|
| 一本松古墳の後円部前で行われた現地説明会 (H18/07/08 撮す) |
一本松2号墳と命名された陪塚方墳から出土した円筒棺
近鉄大阪線の「大和高田」駅でピックアップして貰い、そのまま馬見丘陵公園へ直行した。中央入口から公園に入り、公園館の前をまっすぐに東へ延びる遊歩道を進むと、下池のほとりに出る。下池の岸辺にはムクゲの木が数本植えられていて鮮やかな花を付けていた。下池と上池の間を抜けて河合町の飛び地に入ると、このあたりはまだ公園として整備中で、いたるところに立ち入り禁止の立て札が目立つ。右手の芝生を植えた倉塚古墳の墳丘に沿ってさらに進むと、やがて左手にある一本松古墳の後円部の前に出る。その先に、現地説明会の受付のテントが張ってあった。 試掘調査が行われている一本松2号墳の現地説明会の会場に到着したのは、午後1時。説明会まではまだ30分時間があったので、受付で資料を受け取ると、先に現場を見ることにした。雨模様の天気を予想して、発掘現場へのアクセス通路や現場の見学通路にゴザが敷かれていた。付近は赤土の丘陵地帯である。見学者がぬかるみに足をとられて横転しないようにとの配慮なのだろうが、幸いなことに天気予報は外れた。
円筒棺墓は調査1区で見つかった。その場所は一本松2号墳の南西に巡らされた周溝の西隅角よりの底で、長さ160cm、直径50cmの円筒棺が横向きに安置されていた。円筒棺はこれまでに全国の約30遺跡で出土しているが、今回のものは上部が土の圧力で一部破損しただけで、ほぼ完全な形で出土した。表面には、死者の魂を封じ込めるために縦横と斜め方向に帯状の粘土が巻かれていたことがはっきり分かる。
調査2区でも、一本松2号墳の周濠の外側斜面で埴輪棺墓が1基出土している。高さ50cm、直径25cmの3条突帯円筒埴輪を2個つないで使用したものである。しかし、大人の遺体を埋葬するには、棺の規模がいささか小さいのが気になった。本当に家臣を埋葬したのだろうか。墓壙の上から周濠に向けて突き出た約2m四方の低い盛り土がしてあった。 調査2区では、地面に穴を掘り遺体を埋葬する素堀りの墓である土壙墓も見つかっている。場所は、一本松古墳の外堤の上である。
|
今回の発掘調査で見えてきたこと午後1時半からの現場説明会は、一本松古墳の後円部の麓で行われた。発掘担当者は、一本松2号墳の発掘の経緯を説明した後、今回の発掘の成果を以下のように要約した。
次に、今回見つかり一本松2号墳の命名された方墳は、一本松古墳の陪塚と見なすことができるということだ。一本松古墳は、古墳時代の奈良盆地の西部を支配した首長クラスを埋葬した墓とされている。そうであれば、今回見つかった方墳は一本松古墳被葬者の親族などの近親者の墓、円筒棺墓はその近親者の家臣に相当する人物が葬られた可能性が強い。一方、埴輪棺墓は一本松古墳被葬者に属した末端の家臣の墓だったと思われる。つまり、墓の規模や形態でランク付けされる身分階層が、巣山古墳の出現以前にすでに形作られていたことが分かる。 さらに、発掘責任者は調査2区の埴輪棺墓が周溝に向けて突き出す形で約2m四方の低い盛り土がしてあったことに注目して、周溝は単に古墳に巡らした溝ではなく、場合によっては盛り土をして近親者や従者を埋葬する場として利用される場合があることが分かったという。 |