橿原日記 平成19年5月3日

再び近江路へ。狛坂寺跡(こまさかでらあと)の磨崖仏を訪ねる


賀県の湖南アルプスとよばれる金勝山(こんぜやま)に、わが国屈指の磨崖仏があると聞いた。狛坂寺跡磨崖仏である。以前、メル友が一見の価値あり、と教えてくれたのを覚えている。白州正子も名著「かくれ里」の中で、”聞きしにまさる傑作で、こんな迫力のある石仏は見たことがない”と絶賛している。

図で調べても、金勝山という山はない。鶏冠山(とさかやま)から竜王山にかけての山域を、麓の金勝寺(こんしょうじ)の名を取って、金勝山と呼び慣わしているとのことだ、特に地元では金勝寺のある竜王山を金勝山と呼んでいるという。同じ字を書いて”こんしょう”と読んだり”こんぜ”と読んだりして、いささか紛らわしい。寺は”こんしょう”、山は”こんぜ”である。花崗岩の巨岩が露出した独特の風景を見せる金勝山は、絶好のハイキングコースになっているという。

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本日踏破した金勝山ハイキングルート
う聞いただけで、またぞろ探訪の虫が騒ぎ出した。本日は、ゴールデンウイーク後半の初日。絶好の行楽日和との予報だったので、早速出かけてみることにした。(当てにならないことの代名詞のように言われているのが気象庁の天気予報。本日は傘の必要はないと強調していたのに、帰路にわか雨に見舞われた。)

歩きが好きで、湖南アルプスを自分の裏山のように歩き回っている草津在住の大学同期生がいる。出かける前日に彼に電話して、散策ルートの所要時間を聞いた。
「そうさね、俺の足だったら3時間ってところかな。だが、山歩きに慣れていない君なら最低4時間は見ておいた方がよいよ」
これが、彼の返事だった。電話の向こうの彼の声から、かなりハードなハイキングコースになることを覚悟した。

7時10分に最寄りの駅を発車する近鉄京都線の急行に飛び乗った。「京都」駅に出てJR琵琶湖線(東海道本線)に乗り換えると、「くさつ」駅まで行った。そこから、9時ちょうどに駅前を出発する帝産バスで「上桐生」に向かう。バスに揺られること30分、終点「上桐生」は金勝山登山ルートの一つの起点である。

初の予定では「上桐生」バス停から、逆さ観音→狛坂磨崖仏→国見岩→重ね岩→白石峰→耳岩→天狗岩→落ケ滝と回って、バス停に戻るつもりだった。ところが、ある山岳同好会のグループとバスで一緒になり、彼らの尻について回ることにした。そのため、予定したコースの逆周りになっただけでなく、思いがけず鶏冠山(とさかやま)と竜王山の山頂まで行くことになった。


【探訪ルート】
上桐生バス停 →  落ケ滝 →  鶏冠山(とさかやま) →  天狗岩 →  耳岩 →  白石峰 →  茶沸観音 →  竜王山 →  重ね岩 →  国見岩 →  狛坂磨崖仏 →  さかさ観音 → 上桐生バス停  



上桐生から落ケ滝へ

スで一緒になった山岳同好会について、隣の席に座った婦人に尋ねると、関西地区の「いこいの山岳会」というグループだった。40年以上の歴史を持つ山歩きの同好会で、現在の会員は300名以上、平均年齢67歳、本日の参加者は24名で、金勝山ハイキングルートで鶏冠山と竜王山に登る予定だと、彼女は問わず語りに教えてくれた。一人での散策はおぼつかないので、このグループに付いてまわることにした。

「上桐生」バス停留所 有料駐車場の脇に立てられた総合案内板
帝産湖南バスの終点、「上桐生」バス停留所 有料駐車場の脇に立てられた総合案内板

前9時30分、バスは終点の「上桐生」バス停に到着した。バス停から少し歩いた所に有料駐車場がある。近くの若人広場やキャンプ場の付帯施設で、ここが金勝山ハイキングの起点の一つになっている。マイカーが利用できれば、山の東側の「金勝寺」あるいはその上にある「馬頭観音堂」まで車で来て、そこから山道を歩くルートもある。

