周囲の余白も含めて縦41.5cm、横32.8cmだった。

分割したうちの右上のパーツをはぎ取る際、蛇の頭部(縦3センチ、横2センチ)が石壁にくっついて残るというハプニングがあった。この部分は後から慎重に剥ぎ取ったようだ。剥ぎ取られた玄武の壁画は、保存修復のために奈良市の奈良文化財研究所に搬送された。

存修復を終えた玄武の壁画は今月の7日、一般公開のために美術品専用のトラックで慎重に飛鳥資料館に運ばれ、1.5m四方、高さ約50cmの展示用ガラスケース内に移された。ケース内は壁画への影響を抑えるため、常時温度20度、湿度60%に保たれている。


武は、北の星宿の神格化した中国の神で、玄天上帝ともいう。玄とは黒を意味し、五行説では北方の色とされている。そのため、北方を守護する玄武は、足の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多い。

キトラ古墳の石室内に描かれた玄武
キトラ古墳の石室内に描かれた玄武
ぜ亀に蛇が巻き付いた形で玄武が表されるのかよく分からなかった。この玄武壁画の一般公開にあたり、飛鳥資料館では春期特別展で、玄武の発生からキトラ古墳壁画まで、玄武が歩んだ道のりを様々な展示品を通じて紹介している。当初は蛇を配さず、亀だけで描かれていたが、そのうち蛇と一緒に表されるようになった。その理由は、亀は雌で、それに配する雄として蛇を抱き合わせるようになったという。

前に「世界遺産 高句麗壁画古墳展」で見た江西大墓(こうせいたいぼ)の玄武図は、生動感と繊細さを巧みに描いたすばらしいものだった。江西大墓が築かれたのは6世紀末から7世紀初め頃と推定されている。高松塚古墳にしろキトラ古墳にしろ、石室内に描かれた四神図は江西大墓のそれとは図柄が異なり、絵師は高句麗系の人物ではなかったのだろう。

一般公開された玄武
一般公開された玄武
回は、白虎の特別展示の時ほど長時間並んで待つことはなかった。それでも山田寺の回廊が復元されている部屋で45分近く待たされた。そして、ガラスケースに納められた玄武の現物を実見できたのは、やはり1分足らずだった。

41.5cm、横32.8cmの小さなな壁画片は、上記のようにガラスケースの中に厳重に保管されていた。今まで写真で見てきた玄武は、周囲の漆喰のせいで、ずいぶん黒っぽく見えた。だが、ガラスケースの中で照明が当てられているせいか、漆喰の表面が明るく見えた。言ってみれば、漆喰の表面の汚れを石けん水できれいに洗い落とした感じだった。玄武の絵そのものは、思っていたよりずっと小さい。それに描かれた線も繊細だった。


キトラ古墳の石室内に描かれた青龍
キトラ古墳の石室内に描かれた青龍
化庁はキトラ古墳の東西南北の壁に描かれた四神図の剥ぎ取りをすでに行っている。一般公開された「白虎」と「玄武」に先立って、「青龍」は平成16年(2004)8月に剥ぎ取った。だが、四神図の中で最初に剥ぎ取ったにもかかわらず、何故かまだ公開されていない。

朱雀」は今年の2月に剥ぎ取りに成功している。その作業は難航したらしく、ダイヤモンドワイヤ・ソーという新しい装置まで導入した。この装置は、ダイヤモンドの粉末を金属パウダーと一緒に焼き固めて作ったビーズ(径約10mm)を一定間隔に固着した太さ0.3mmの針金をモーターで巻き取りながら、漆喰を傷つけないように壁から切り離すことができる。

キトラ古墳の石室内に描かれた朱雀
キトラ古墳の石室内に描かれた朱雀
トラ古墳では四神図のほかにも十二支像が描かれていた。十二支像のすべてが確認されたわけではないが、すでに戌(いぬ)、午(うま)、丑(うし)、亥(いのしし)子(ねずみ)、寅(とら)が剥ぎ取られている。

公開の「青龍」、「朱雀」および「十二支像」も、保存修理が終わった後、同様に期間限定に一般公開されるのかどうかはわからない。高松塚古墳の保存失敗の汚名を回復すべく、文化庁はこれらの壁画を一般公開して人気取りを画策するものと思われる。壁画が描かれた漆喰片を個別に一般公開することに、何ほどの意義があるのか筆者には分からない。だが、一般公開を大々的に宣伝することで、マスメディアは紙面や番組を特集記事や特番で埋めることができることは事実だし、大勢の見学者を明日香に引きつけることで潤う交通機関があることも事実だ。

が、キトラ古墳の壁画剥ぎ取り作業は、まだ最大の難問をかかえている。天井石に描かれた星宿図の剥ぎ取りだ。東アジアで最古とされる星宿図は、四神図などよりはるかに文化的価値が高いとされている。もろくてボロボロになっている漆喰の状態を考えれば、この部分の剥ぎ取りは至難の業と言えよう。文化庁はどのような方法でこの難問に対峙するのか”みもの”である。

整備されるキトラ古墳の周辺
整備されるキトラ古墳の周辺
う一つの問題がある。剥ぎ取られた壁画が再び石室内に戻すのではなく、外部で保存することが決まっている。だが、剥ぎ取られ修復された壁画を博物館の陳列室に並べただけでは、意味をなさない。古墳の壁画は石室内に描かれた場所に置かれてこそその存在意義を発揮する。石室と一体となって初めて壁画と言える。

いわい、キトラ古墳の周辺は国営飛鳥歴史公園の一部とし整備することが、平成13年3月16日に閣議決定されている。どのような施設の中で、これらの壁画が生かされるのかも、これからの楽しみの一つだ。



2007/05/18作成 by pancho_de_ohsei
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