橿原日記 平成18年9月20日

原生林の墓場が見たくなって再び大台ヶ原へ

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大台ヶ原の駐車場(2006/09/20 撮影)


け方、不思議な夢を見た。夢の中で目覚めると、あたりは漆黒の闇だった。どうやら何処かの原っぱにうち捨てられていたようである。闇に眼が慣れるにつれて、頭上に星空が広がって見えた。首筋や腕がチクチク痛むのを感じて、あたりを見回すとミヤコザサが一面に生い茂っている。そればかりではない。身の回りに不思議な霊気を感じて目をこらすと、手足をダラリと下げた白い巨人たちが周りに立っている。彼らは私を見下ろしながら何かヒソヒソと小声で話しあっているようだ。

ミヤコザサ
ミヤコザサ
前にもこのような光景に出会ったことがある。ここは何処なのか? 夢の中で必死に過去の記憶をまさぐって、やっと思い当たった。それは、”原生林の墓場”と勝手に名付けた場所だ。二年前に大台ヶ原を訪れたとき、正木峠付近で異常な世界を見た。そこでは、トウヒ(唐檜)やウラジロモミ(裏白樅)などの巨木が、立ち枯れたり横倒しになって累々と続いていた。まるで象の墓場を思わすような光景は、原生林の墓場そのものだった。

ヤコザサの中に横たわっていたのは私の死骸であり、白い巨人たちは私の霊を必死に冥界に誘いこもうとしていたにちがいない。目覚めた後、その光景が頭にこびり付いて離れなかった。窓のカーテンを開けると、久しぶりに雲一つない青空である。急に原生林の墓場がまた見たくなって、朝食もそこそこに近鉄の電車に飛び乗った。



大台ヶ原ビジターセンターから日出ケ岳へ

鉄阿倍野駅始発の「吉野行き急行」は、橿原神宮前駅からは「急行」の表示をそのままに各駅に停車していく。橿原神宮前駅で8時30分に飛び乗った各駅停車「吉野行き急行」は、9時19分に大和上市駅に着く。時間的には、この電車を利用するのが一番良い。駅前の奈良交通バスの停留所には、9時30分発の大台ヶ原行きバスが待機している。

大和上市駅前
大和上市駅前
日は大和上市駅から出る大台ヶ原行きのバスは、この便しかない。このバスが1時間40分をかけて乗客を大台ヶ原の駐車場まで運び、午後4時15分に駐車場を発って大和上市駅に戻ってくる。したがって、乗客は約5時間をかけて大台ヶ原の散策を楽しむことができる。

に言えば、このバスを利用して戻るためには、5時間以内に散策を終えなければならない。奈良交通の職員は、さかんに「4時15分までに駐車場にお戻りください」と乗客に声を掛けている。その乗客の数は、小生を含めて全部で9人、いずれも中年をすぎた男性ばかりだった。


者は2年前の7月に大台ヶ原を訪れ、そのときの印象を架空の女性に語らせたことがある(大台ヶ原の雲の上の稜線を歩くを参照)。その時と同じ時間に同じルートで、バスは海抜1550mの高さにある大台ヶ原ビジターセンター前の駐車場に着いた。

スを降りて空を仰ぐと、雲一つ無い秋空が上空に広がっていた。高度1500m近くになると、さすがは気温はかなり低いようだ。半袖のシャツで姿では素肌に触れる空気が幾分冷たく感じられる。

どおりビジターセンターに立ち寄って「東大台ヶ原自然観察路」のマップを購入した。前回は大蛇ー(だいじゃぐら)から駐車場へ戻るのにシオカラ谷吊り橋経由のルートを取ったため、坂道にずいぶん苦労させられた。そのことを受付の女性に話すと、帰路は中道を戻ることを勧めてくれた。

大台ヶ原ビジターセンター 東大台ヶ原自然観察路
大台ヶ原ビジターセンター 東大台ヶ原自然観察路


日出ケ岳へ向かう歩道 ミヤコザサ(イトザサ)
日出ケ岳へ向かう歩道 トウヒ(唐檜)の林に広がるミヤコザサ(イトザサ)

回と同様に、大台ヶ原ビジターセンターと大台荘との間にある歩道の入り口から1.9km先にある日出ケ岳に向かって歩き出した。日出ケ岳の山頂は海抜1,695mだから、駐車場より約150mほど高いだけである。最後の300mほどの距離が木道(もくどう)の急坂になっているが、ほとんどは平坦な山道と言って良い。

台ヶ原は、標高1400mから1600mの緩やかな起伏が続く台地である。この台地は年平均降水量が4000mmを超える日本有数の多雨地帯として知られている。そのため、トウヒやウラジロモミなどの針葉樹や、ブナ、ミズナラなどの広葉樹が豊かな原生林を築いてきた。だが、その森林が様々な要因で現在衰退の一途をたどっている。