料駐車場から北谷林道を歩き出した。比較的道幅の広い、しっかりした林道である。およそ400mほどで、落ケ滝方面へ向かう分岐点がある。分岐点の角に方向表示が立っている。それによれば、この地点から北峰縦走線までは、落ケ滝線というおよそ1900mの山道が続く。落ケ滝までの距離は1150m、約30分の道のりだそうだ。

北谷林道から落ケ滝線への分岐点に立てられた標識 ウラジロ
落ケ滝線への分岐点に立てられた標識 両側から山道を覆うようにせり出しているウラジロ

ケ滝線に入ると、すぐの所に「奥池」があり、山道の傍に一本の大きな山桜がまだ花を付けていた。だが、山道は次第に細くなり、両脇からウラジロの葉が道を隠すように延びている。山道の脇を小さな谷が流れている。その瀬音を耳にしながら、谷の上流へ向かう山道は途中までは比較的平坦な登り坂だが、谷が近くなるに従って次第に傾斜がきつくなってきた。

3段になった岩場を細流が流れ落ちる落ケ滝 色が鮮やかな山ツツジ
3段になった岩場を細流が流れ落ちる落ケ滝 滝のそばでひときわ紫の色が鮮やかな山ツツジ

ケ滝を見るには、登山路からおよそ100mほど分岐しなければならない。分岐点から5分ほど歩いたと思ったら、突然目の前に滝が現れた。時計を見ると、10時3分。およそ30分で落ケ滝まで登ってきたことになる。見上げると、3段に積み重なった岩場の高みから細流が申し訳程度に流れ落ちている。だが、水量こそ少ないが湖南アルプス独特の花崗岩の岩肌を落ちる段瀑である。若葉が鮮やかな木々に囲まれた花崗岩は、その岩肌が一層黒く見えた。



落ケ滝から鶏冠山(とさかやま)

岳同好会の次のターゲットは海抜490mの鶏冠山とのことだ。落ケ滝から鶏冠山の山頂までは約1km、40分の道のりである。再び落ケ滝線に戻り、北峰縦走線との合流点を目指して山道を登り始めた。

冠山は、正式にはケイカンザンと呼ぶらしいが、一般にはトサカヤマと呼び慣わされている。鶏のトサカに頂上が似ていることが名前の由来だそうだ。落ケ滝の標高はどれくらいか知らないが、鶏冠山の山頂は標高490m。かなりの登りの山道になると覚悟した、

わき水がしみ出した岩場が行く手をはばむ 目指すは鶏冠山の山頂あ
わき水がしみ出した岩場が行く手をはばむ 目指すは鶏冠山の山頂

勝山の山肌は樹木に覆われているが、一枚皮を剥げば花崗岩の岩山である。ただ、かなり風化した岩山で、白っぽい花崗岩のザラザラした砂が山道を覆っていて滑りやすい。高度が上がるに従って、岩山は自然の荒々しさを剥き出しに現し始めた。岩の間からしみ出してくるわき水で濡れた大岩盤が行く手を遮っている。足場を注意しながらの登山が、20分ほど続くことになる。

落ケ滝線と北峰縦走線との合流地点 山道の傍らで見つけたイワカガミ
落ケ滝線と北峰縦走線との合流地点 山道の傍らで見つけたイワカガミ

0時37分、やっと北峰縦走線との合流点に到達した。ここから左へ行けば鶏冠山、右へ行けば天狗岩へ向かう。山岳同好会の一行は、まず鶏冠山に登り、その後引き返してきて天狗岩へ向かうという。そのため、邪魔になる荷物は標識の近辺において、見張りを一人立て、その他のメンバーは鶏冠山へ向かうとのことだ。彼らに真似て、リュックサックを分岐点において鶏冠山までついて行くことにした。

