橿原日記 平成19年5月4日

融通念佛宗(ゆうずうねんぶつしゅう)総本山・大念佛寺(だいねんぶつじ)で「万部(まんぶ)おねり」を見学

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腰鼓(ようこ)を持って9番目に登場してきた虚空蔵菩薩 (1807/05/04 撮影)

天台宗、真言宗に次いで古い歴史を持つ融通念佛宗

ールデンウイーク(GW)に入る直前に友人から電話があり、いきなりこう聞いてきた。
「君は大阪市の平野にある大念佛寺(だいねんぶつじ)という寺を知っているか?」
「名前は聞いたことがなるが、今まで訪れたことはない」
そう答えると、彼は次のように話し出した。
「GW中どこも出かける用事がないなら、5月1日から5日まで毎日行われる「万部おねり」を見に行ったらいい。人間のいまわの際に、阿弥陀様が極楽浄土から二十五菩薩を従えてお迎えにくる様子を表現した練供養だ。大念佛寺で最も重要な伝統行事で、5年前に市の無形文化財にも指定されている。佛の面をかぶり、様々な楽器をもって練り歩く二十五体の菩薩の姿は、一見の価値があると思うよ」

大念佛寺の山門
大念佛寺の山門(市の重要文化財)
大念佛寺の本堂
大念佛寺の本堂(国の重要文化財)
念佛寺(所在:大阪市平野区平野上町1−7−26)は融通念仏宗の総本山である。山号を大源山という。日本仏教十三宗の中の一つとされているが、融通念仏宗は決してメジャーな宗派ではない。そのため、今まではそれほど関心がなかったが、友人の電話を受けてから少し調べてみた。

いたことに、融通念仏宗は平安時代に成立していて、天台宗、真言宗に次いで古い歴史を持つ宗派である。宗祖は天台宗の僧侶だった聖応大師・良忍(りょうにん 、1072〜1132 )。平安末期の永久5年(1117)、大原来迎院で修行中に、阿弥陀如来から速疾往生(そくしつおうじょう)の偈文(げもん)を授かって開いた宗派だそうだ。「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という立場から、観想念仏よりも称名念仏を重視し、口称の念仏で浄土に生まれることができると説く宗派である。

忍は、集団で唱和する融通念仏でひろく諸国を布教して歩き、大治2年(1127)に鳥羽上皇の勅願によって摂津国平野に修楽寺を建てて根本道場とした。それが、大念佛寺の前身であるとされている。場所は、平野にあった坂上広野麿(さかのうえのひろのまろ)の私邸内だった。

なみに、坂上広野麿は平安時代に征夷大将軍として蝦夷を平定した坂上田村麻呂の次男である。9世紀の初め頃この付近の土地を朝廷から賜り、荒れ地を開墾して領有した人物で、「平野」という地名はその名の広野がなまったものとされている。

の後、寺勢は浮沈を繰り返したが、鎌倉時代末期の元亨元年(1321)、第7世・法明(ほうみょう、1279〜1349)上人が出て、寺域を拡大し堂塔を壮麗にして、大念仏寺を中興した。しかし、戦国時代、堂塔は兵火に焼かれ寺は荒廃した。江戸時代になって、寛文7年(1667)に第43世・舜空上人が大堂を建立し、次いで元禄年間に、第46世・大通上人(1649〜1546)が出て、諸堂を整え、法儀の要諦を完備して、一宗の本山としての体裁が整えられたとされている。



「万部おねり」とは・・・・

特設の来迎橋
二十五体の菩薩が練り歩く舞台となる特設の来迎橋

いでに、大念佛寺で最も重要な「万部おねり」についても少し調べてみた。そもそもお練り(おねり)とは、祭礼の神輿や山車(だし)を神事の奉納や観衆への披露のために動かす様子を表した言葉である。御輿や山車を移動することを「市中を練り廻す」「参道を練り歩く」などと表現する。伝統芸能においても、襲名披露や公演の宣伝などで役者たちが一定の距離を関係者らと行列して歩くことを「お練り」と呼んでいる。

教儀式としての「練供養(ねりくよう)」は、浄土教信仰が浸透した平安時代後期から鎌倉時代頃にルーツがあるようだ。我が国で初めて極楽浄土の思想を説いて「往生要集」を著した恵心僧都・源信(げんしん、942 - 1017)は、阿弥陀如来を念じ生きながら接したいと願って、横川の華台院で阿弥陀仏迎接会を始めた。これが二十五菩薩練供養の始まりとされている。練供養は全国各地で行われているが、中将姫が極楽へ往生する様を再現した葛城市當麻寺の聖衆来迎練供養会式(しょうじゅらいごうねりくようえしき)は、寛弘2年(1005)に始められ、最も古い練供養とされている。

