夏の宵のひとときを幻想の世界に誘う古典芸能の宴
聖徳太子の命日に四天王寺で催される精霊会(しょうりょうえ)で舞楽(ぶがく)が演じられる光景は、何回かテレビで見たことがある。だが、舞楽そのものを実際に見たことは今までなかった。ところが、重要無形民俗文化財に指定されている天王寺舞楽を、幸運にも今晩間近で見る機会を得た。四天王寺の講堂の前庭で催される「篝の舞楽」の招待券を知人が送ってくれた。
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| ライトアップで夜空に浮かび上がった金堂 |
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| テントに整列した楽人たち |
四天王寺様式で知られる古代の代表的な寺院伽藍配置は、中門・五重塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ。これらの堂宇が今晩はライトアップされて、いつも見慣れた四天王寺とは別の、暮れなずむ夏の夜空の下で朱色に映える艶やかな世界を創造していた。
午後6時半開場で伽藍内に入ると、講堂前の広場に朱色の欄干を巡らした舞台がすでに設えられていた。金堂前に張られたテントにはすでに大勢の楽人たちが整列して着席しており、舞台の4隅には点火を待つ篝が置かれていた。舞台の両脇に設けられた観覧席に坐って上空を見上げると、上限の月が五重塔の宝輪の上に輝いていた。月も今夜の篝の舞楽を楽しみにしているようだ。
篝の舞楽は、盂蘭盆会や千日詣の前夜祭として天王寺楽所雅亮会(がりょうかい)によって奉納される舞楽である。もともとは4月22日に行われる精霊会の舞楽を短縮して、その一部を披露する目的で始められたという。夕刻より篝火が炊かれ、その中で伝統的な曲の調べにのって舞う舞楽は、古代絵巻を再現するものとして広く知られ、一般にも公開されている。
午後7時、天王寺舞楽協会理事長の挨拶を皮切りに今晩の演目が上演された。受付で渡されたプログラムによると、1.挨拶、2.振鉾(えんぶ)、3.献灯献茶、4,篝の火入れ、5.甘州(かんしゅう)、6.仁和楽(にんならく)、7.採桑老(さいそうろう)、8.長慶子(ちょうげいし)となっている。
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| 振鉾(えんぶ)の舞 |
和聖会の女性たちによる献灯・献茶 |
「振鉾」と書いて”えんぶ”と読ませる舞は、襲(かさね)装束に鉾(ほこ)を持った舞人が左右から一人ずつ登場し、伴奏に合わせて鉾を上下左右に打ち振る。タイトルはどうやらその仕草から来ているようだ。この舞は、天下平定を志した中国の武王(周王朝の創始者)が、商郊の牧野で天神地祇を祀り、その魂を鎮め事の成就を祈った故事に由来するという。そのため、道場の悪霊邪気を鎮める舞として、舞楽の冒頭に必ずこの舞が行われるという。
献灯・献茶の儀式では、和聖会の浴衣姿の若い女性たちが越殿楽(えてんらく)の荘重な調べに乗って、聖徳太子の宝前に献灯し、茶や菓子、花を供える行事である。周りの闇の中でライトに照らし出された白い浴衣姿は、街で見かける最近の若い女性とは違った妙に落ち着いた雰囲気を見せていた。
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| 古式作法による篝の点火 |
甘州の舞 |
本日の大阪の最高気温は摂氏35度。今年一番の暑さだったが、夜のとばりが降りる頃には、さすがの暑さも和らいだ。舞台の4隅に建てられた幡(ばん)をなびかせながら吹き寄せる夜風が頬に心地よい。まるで夜のとばりが降りる時刻を測っていたように、古式の作法に従って篝(かがり)に火が入れられた。パチパチとはじく篝火の音が楽人たちの奏でる雅楽と妙にマッチして聞こえる。小さな火の粉が風に乗って観客席の方に向かって時折飛んでくる。すべては計算された演出によって、観客たちは時空を越えて平安王朝の絵巻の中に引きずり込まれていく。
甘州は、一説には玄宗皇帝が青城山に遊んだ時、官女たちの衣が美しく風になびく姿を賞でて舞にしたと伝えられている舞楽である。四人の舞人は赤系統の装束をまとっている。このことから、この舞は左舞、すなわち唐楽(とうがく)の舞であることが分かるそうだ。ちなみに、平安時代中期に舞楽は渡来の系統によって分類し、中国や中央アジア、インドなどから渡来したものを唐楽、朝鮮や満州から渡来したものを高麗楽(こまがく)に区分けされた。唐楽と高麗楽はそれぞれ左方(さほう)、右方(うほう)ともいう。
甘州の曲は、もともと四拍を一小節とする曲だが、天王寺では二拍を一小節とする曲に編曲した「早甘州」になっているという。またこの舞だけにしかない「種子播手(たねまきて)」という特殊な舞振りが有名だそうだが、伝統芸能の歌舞音曲にはまったく疎い筆者には、どの振り付けがその部分か皆目分からない。
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| 仁和楽の舞 |
採桑老の舞 |
仁和楽という曲と舞は、仁和年間(885-888)に天皇の勅によって百済貞雄(くだらのていゆう)という人物が創作したものである。舞楽には赤系統の装束をつけて舞う左方の舞と、緑系統の装束を付けて舞う右方の舞とがあるそうだ。本日は右方の舞が披露された。このように、朝鮮半島や中国大陸から伝えられたものでなく、我が国で新しく造られた曲や舞もある。仁和楽は我が国で作られた高麗楽の最初のものとされている。
採桑老は中国から伝わった盤渉調(ばんしきちょう、西洋音楽の「ロ短調」に相当)の左方の舞で、不老不死の薬草を求めて山野をさまよう老人が、逆に次第に老衰していく姿を模した舞である。能の「翁」面の原形の思わせる切り顎の老人面をかぶって踊る舞人は、衰えていく老人の姿をうまく表している。何時の頃からこの曲を舞うと3年以内に必ず死ぬという迷信が生じた。そのためこの曲の演奏は長い間途絶えていた。平成4年の精霊会で実に270年ぶりに舞われたという。
最後は舞楽会の終わりを示す長慶子(ちょうげいし)という曲が演奏されて、1時間半に及んだ「篝の舞楽」は終わった。見上げると、上限の月は五重塔の陰に隠れていた。千数百年の伝統を引き継いできた曲と舞は、現代の音楽や舞踊に慣れ親しんだ我々には、いささか単調であり、舞の所作も緩慢である。だが、舞楽は伝統芸能である。時代の流れに棹(さお)さして伝統を守り続けることは、それだけでも価値のあることである。舞楽についてはイロハのイも知らない筆者だが、それでも今晩の1時間半は、古代へ完全にタイムスリップする豊饒な時間だった。
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