冠山に向かう北峰縦走線は尾根道である。登山路の両脇の灌木の背が低いため、初夏の太陽がもろに山道に降り注いでいる。しかし、尾根を渡る風が汗ばんだ肌に心地よい。路傍でピンク色の草花を見つけた。イワカガミである。岩場や急傾斜地・山道の道ばたなどに群生する植物だ。葉に光沢があり、そのため岩鏡の和名の由来となったという。

山道の傍らで見つけたイワカガミ
鶏冠山への途中で見下ろした下界。彼方に三上山がかすんで見えた。

鶏冠山の山頂
鶏冠山の山頂
根道の途中で、木々の間から下界を見渡すことができる。綺麗な円錐形の山容をもつことから「近江富士」と呼ばれている三上山が、遠くにかすんで見えた。何回かアップダウンを繰り返し、10時50分、ようやく鶏冠山の山頂に着いた。頂上には、測量の三角点の標柱と490.9mの標高を示す看板が木に打ち付けてあるだけで、何もない。周囲の木々に遮られて見晴らしも良くない。

々が来た道とは反対側から一人のハイカーが登ってきた。上桐生から北谷林道を経由して登ってきたとのことだ。我々がたどったルートに比べると、距離は少し長くなるが、坂道はそれほど急坂ではないとのことだ。



鶏冠山から天狗岩へ

前11時、鶏冠山の山頂から下山を開始する。花崗岩の砂をまき散らした山道は、登りも下りも滑りやすいので細心の注意が必要だ。今まで何度も滑って転びそうになったが、かろうじて転倒するのは免れた。若い頃運動クラブで培った身のこなしのせいだろう、といささか自信を持った。

が、下りの大した傾斜のない坂で靴が滑って仰向けに転倒してしまった。左の手のひらと右手の肘を擦りむいた。山岳同好会の一人が心配して起こしてくれたが、大事には至らなかった。昨日の電話で、知人は貴重なアドバイスをくれたを思い出した。

道は濡れていなくても滑りやすい。靴底が滑りやすいスニーカやジョギングシューズは止めて、登山用の靴で出かけた方がいい」
彼の話を思い出しながら、山岳同好会の足元を見ると、見事に全員が登山シューズを履いている。残念ながら登山シューズの持ち合わせがないのでジョギングシューズを履いてきた。

北峰縦走線の途中で、天狗岩を遠望 あちこちで奇怪な巨岩を目にする
北峰縦走線の途中で、天狗岩を遠望 あちこちで奇怪な巨岩を目にする

1時17分、落ケ滝線との分岐点に戻った。11時20分、リュックを担いで次の目的地である天狗岩に向かって行進を開始した。分岐点から天狗岩まではおよそ2km。だが、途中の道は巨岩の間を抜けていく難路である。この道を踏破するのに40分近くかかることになる。

根伝いの道からは、左右の山の斜面に林立する巨岩を望むことができるようになった。やがて、登山路そのものが巨岩の谷に引きずり込まれ、石の迷路のように続く。右を向いても左を見ても、岩ばかりの世界である。幾重にも積み上がられた石を見ると、自然が作り出した芸術のすばらしさを感嘆したくなる。

林立する岩の間を抜けて行く登山路 登山路に覆い被さる巨岩
林立する岩の間を抜けて行く登山路 登山路に覆い被さる巨岩

が、幼児体験で巨大地震の恐ろしさを知る筆者は、つい今地震が起きたら・・・と考えてしまう。今まで巨岩の間を抜けて行く経験を二度したことがある。交野市私市(きさいち)の磐船神社(いわふねじんじゃ)の岩窟を通り抜けたとき(平成17年7月23日付け橿原日記参照)と、笠置寺の修行場巡りをした(平成18年8月日付け橿原日記参照)ときだ。そのときも巨岩の間に身を置いた瞬間は地震がこないことを祈った。