「万部おねり」の栞
「万部おねり」の栞
念佛寺の「万部おねり」の歴史と行事のシナリオは、参観者に渡される栞(しおり)に要領よくまとめてある。それによれば、「万部おねり」とは、聖聚来迎会(しょうじゅらいごうえ)と阿弥陀経万部会(あみだきょうまんぶえ)が融合された伝統行事の通称で、正確には「二十五菩薩聖聚来迎阿弥陀経万部法要」といい、平成14年に大阪市の無形民俗文化財の指定を受けている。

聚来迎会は、無量寿経の中の「その人、寿(いのち)が終わるときにあたって、私は極楽浄土から二十五菩薩を従えて、その人を迎えに来るであろう」という阿弥陀如来の願いを具体的に表現した儀式である。正平14年(1349)に中祖・法明上人が當麻寺の儀式を参考にして始めたとされている。その後中断していたが、元禄9年(1696)に大通上人がこれを復活した。

方、阿弥陀経万部会は江戸時代の第49世・尭海(ぎょうかい)上人の頃、「阿弥陀経を一万部読誦(どくじゅ)することで極楽往生と檀信徒の祖先供養をすることを願って始められたという。

たがって、「万部おねり」は他の寺院で行われる練供養とはひと味違う。期間中は毎日午後1時から、詠讃歌舞(えいさんかぶ)、踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)、稚児行列などを先頭に開始され、その後、雅楽の音に先導されて二十五体の菩薩が練り歩く。最後に本尊の十一尊天徳阿弥陀如来の掛け軸と法要を行う僧侶集団が来迎橋を渡っていく。ここまでを入御(にゅうぎょ)という。

の後、極楽浄土を模した本堂内で、菩薩が手渡しで本尊に献華を供える荘厳な「菩薩伝供(ぼさつでんぐ)」が行われる。続いて、「阿弥陀経万部法要」が行われ、檀家や信徒、参詣者の先祖に対する追善回向がとり行われる。毎日一万部の読誦を行うという。最後に、菩薩が再び来迎橋を渡って極楽浄土の世界から娑婆世界の戻る還御(かんぎょ)のお練りがある。

ともと、阿弥陀経を一万部読誦することを主とする万部会という法要と、来迎会の儀式は別のものだった。元禄時代に大通上人が来迎会を復活した際には、来迎会のみだったそうだ。ところが明和年間(1764〜72)頃に万部法要が開始され、現在のようなかたちになったという。つまり、万部法要の中の一儀式として来迎会が取り入れらていることが、万度おねりの重要な特色である。



大念佛寺を初めて訪れる

W中でどこも出かける予定がなかったので、本日、「万部おねり」を見学することにした。橿原在住の友人T.Y君を誘うと、彼も手持ち無沙汰だったのか、一緒に行くという。練供養は午後1時10分から開始されるが、見学する場所取りが肝要だというので、正午に近鉄南大阪線で阿倍野橋に出て、JR大和路線で平野駅に向かった。大念佛寺は平野駅から徒歩5分ほどのところにある。

大念佛寺の山門
大念佛寺の山門
大念佛寺の本堂
大念佛寺の本堂(国の重要文化財)
念佛寺山門前の参道の両脇は、色とりどりの「万部おねり」の旗が並び、その奥に「大源山」の扁額を掲げた山門が聳えていた。この山門は、それに付随する扁額と棟札と共に、昨年大阪市の有形文化財に指定された。多くの参拝者がその山門に吸い込まれていく。

内に一歩足を踏み入れて、所狭しと軒を並べた屋台の多さに先ず驚かされた。縁日などであちこちの神社仏閣で見かける風景であるが、神社仏閣の境内は”聖”なる場所であり、一般にはこうした屋台は参道に並んでいる。もっとも参道が短く両脇に空き地がないため、境内での営業を認めているのかもしれない。

いで驚いたのは、巨大な本殿の建物である。昭和13年(1938)に再建された総欅(けやき)造りのこの建物は、屋根を銅版で葺いている。正面から建物を仰ぎ見ると、その大きさには圧倒されてしまう。そのはずである。大阪府下最大の木造建築であり、平成15年には国の重要文化財の指定を受けている。

の本堂の向かって左側面から正面左半分に、「万部おねり」のクライマックスとされる練供養のための来迎橋が築かれている。この寺に到着したとき、本堂のスピーカから布教のための説法が聞こえていた。本堂の中に入ると、多くの聴衆を前に、一人の僧侶がユーモアを交えながら説法を行っていた。