き始めてしばらくは、天に向かって伸びた針葉樹や広葉樹の林が続く。その根元を見ると、ミヤコザサが大地を一面に覆い尽くしている。ミヤコザサは別名をイトザサとも言い、小型の美しい笹である。だが、林の奥に進むに連れて、ミヤコザサや歩道の上に降り注ぐこぼれ日の量が徐々に増してくるのに気づく。木々の先端で枝が枯れ始めているためである。そのうち、所々で立ち枯れした樹木が眼につくようになる。

立ち枯れ 立ち枯れ
立ち枯れした巨木 立ち枯れした木が増えてくる

日出ケ岳遠望
日出ケ岳遠望

ち枯れした樹木は、日出ケ岳に近づくにつれて増えてくる。日出ケ岳の山頂に登る木道付近では、横倒しになって枯れ果てた無惨な姿が目立つようになる。いよいよ原生林の墓場に差しかかった、というのが正直な印象である。山頂はミヤコザサが生い茂るだけで、樹木はほとんど見あたらない。

のため、見晴台に立つと、周囲には360度すばらしいパノラマが展開している。ビジターセンターの職人によれば、本日は一年のうち何度もないような晴天に恵まれたとのことである。見晴らし台から東を見れば、熊野灘から尾鷲湾がかすんで見えた。西には大峰連山が峰峰を連ねて屏風のように立ちはだかっていた。

日出ケ岳へのアクセス歩道 日出ケ岳の山頂
日出ケ岳へのアクセス歩道 日出ケ岳の山頂に建つ見晴台



正木峠は原生林の墓場

トウヒの林に築かれた木道
立ち枯れのトウヒの林に築かれた木道

抜1680mの高さにある正木峠は日出ケ岳の山頂からおよそ800mほど南に位置している。日出ケ岳を60mほど下ると、地道が木道(もくどう)に変わり、登り勾配の木道が峠まで長々と続いている。途中に立てられた案内板によれば、近年ここを訪れるハイカーたちが植生や地面を踏む圧力で、貴重な植生が危機に曝されるようになったため、木道を設置して歩行のルートを固定するようにしたとのことだ。

原生林の墓場−1 原生林の墓場−2

木峠の登り道も下り道も木道である。木道の両側に立ち枯れしたままの枯れ木や、根元から横転したまま枯れ果てた木々の無惨な姿が、これでもか、これでもかと続いている。樹皮を剥がれて枯れ果てたこれらの木々は一様に白く見える。そのため、まるで象の墓場に迷い込んだような錯覚を受ける。いや、錯覚ではない。ここは紛れもなく緑の原生林を作っていた巨木たちの墓場そのものである。

原生林の墓場−3

台ヶ原のこの付近も、かっては緑豊かな森林だった。良く見ると、ミヤコザサの中に苔むした古い切り株がところどころにある。大正時代に伐採されたヒノキの切り株だそうだ、大台ヶ原でも昔は大きな木を切り出したことがある。大台ヶ原の悲劇は、今から47年前の伊勢湾台風に始まった。

和34年(1959)9月26日、伊勢湾の西を通過した伊勢湾台風は5000人を超える死者・行方不明者を出す未曾有の惨事をもたらした。正式には台風15号と命名されたこの台風の強烈な風で、大台ヶ原でも多くの木が倒れた。そのため、原生林は以前より明るくなったが、地面はまだコケで覆われていた。

るくなった地面をやがてササが覆うようになると、ササを主食とする鹿が増えてきた。この付近は冬には1m近い積雪がある。増えた鹿は冬場に木の皮を剥がして食べるようになり、結果として立ち枯れした木々が増えてきた。木を枯らしたのは鹿だけではない。日本で最大の降雨地帯とされる大台が原では酸性雨の影響も大きい。こうした自然災害の結果、50年を経ずして枯れ木の散乱する原生林の墓場が出現した。

原生林の墓場−1 原生林の墓場−2

道の途中にある休憩場で腰を下ろして小休止を取ったとき、何故か昨年のお盆の最中に野辺送りをした友人を思い出した。斎場の祭壇に飾られていた遺影は元気な頃の快活に微笑んでいる写真だった。その彼がガンに冒されて他界した。ガンの宣告を受けて死を覚悟した後、ずいぶん宗教や仏教関連の本を読みあさったようだ。そして、宗教とは人間が築き上げた巨大な虚構にすぎないと結論づけて、葬儀に関して自分は戒名は要らぬ、葬儀に坊主は呼ぶな、身内や親しい友人だけとのお別れの会にしてくれ、といった遺書を書き残した。