ようやく接近してきた天狗岩の景観
ようやく接近してきた天狗岩の景観

午すこし前、ようやく標高509mの天狗岩の麓に到着した。天狗岩とは、山のてっぺんにある巨石群のことである。その頂上まで登るのは大変だ。ロープを伝って岩山の途中まで登り、その先は岩と岩の人ひとりがかろうじて通れる隘路を抜けて行かねばならない。だが、頂上に立つと、下界の景観がよく見えた。現在、工事中の新名神高速道路もトンネルを抜けた先が大きく湾曲しながら続いている。

天狗岩の頂上 天狗岩の頂上で腰を据えている巨岩
天狗岩の頂上は人だかり 天狗岩の頂上で腰を据えている巨岩



天狗岩から耳岩を経由して白石峰へ

狗岩の頂上から四界を眺めた後、その麓で昼食と取った。昼食と言ってもリュックサックに入っていたのは、粒あん入りのアンパンが二個だけ。途中、駅のキオスクで昼食の弁当を購入するつもりでいたが、「くさつ」駅の構内にはキオスクが見つからず、駅の近辺でもコンビニも見あたらなかった。したがって、途中で腹が減ったら食べようと昨晩のうちに買っておいたアンパンが昼食の代わりになった。

が、山岳同好会の皆さんは親切である。会員でもないのに、これを食べなさい、と夏みかんや缶詰のパイナップルを分けてくれる。おそらく彼らと一緒に歩きながら話し合ったり、記念写真撮影のカメラマン役を引き受けたので、彼らとしても親密さを感じたのだろう。

耳石方面への標識 耳石の名が付けられた巨岩
耳石方面への標識 耳石の名が付けられた巨岩

2時35分、昼食の休憩が終わって、山岳同好会は北峯縦走線を南に向かった。次の目的地は竜王山である。途中に、耳石と呼ばれる巨岩があった。その謂われは知らないが、見る角度によっては、人間の耳たぶに似ているのだろう。岩と岩の隘路があり、そこを通って岩の上に出ることが可能だ。残念ながら、筆者の体型では隘路を抜けることはできなかった。

白石峰は各登山路の合流地点
白石峰は各登山路の合流地点
岩を過ぎて、下りの坂道を歩いているとき、足の筋肉が疲労を訴え始めた。ときどき太ももに痛みが走った。こんなことは絶えてなかったことである。

後1時、白石峰に到着した。ここはそれぞれの登山路の交差点のような場所である。各方面の名所とそこまでの距離と所要時間を記した大きな標識が立っている。この場所から竜王山までは500m、20分で到達できるようだ。山岳同好会のグループはまた標識の周辺に荷物を置いた。竜王山の山頂まで行って、またこの場所まで戻ってくるという。



茶沸観音の前を通って竜王山の山頂へ

石峰から竜王山へ通じる道を茶沸観音線という。竜王山の先は馬頭観音堂へ続いていて、マイカー族なら観音堂の駐車場に車を置いて、この道を反対側から登ってくることができる。山道はハイキングコースとして整備されていて歩きやすいという。荷物を置いた一行は、1時3分に白石峰を出発した。

竜王山への縦走路沿いにある茶沸観音 茶沸観音の拡大
竜王山への縦走路沿いにある茶沸(ちゃわかし)観音 茶沸観音の拡大

分も歩くと、道の傍らに巨岩が一つあり、その岩を深く削って高さ60cmほどの仏龕を作り、その中に仏像が浮き彫りされている。近くに立てられた標識から、茶沸観音であることはすぐにわかった。何故茶沸かし観音と呼ばれているのか、その由来についてはわからない。