本堂の周りに巡らされたお練り用の 本堂で行われていた布教
本堂の周りに巡らされたお練り用の来迎橋 本堂で行われていた布教のための説法

菩薩が手にする幢
菩薩が手にする幢
堂の周り縁を伝って裏手に回ってみると、驚いたことに二十五体の菩薩がお練りのとき手に持つ楽器や幢(ばん)などが整然と並べられている。あと1時間もすれば、菩薩面をかぶり菩薩の衣装を身にまとった二十五人の僧侶たちが、これらの持ち物を手にしながら来迎橋を渡っていくことになる。四天王寺の舞楽奉納のとき楽人が演奏する笙(しょう)や羯鼓(かっこ)、太鼓といった様々な楽器があった。


菩薩が手にする楽器−@ 菩薩が手にする楽器−A
菩薩が手にする楽器類−@ 菩薩が手にする楽器類−A



午後1時過ぎから始まった来迎場面の再現

堂の周り縁に座って、練供養のうちの入御(にゅうぎょ)場面の開演(?))を待った。午後1時頃には、周り縁の上も来迎橋の下も、見物人でいっぱいになった。そして、定刻の1時10分に、マイクの声が二十五菩薩練供養の入御の開始を告げた。

お練りの先頭をきる詠讃歌舞 続いて登場した踊躍念仏の一行
お練りの先頭をきる詠讃歌舞 続いて登場した踊躍念仏の一行

いって、最初から二十五体の菩薩がぞろぞろ出てくる訳ではない。先ず詠讃歌舞(えいさんかぶ)の一団が、”ま〜んぶ〜おえしき〜さなえづき”(万部お会式 早苗月)と万部和讃を唱えながら来迎橋を渡って行く。続いて踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)が、そして稚児行列などが続く。その他にも様々な講の関係者が顔見せ興業のように来迎橋を通りすぎる。しかし、彼らはただ渡り歩くだけある。演技しながら過ぎていったのは、最初の詠讃歌舞と踊躍念仏だけにすぎない。

母親の手を引かれた稚児行列
母親の手を引かれた稚児行列
っと二十五菩薩のお練りの番になった。楽役(がくやく)による雅楽の音に先導され、行道面と呼ばれる菩薩の面を着けた僧侶が、二十五菩薩を模して練り歩くことになっている。その様が絢爛豪華な来迎の世界をこの世に再現したようだ、と友人に紹介されたので、どんなお練りになるか期待した。

かし、期待はいささか裏切られたと言わざるを得ない。筆者はこれでも浄土真宗の檀家の出である。幼い頃から床の間に掛けられた二十五菩薩来迎図などを見慣れている。そのイメージが強かったのか、阿弥陀如来が大勢の菩薩を引き連れて登場するものとばかり思っていた。しかし、現実は違っていた。

初に登場したのは、「阿弥陀経万部法要」を執り行う法主とそれに続く楽役たちである。この後、本日のハイライトである二十五菩薩が次々と登場する段取りになっている。まず、前かがみの姿勢で紫蓮台を持った観世音菩薩が登場し、足早に通り過ぎていった。続いて、勢至菩薩をはじめ様々な菩薩がそれぞれの持ち物を持って登場してきた。それぞれの菩薩の衣装と持ち物を、以下の写真と表で紹介することにしよう。

