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| キトラ古墳石室の西壁に描かれた白虎復元イメージ |
古墳の壁画は”暗黒の中の芸術”現在、高松塚古墳とキトラ古墳という2つの壁画古墳が飛鳥の地で瀕死の状態にある。高松塚古墳の壁画は、保全を委託された文化庁の不手際でカビまみれになって退色し、もはや発見当時の面影はない。キトラ古墳の壁画は、発掘調査時点ですでに漆喰が崩落の恐れがあり、剥がして外部で修理する以外に手段がない状態に置かれていた。
高松塚古墳にしろキトラ古墳にしろ、現代の我々がその極彩色の壁画を見ることができるのは、まったく偶然の発掘によるものだ。本来、古墳壁画は死者のために描かれたものである。寺院の壁画とは異なり、再び白日のもとに曝されるとは絵師たちも予想していなかったにちがいない。それでも、絵師たちは死者の鎮魂を意味を込めて必死に描いたのであろう。それ故に、京都橘大学名誉教授の門脇禎二(かどわきていじ)氏などは、壁画に高い芸術性を感じておられる。教授の言葉を借りるならば、古墳の壁画は”暗黒の中の芸術”である。 上に述べたように、石室の内部は家庭の押入の下半分程度の空間にすぎない。先日の毎日新聞には、高松塚古墳の石室模型内部で損傷箇所を示す文化庁職員の写真が載っていた。それを見ても、石室内部はいかに狭いか分かろうというものである。特別展では朝日新聞が用意した「ののちゃんのキトラ探検」と題する新聞紙大の解説記事を受付で渡している。その中に漫画家の里中満智子(さとなかまちこ)さんがイラストで再現した絵師の作業風景が掲載されていた。 京都橘大学の猪熊兼勝(いのくまかねかつ)教授によると、キトラ古墳の壁画を立体顕微鏡で調査したところ、4人の筆の跡が確認できたという。里中満智子さんはその話を聞いて「おそらく一人の絵師と数人の助手が作業を分担して描いたのだろう」と想像し、その光景でイラストで表現された。狭い石室で絵師が座り込み、助手が灯明で絵師の手元を照らし、顔料の入った皿を差し出している光景は、実によくできている。 なお、奈良文化財研究所(奈文研)で修復保存の作業中に、前足の付け根の毛を描いた部分に赤い線が5本ほど数センチにわたって引かれているのが見つかった。この赤い線はヘラによる下書きの刻線と一致していた。そのため、ベンガラなどの赤色顔料を塗った紙をまず漆喰の上に置き、その上に白虎の下絵をのせて、輪郭線をヘラでなぞり、白虎の絵を写していたものと推測されている。こうした描き方は中国の技法とされている。 兄弟墳ではないかと噂されている高松塚古墳とキトラ古墳には、四神が描かれている。四神とは、中国神話に登場する、この世の動物たちの長だと考えられている聖獣で、世界の四方向を守護するとされる東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武を指す。この四神が揃う土地は風水で理想的な地形配置とされ、四神相応という。古墳の石室に四神が描かれていることは、死者の霊界をこれらの霊獣で守護するという願いが込められているのであろう。
両古墳に描かれた白虎に関して、その描かれ方に少しずつ違いがある。まず双方の白虎は西壁に描かれていながら、高松塚の白虎は左向き、すなわち南向きに描かれているのに対して、キトラ古墳の白虎は右向き、すなわち北向きに描かれている。伝統的な四神相応図においては、東の青龍も西の白虎も頭は南のほうを向いているのが一般的である。なぜかキトラ古墳では逆向きになっていて、ひとつの謎とされている。 考古学者の中には「キトラ古墳を造った人は、中国の道教的な世界観(神仙思想)の理解が不十分であった」という人もいるようである。だが、美術史が専門の神戸大学の百橋明穂教授は、その見解を否定し、仏教の輪廻の概念の影響を受けて日本的な解釈や感性が加味されたた結果、循環構図への転換が図られたと推測され、和風化した日本絵画の始まりと位置づけておられる。
双方の壁画には天文図の描き方にも差異があり、キトラ古墳に描かれた天文図は朝鮮半島、わけても高句麗と密接な関係があることが指摘されている。最も近いとされるのが、李氏朝鮮(朝鮮王朝)の時代に作られた「天象列次分野之図」である。同図に付記された銘文から、この図には原図となった石刻星図が高句麗の都・平壌に存在したが、唐・新羅連合軍の対高句麗戦争で大同江に沈んでしまったという。 白虎の描き方にも微妙な差がある。前述の猪熊教授は、キトラの絵は線が細かいが、高松塚の絵はキトラを省略した形であり、キトラ壁画の方が数年前に描かれたと推測されている。 『日本書紀』には、推古天皇12年(西暦604年)秋9月、に渡来系の技術者の中から選抜して、黄文画師(きぶみのがし)と山背絵師(やましろのえし)という公認の画家集団を置いたことが記されている。高松塚古墳もキトラ古墳も8世紀初頭の終末期古墳である点を考慮すれば、大宝元(701)年に制定された大宝律令で、中務省に画工司(がこうし)が置かれたことも注意してよい。あるいは渡来系の黄文画師と山背絵師の子孫たちが、画工司に所属し、上司の指示で壁画を描いたのかもしれない。 |
シンポジウム「高松塚古墳・キトラ古墳を考える」
各講師の話はそれぞれに興味深いものがあったが、中でも特に異彩を放ったのが関西外国語大学教授の佐古和枝(さこかずえ)教授の熱のこもった講演だった。佐古氏は、「カビの発生で貴重な壁画の劣化を招いたことは大きなショックだった。だが、その原因の追及が徹底的になされないままに、石室解体という対策が突然のように打ち出されたことは、さらに大きなショックだった」と、考古学者としての正直な気持ちを披瀝された。高松塚古墳の壁画が劣化した問題で、まるで犯人さがしのように誰が悪かったのかを究明することよりも、何が悪かったのか、その原因を究明することの方が先で、原因が分からなければ先へ進めないはずなのに、一気に石室解体の方針を打ち出した施策に疑問を呈された。
佐古氏はさらに、「壁画を救うためとはいえ、はぎ取ったり、さらには石槨を解体するという措置は、古墳にとっては荒療治であり、その痛みで古墳が泣いている」と、考古学者の立場から文化庁の古墳保存行政のあり方を非難された。彼女の決して流暢とは言えない木訥(ぼくとつ)とした語り口は、聴衆の心を打った。 |