なり風化が進んでいるが、これも立像の磨崖仏である。よく見ると、二重蓮座の上に立ち、光背を背負っている。顔の表情はすっかり消えているが、像高は32cmしかなく、一見可愛い観音像の印象を与える。彫られたのは狛坂磨崖物と同じ頃と推定されている。そうであれば、奈良時代後期から平安時代前期の頃の制作ということになる。

竜王山方面への標識 金勝寺八大竜王の祠
竜王山方面への標識 金勝寺八大竜王の祠

くつかアップダウンを繰り返しながら尾根道を進むと、金勝寺・竜王山方面の標識が立っていた。そこから、矢印の方向にかなり急な階段を下りて行くと、金勝寺八大竜王の祠がある。金勝寺はここから1.8キロ先にあるが、竜王山の山頂は祠から少し登った所にある。しかし、海抜604mの山頂は四等三角点と頂上の看板があるだけの、雑木に囲まれた狭い空間にすぎなかった。

竜王山へ向かう途中の尾根から眺めた下界
竜王山へ向かう途中の尾根から眺めた下界



白石峰から重ね岩へ、さらに国見岩へ

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後1時45分、再び白石峰に戻ってきた。ほぼ40分をかけて竜王山頂まで往復したことになる。白石峰から狛坂磨崖仏方面へ向かうルートは、狛坂線と呼ばれる下りの急坂である。三角石が埋め込んだ長い石段を下ると、やがて尾根伝いの地道で出る。道の両脇の灌木に混じってツツジが紫の花をつけていて、その艶やかな色が周囲の緑に映えて美しい。

石峰から10分ほど下ってきた道の傍らに、大きな岩が2つ重ねられた「重ね岩」という名の名物石があった。人為的に積み重ねたようにも見えるが、このような場所でそのような作業をするはずもなく、やはり自然の妙と言うべきだろう。下の岩には、線刻で仏像が彫ってあるようだが、気付かなかった。

道端に大きな岩が2つ重ねられた「重ね岩」 反対側から見た重ね岩
道端に大きな岩が2つ重ねられた重ね岩 反対側から見た重ね岩

もなく国見岩と呼ばれる場所に着いた。峰の先端の切り立った断崖の上の岩場だが、ここから見下ろす景観は抜群である。誰が名付けたのか知らないが「国見岩」とは言い得て妙である。かってこの地方を治めた族長がここまで登ってきて、己が支配する領土を俯瞰しながら悦に入っていたのかもしれない。

竜王山へ向かう途中の尾根から眺めた下界
国見岩から見た南の展望:岩山の向こうに工事中の新名神高速道路

国見岩からの展望:天狗岩から鶏冠山、その向こうに三上山
国見岩から見た北の展望:天狗岩から鶏冠山、その向こうに三上山


国見岩から狛坂磨崖仏へ

見岩から先は、また三角石が埋め込んだ長い石段の下り坂が続く。石段の途中で空を仰ぐと、何時の間にか薄雲が広がり太陽がその影に隠れていた。石段が途切れると、狭い谷底のような道に代わった。鉄砲水がえぐり取ったように、石がゴロゴロ転がっている歩きづらい道である。2時12分、やっと眼下に狛坂磨崖仏を刻んだ巨岩が眼下に見えてきた。

狛坂磨崖仏へ下る坂道 狛坂磨崖仏と狛坂寺の説明版
狛坂磨崖仏へ下る石段の坂道 狛坂磨崖仏と狛坂寺の説明版

回の散策は、白州正子も感嘆したこの史跡を己の目で確かめるために出かけてきたようなものである。まず、巨岩の脇に掲げられた説明板に目が行った。そこには、次のように書かれていた。

"【磨崖仏】たて約6m、横約4.5mの花崗岩の磨崖面に三尊像を刻み出す。格狭間(こうざま)を表す須弥壇(しゅみだん)上の中央に宣字座(せんじざ)に座す如来像、両脇には蓮華座上に立つ菩薩像を配している。さらに上部には、7駆の立・坐像が配されている。制作期については、狛坂寺創立期(平安時代初期)説もあるが、作風には統一新羅彫刻の影響も認められることから、奈良時代後期、造像は渡来系工人によるものと考えられる。