間の死後も霊魂が存在するとするならば、彼の霊が浮遊している世界は、あるいは目の前に広がる荒涼とした世界に似ているのかもしれない。ひょっとして今朝がた見た夢は、彼の霊があの世から私を招いていたのかもしれない。だが、彼ほど毅然として死に立ち向かえられるほど、私はまだ悟っていない。

原生林の墓場−3



正木ケ原から牛石ケ原へ

正木ケ原 牛石ケ原
正木ケ原 牛石ケ原の牛石

正木ケ原から振り返った正木峠の惨状
正木ケ原から振り返った正木峠の惨状

木峠から南に下ってくると、およそ700mで正木ケ原に着く。休憩所を設えただけの何もない場所だが、そこから振り返って見ると、瀕死の状態にあえいでいる正木峠付近の様子が、あらためて思い知らされる。

神武天皇像
牛石ケ原の入り口に立てられた神武天皇像

木ケ原から400mほど進むと、中道との合流点になっている尾鷲辻に出る。尾鷲辻から次の牛石ケ原までは、およそ900mの小石をばらまいたような山道が続く。一昨年は、この付近で野生の鹿の群れを見かけた。今回は一頭の鹿も見かけなかった。

石ケ原には三つのものがある。ミヤコザサの平原に住む魔物を封じ込めたと伝えられる牛石と、御手洗池と、弓の先に八咫烏を止まらせ、右手をかざして遠くを見やる神武天皇の銅像である。

本人はよほど銅像を建てるのが好きらしい。だが、皇国史観が風靡した戦前ならいざ知らず、21世紀の現在にこのような場所で架空とされる天皇像に遭遇するとは、全く場違いな感じがした。



大蛇ー(だいじゃぐら)の展望台

原生林の墓場−3
大蛇ーの展望台

石ケ原からおよそ300mほどで大蛇ーの崖っぷちに着く。途中の林の様子がこのあたりまで来ると変わってくる。立ち枯れした木々は目立たなくなり、その代わりにトウヒやウラジロモミの若い木が生い茂っている。幹を見ると、鹿に樹皮をはぎ取られないように、しっかりと金網で防護されている。

セイローの絶壁
セイローの絶壁
蛇ーは、日出ケ岳と並んで大台ヶ原のビューポイントの一つに数えられている。大蛇ーの「ー(ぐら)」という文字は「嵒(がん)」の異体字である。山中にころがるゴツゴツした固い岩のことを指す。その名の通り、展望台までの道は岩だらけのガレ場が多く、しっかりした靴でないとなかなか歩けない。

の淵に設けられた巨岩の展望台に到達すれば、眼前に屏風のように立ちはだかる雄大な大峰連山の山々を眺めることができる。落下防止のために崖の淵に巡らされた鉄の鎖まで進めば、千尋の谷底を見下ろすこともできる。己が今どのような場所にいるのかは、右手に見えるセイローを眺めれば理解できる。垂直に切り立った崖っぷちに立っていることがよく分かる。

大蛇ーから見た大峰連峰 谷底から鎌首を持ち上げたように迫る岩場
大蛇ーから見た大峰連峰 谷底から鎌首を持ち上げたように迫る岩場

蛇ーの展望台は、実は足場がよくはない。高所恐怖症の筆者は両手をついて這うようにして展望台の先端にたどりついた。立ち上がって雄大なパノラマをデジカメに撮影しようとしたら、カメラのバッテリが切れているのに気づいた。そのままの姿勢でスペアと交換した。こんな状態で立っているとき、谷底から突風でも吹き上げてきたら、ひとたまりもなく谷底へ吹き飛ばされるに違いない。そう思っただけで、両足にガクガク震えがきた。


途中で見つけた唯一の草花
途中で見つけた唯一の草花
りは、尾鷲辻まで戻り、そこから中道を進んだ。駐車場までは1900mとかなり長い区間である。だが、石敷きの遊歩道は緩やかな下り坂で、疲れが出始めた足には恵みの道となった。途中のヒバリ谷まで下っていき、谷を渡って少し登り坂が続いたが、距離的には大したことはない。

中で木陰に隠れるように咲いている紫の草花を見つけた。本日見かけた唯一の草花である。一面にミヤコザサが生い茂る大台ヶ原では、それほど多くの草花を見かけることはない。デジカメに撮影した映像を友人に見せたら「トリカブト」だと教えてくれた、花の形が兜に似ていて、葉に触れただけでもかぶれるほど毒性が強い草だそうだ。

ジターセンターで購入した「東大台ヶ原自然観察路」のマップによれば、本日歩いたコースは、日出ケ岳と大蛇ーの2つのビューポイントを押さえた「みごたえ充分コース」と言うそうだ。総距離数8.8km、普通に歩けば約3時間40分で踏破できるコースである。


2006/09/23作成by pancho_de_ohsei@yahoo.co.jp

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