観世音菩薩 勢至菩薩 薬王菩薩 薬上菩薩 普賢菩薩
観世音菩薩 勢至菩薩 薬王菩薩 薬上菩薩 普賢菩薩

金蔵菩薩 獅子吼菩薩 華厳王菩薩 虚空蔵菩薩 徳蔵菩薩
金蔵菩薩 獅子吼菩薩 華厳王菩薩 虚空蔵菩薩 徳蔵菩薩

宝蔵菩薩 法自在菩薩 金剛蔵菩薩< 山海慧菩薩 光明王菩薩
宝蔵菩薩 法自在菩薩 金剛蔵菩薩 山海慧菩薩 光明王菩薩

陀羅尼菩薩 衆宝王菩薩 日照王菩薩 月光王菩薩 定自在王菩薩
陀羅尼菩薩 衆宝王菩薩 日照王菩薩 月光王菩薩 定自在王菩薩

三昧王菩薩 大自在王菩薩 白象王菩薩 大威徳王慧菩薩 無辺身菩薩
三昧王菩薩 大自在王菩薩 白象王菩薩 大威徳王菩薩 無辺身菩薩

二十五菩薩の名前と持ち物
名前持ち物名前持ち物
観世音菩薩紫蓮台(しれんだい)山海慧菩薩箜篌(くご)
勢至菩薩金剛合掌(こんごうがっしょう)光明王菩薩琵琶
薬王菩薩憧幡(どうばん)陀羅尼菩薩鳳簫(ほうしょう)
薬上菩薩玉幡(ぎょくばん)衆宝王菩薩鐃(にょう、銅羅)
普賢菩薩幡蓋(ばんがい)日照王菩薩羯鼓(かっこ)
金蔵菩薩瑟(ひつ)月光王菩薩振鼓(しんこ)
獅子吼菩薩拍子板(ひょうしばん)定自在王菩薩太鼓(たいこ)
華厳王菩薩鉦鼓(しょうこ)三昧王菩薩華鬘(けまん
虚空蔵菩薩腰鼓(ようこ)大自在王菩薩華憧(けどう)
徳蔵菩薩笙(しょう)白象王菩薩宝憧(ほうどう)
宝蔵菩薩横笛(おうてき)大威徳王菩薩供華(くげ)
法自在菩薩篳篥(ひちりき)無辺身菩薩香炉(こうろ)
金剛蔵菩薩鉢(はつ)--

が、「お練り」という言葉から受ける印象とはほど遠く、彼らは普通の早さで来迎橋を歩いていく。しかもかなりの間隔を開けて登場し歩き去って行く。ファッションショウでも何らかの仕草をしながら、観客の目を意識してゆっくりと歩いてくれる。だが、二十五体の菩薩は、この後本堂で執り行われる「菩薩伝供(ぼさつでんぐ)」に遅れまいとして、足早に通りすぎて行っただけである。

十五菩薩が通り過ぎた後、融通念仏宗特有の画像本尊である十一尊天得如来の掛け軸を胸に抱いた僧侶が登場し、最後に万部法要で読誦を行う僧侶たちが続いた。

画像本尊の十一尊天得如来の掛け軸 最後は万部法要を執り行う僧侶たち
画像本尊の十一尊天得如来の掛け軸 最後は万部法要を執り行う僧侶たち



本堂で執り行われた菩薩伝供(ぼさつでんぐ)の儀式と阿弥陀経万部法要

菩薩伝供が行われる直前の本堂内部
菩薩伝供が行われる直前の本堂内部

婆世界から極楽浄土に二十五菩薩が出現する様子を再現する「入御」の儀式の後、舞台を本堂内に移して、「菩薩伝供」と「阿弥陀経万部法要」のおつとめがある、というので本堂の中に入った。本堂内部は極楽浄土である。浄土宗の各派は本堂を出来うるかぎり荘厳に飾り立てるのが好きなようだ。内陣の仏壇はもちろん、その周囲の円柱や天井からぶら下がる幡まで金泥を塗りたくって、目にまばゆいばかりの世界を演出している。

の中で、献華を菩薩から菩薩へリレー式に手渡して仏壇の前に並べる菩薩伝供という儀式が、大勢の僧侶の読経の声が鳴り響く中で行われた。その後、信者や参拝者の先祖を追善回向するため阿弥陀経を一万部読誦する「阿弥陀経万部法要」が行われる。残念ながら、時間の制約がり、法要の途中で二人は本堂を辞した。

菩薩が献花する菩薩伝供の儀式 唱名が堂内に響き渡る阿弥陀経万部法要
菩薩が献花する菩薩伝供の儀式 唱名が堂内に響き渡る阿弥陀経万部法要

次第では、阿弥陀経万部法要の後、午後3時から二十五菩薩が極楽浄土の世界から娑婆世界に還る「還御」の儀式が行われる、とある。「入御」とは逆に、来迎橋を渡って戻っていく様を再現した行事のようだ。


り道、この仏教儀式の流れを振り返ってみて、冒頭に記した友人の話に疑問を持った。友人ならずとも、筆者も、来迎会式というものは人が臨終の際にあるとき、西方極楽浄土から阿弥陀如来が二十五菩薩を引き連れて娑婆世界に来迎し、死者の魂を極楽浄土へ導いてくれる様子を再現したものと思っていた。だが、大念佛寺の練供養では、方向性が逆になっているようだ。「万部おねり」に栞で確認しても、「入御」の段階では”菩薩たちが娑婆(しゃば)世界から極楽浄土に出現する”と表し、「還御」では逆に”菩薩たちが極楽浄土から娑婆世界に還っていく”となっている。

そらく「万部おねり」の主体は、本堂内すなわち極楽浄土で行われる追善回向の阿弥陀経万部法要であるはずだ。この儀式に二十五菩薩の練供養を抱き合わせたため、本来の練供養とは方向性が逆転してしまったのではあるまいか。極楽浄土で行われる回向に菩薩が極楽から出現するのはおかしい。やはり娑婆世界からはせ参ずるようにしないことには、話にならない。

なみに、5月14日に行われる當麻寺の聖衆来迎練供養会式では、入御の際は25菩薩が極楽堂を模した曼荼羅堂(本堂から)から娑婆堂へ渡られ、還御の際は娑婆堂から曼荼羅堂へ還られる(5月14日付けフォトアルバム参照)。



1807/05/06作成 by pancho_de_ohsei
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