【狛坂寺】嵯峨天皇の弘仁年中(810〜823)蒲生郡狛長者の娘が金銅の観音像を壇林(だんりん)皇后に献上し、これを時の名僧願安(がんあん)に下賜された。願安はこの観音像を金勝寺に安置したが、女人結界の霊地のため女人の参拝が赦されないので、この地に金勝寺の別院として一寺を建立したのが狛坂寺の創立と伝えられる。創建以来金勝寺と共に繁栄を極めたが、明治に廃寺となる。"

狛坂磨崖仏
我が国では最も早い時期に彫られた狛坂磨崖仏

頭にも示したように、白州正子は狛坂磨崖仏を、”聞きしにまさる傑作で、こんな迫力のある石仏は見たことがない”と絶賛している。彼女がここを訪れた時期は分からない。彼女が芸術新潮に2年間にわたって連載した随筆を、「かくれ里」という単行本の形で出版したのは昭和46年(191)の12月である。今から36年以上も前の探訪となれば、山道も今ほど整備されておらず、アクセスするのに難渋したであろう。

磨崖面に高肉に刻まれた三尊仏 磨崖仏を側面から見る
磨崖面に高肉に刻まれた三尊仏 磨崖仏を側面から見る

きな花崗岩の磨崖面に彫られた三尊仏の中尊は、阿弥陀如来坐像とされている。そうであれば、左右の脇侍は観音菩薩と勢至菩薩である。格狭間(こうざま)を表す須弥壇の中央で宣字座に坐している阿弥陀如来は、螺紙(らほつ)が刻まれていない。右肩を露出した納衣(のうえ)をまとい、衣端を懸裳風に垂らしている。足はと見ると、結跏趺坐(けっかふさ)ではなく、右足を外にして両足を交叉させている。どのような印相を結んでいるのか定かではない。

うした特徴が目に付くが、下ぶくれの顔に大ぶりの眼鼻立ちを刻み、両肩を張ったたくましい体躯の像は、実に威厳があって堂々としている。脇侍は、左右に大きく張った髻を結び、やや腰をひねって、如来側の手を胸に、外側は下げて蓮華座の上に立っている。三尊とも半肉彫りではあるが、立体感のある重厚な像である。白州正子に大きな感動を与えたのも十分に納得できる。

磨崖仏の左の別の石に刻まれた三尊像 三尊像の上部に彫られた二組の三尊像
磨崖仏の左の別の石に刻まれた三尊像 三尊像の上部に彫られた二組の三尊像

尊の他に、その上部に2組の小さな三尊像と3体の小さな菩薩形立像を浮き彫りされている。さらに、この磨崖仏の向かって左には別石の三尊像もある。かれらの磨崖仏の作風は、朝鮮の新羅時代の南山の七仏庵磨崖仏とよく似ていて、統一新羅彫刻の影響を認めることができるという。花崗岩という硬い岩を加工する技術から考えて、大陸から渡ってきてこの付近に住み着いた金勝族の石工の関与が推測されている。

立時期については、案内板にもあるように諸説があるようだ。一般には、日本の磨崖仏の造立開始時期は平安時代初期までさかのぼると言われている。狛坂寺磨崖仏は最初期の事例とされている。平安時代前期から後期に移行すると、各地に多くの磨崖仏が盛んに造立されるようになる。

苔むしては現存している狛坂寺の石垣 建物が建っていたあたりの平坦な土地
苔むしては現存している狛坂寺の石垣 建物が建っていたあたりの平坦な土地

初期の磨崖仏にしては、風化がそれほど進んでいないのが気になった。おそらく平安時代の初めにこの地に建立された狛坂寺では、この磨崖仏を祀る堂宇を築いて風雨を避けてきたに違いない。明治初めの廃仏毀釈運動で狛坂寺が廃寺とされるに及んで、磨崖仏も覆い屋を失ったと思われる。周囲を見回すと、苔むしてはいるが、狛坂寺の石垣が現存し、お堂が建っていたあたりは土地が平らになっている。



