リニューアルされた館内ロビーのジオラマ
飛鳥資料館の玄関を入って驚いた。館内ロビーに置かれたジオラマが新しくリニューアルされていた。しかも、新しいジオラマは、航空写真との抱き合わせである。床に貼られた飛鳥地方の航空写真と同じ縮尺でジオラマが制作され、飛鳥京や飛鳥寺など古代の遺跡の位置が復元してある。
飛鳥は石の都だったと言われるほど、発掘すればあちこちで石敷きの遺構が出土する。ジオラマでは飛鳥京から飛鳥寺周辺をすべて石敷きで復元している。しかし、飛鳥の西にあった槻木(つきのき)の広場まで石敷きとは恐れ入った。この付近は聖なる槻(けやきのき)が林をなしていたと考えたほうが古代の実景に近い。 それにしても、復元模型を見ていると飛鳥盆地は寺院と宮居で埋め尽くされ、当時の有力氏族の館や一般住民の住居が見あたらない。彼らは何処に居を構えていたのだろうか。 |
一般公開されたキトラ古墳の玄武
3分割したうちの右上のパーツをはぎ取る際、蛇の頭部(縦3センチ、横2センチ)が石壁にくっついて残るというハプニングがあった。この部分は後から慎重に剥ぎ取ったようだ。剥ぎ取られた玄武の壁画は、保存修復のために奈良市の奈良文化財研究所に搬送された。 保存修復を終えた玄武の壁画は今月の7日、一般公開のために美術品専用のトラックで慎重に飛鳥資料館に運ばれ、1.5m四方、高さ約50cmの展示用ガラスケース内に移された。ケース内は壁画への影響を抑えるため、常時温度20度、湿度60%に保たれている。 玄武は、北の星宿の神格化した中国の神で、玄天上帝ともいう。玄とは黒を意味し、五行説では北方の色とされている。そのため、北方を守護する玄武は、足の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多い。
以前に「世界遺産 高句麗壁画古墳展」で見た江西大墓(こうせいたいぼ)の玄武図は、生動感と繊細さを巧みに描いたすばらしいものだった。江西大墓が築かれたのは6世紀末から7世紀初め頃と推定されている。高松塚古墳にしろキトラ古墳にしろ、石室内に描かれた四神図は江西大墓のそれとは図柄が異なり、絵師は高句麗系の人物ではなかったのだろう。
縦41.5cm、横32.8cmの小さなな壁画片は、上記のようにガラスケースの中に厳重に保管されていた。今まで写真で見てきた玄武は、周囲の漆喰のせいで、ずいぶん黒っぽく見えた。だが、ガラスケースの中で照明が当てられているせいか、漆喰の表面が明るく見えた。言ってみれば、漆喰の表面の汚れを石けん水できれいに洗い落とした感じだった。玄武の絵そのものは、思っていたよりずっと小さい。それに描かれた線も繊細だった。
「朱雀」は今年の2月に剥ぎ取りに成功している。その作業は難航したらしく、ダイヤモンドワイヤ・ソーという新しい装置まで導入した。この装置は、ダイヤモンドの粉末を金属パウダーと一緒に焼き固めて作ったビーズ(径約10mm)を一定間隔に固着した太さ0.3mmの針金をモーターで巻き取りながら、漆喰を傷つけないように壁から切り離すことができる。
未公開の「青龍」、「朱雀」および「十二支像」も、保存修理が終わった後、同様に期間限定に一般公開されるのかどうかはわからない。高松塚古墳の保存失敗の汚名を回復すべく、文化庁はこれらの壁画を一般公開して人気取りを画策するものと思われる。壁画が描かれた漆喰片を個別に一般公開することに、何ほどの意義があるのか筆者には分からない。だが、一般公開を大々的に宣伝することで、マスメディアは紙面や番組を特集記事や特番で埋めることができることは事実だし、大勢の見学者を明日香に引きつけることで潤う交通機関があることも事実だ。 だが、キトラ古墳の壁画剥ぎ取り作業は、まだ最大の難問をかかえている。天井石に描かれた星宿図の剥ぎ取りだ。東アジアで最古とされる星宿図は、四神図などよりはるかに文化的価値が高いとされている。もろくてボロボロになっている漆喰の状態を考えれば、この部分の剥ぎ取りは至難の業と言えよう。文化庁はどのような方法でこの難問に対峙するのか”みもの”である。
さいわい、キトラ古墳の周辺は国営飛鳥歴史公園の一部とし整備することが、平成13年3月16日に閣議決定されている。どのような施設の中で、これらの壁画が生かされるのかも、これからの楽しみの一つだ。 |