狛坂磨崖仏からさかさ観音へ

坂磨崖仏から出発点の「上桐生」バス停まで戻るには、さらに3.6kmの山道を下って行かなければならない。その間の高低差は230mもある。しかも、「出会」の分岐点までの狛坂道は、相変わらず水のない狭い谷底を歩くような山道である。鉄砲水が押し流して来た石がゴロゴロしていて、まことに歩きづらい。それに加えて、両足の痛みがますますひどくなってきていた。

谷道 出会
谷の中を歩くような石だらけの狭い道 狛坂道と南谷林道が出会う「出会」地点

時17分、わずか5分間の休憩を取っただけで、山岳同好会の一行は磨崖仏を後にした。とてもではないが、彼らの歩く速度には付いていけない。瞬く間に10m、20mと離され、そのうち彼らの話し声も聞こえなくなった。その代わりに、山道を下り始めて10分ほどして遠方で雷鳴がとどろき、小粒の雨が落ち始めた。

思議なもので、まだ遅い時間でもないのに前後にハイカーの影がピタリと途絶えた。もちろんこの時間に山道を登ってくる者がいるとは思えないが、前を見ても後ろを見てもハイカーの姿がないのは、まるで原生林の中に一人置いて行かれたようで、いささか気味が悪い。雷鳴の驚いたのか、あちこちで鳴いていたウグイスの声も、ピタリと止んだ。

工事中の新名神高速道路 さかさ観音方面への標識
工事中の新名神高速道路 さかさ観音方面への標識

よそ15分近く谷底のような道を下ってきて、登山道はようやく竹林の中へ逸れ、さらに枯れ葉で埋まった雑木林の中に入っていった。この頃になると、足が棒のように重く痛くなり、杖に支えられながら歩行を進めた。左を流れる谷の軽やかなせせらぎの音も、ほとんど耳に入らない。

後3時ちょうど、工事中の新名神高速道路のトンネルの下をくぐった。それから舗装された林道を10分ほど下っていくと、道ばたに「さかさ観音」の標識があった。雨脚が強くなってきたが、さかさ観音の傍に休息用の東屋があったので、そこでしばらく休息を取った。

さかさ観音 オランダえん堰
さかさ観音 さかさ観音の下流に作られたオランダえん堰

かさ観音は、下流にある「オランダえん堰」を作ったとき、石材をここから調達したため通常の三尊の磨崖仏ががバランスを崩して山上から落下し、現在の逆さ観音になったという。この付近は寺院仏閣の造営のため多量の材木が伐採され、明治の始めころまではげ山だった。そのため、たびたび大洪水が発生して、下流の人々に大きな被害をもたらした。そこで、明治政府は、砂防工事の技術者ヨハネス・デレーケをオランダから招き、彼の指導で、明治22年に完成させたのが「オランダえん堰」で、我が国最古のものと言われている。

後3時38分、ようやく出発点の有料駐車場に戻ってきた。途中の昼食休憩などを含めて、6時間の山歩きだった。さすがに疲れたが、「いこいの山岳会」の一行と一緒にハイキングコースを廻れたことは幸運だった。先月9日には車谷と不動寺の磨崖不動明王を探訪したが、今回見た磨崖仏はいずれも三尊仏である。石に仏像を刻むことの意味を、帰りの電車の中でいろいろ思いめぐらしていた。そのルーツをたどれば、朝鮮半島の磨崖仏から中国の石窟寺院、さらに西域の古代遺跡へと気の遠くなるような距離と時間をさかのぼることになるのだろう。体力が許すならば、いつか時空を超えた旅をしてみたいものだ。



2007/05/05作成 by pancho_de_ohsei return