はぎ取り修復を終えた白虎壁画の展示を目的とした催し
したがって本日からの春期特別展では、まだ目玉の壁画の展示はないが、デジタルカメラで撮影されたキトラ古墳の各壁画のパネルやビデオによる「はぎ取り作業」の記録が紹介されていた。その他に、奈良・法隆寺の若草伽藍跡から出土した日本最古の壁画の破片や、鳥取・上淀廃寺(かみよどはいじ)や京都府大山崎町の山崎院跡、滋賀県高島市の日置前廃寺(ひおきまえはいじ)から出土した壁画片、および大正元年に関野貞博士らが行なった発掘調査の際に模写した高句麗壁画古墳の四神図など計約70点が展示されていた。
さらに平成17年(2005)6月には、盗掘穴から石室に流れ込んだ泥土の中から十二支の午(うま)が奇跡的に見つかった。寅と午以外にも、子(ね)、丑(うし)、亥(い)、卯(う)、戌(いぬ)の五駆も確認されているという。 キトラ古墳は明日香村の西南部にあり、古墳時代の終わりごろに築かれた直径約14メートルの円墳である。1.2kmほど北に築かれている高松塚古墳より、墳丘はひと回り小さい。だが、石室の内法は高さ113cm、横幅104cm、奥行き240cmで、高松塚古墳の石室(113cmx105cmx265cm)とほぼ同じ大きさである。 わずか1.2kmの距離を置いて築造された高松塚古墳とキトラ古墳は、石室の規模以外にも似ている面が多い。まず石室はいずれも二上山産の凝灰岩の切石を用いている。ただし、切石の枚数は高松塚古墳が15枚であるのに対し、キトラ古墳で18枚を組み合わせている。石室内の壁画はいずれも天上の中央に天文図を描き、四方の壁の中央に四神を配置している。四神の図柄も似通っている。日・月像では太陽や月の下辺に朱線で水平線を引き重ね、ところどころに小さく山岳を描き加えている点も似ている。 ただし相違する部分もある。高松塚古墳では東壁と西壁に男子群像と女子群像を配しているが、キトラ古墳ではそうした人物像は描かれていない。その代わりに十二支像が描かれている。西壁に描かれた白虎は、原則として南を向くように描かれるが、キトラ古墳の白虎は北を向いて描かれている。天上に描かれた天文図は、高松塚古墳のものや北斗七星を欠いているが、キトラ古墳の天文図は本格てきであり、両者の間に精粗の差がみられる。
文化庁は、壁画を守ってきた石室の環境が発掘で変化しないよう、温度や湿度を調整できる覆い屋を平成15年(2003)8月に墳丘上に建設し、翌年の1月26日から発掘調査を開始した。ところが、石室内部に調査員が入り、壁画の状態を調べたところ、東壁の青龍が描かれた漆喰は1cm近く浮き上がり、また西壁の白虎も首から上の部分が浮き上がっていた。とりあえずレーヨン紙を張って応急処置を施したが、壁画の強度に不安があり、崩落のおそれが指摘された。そこで、平成16年7月、文化庁は痛んだ壁画の緊急手術として「はぎとり修復」を決断した。 はぎ取りは、平成16年8月から9月上旬にかけて戌、青龍、白虎の順に行われた。朱雀のはぎ取りは、平成17年(2005)6月に開始されたが、漆喰の乾燥が進んだため、年明けまで延期された。玄武や十二支像の亥は平成17年中にはぎ取られた。 高松塚壁画の教訓をふまえて、キトラ古墳の壁画はいち早く石室からはぎ取り、別の場所に保存することが決まった。だが、何処でどのように保存するか、また一般公開するのかしないのかなど、まだ決まっていないという。天上に描かれた天文図のはぎ取りはできないのでは、と危惧する声もある。 キトラ古墳が発見されなければ、石室内の漆喰に描かれた壁画は現在も漆黒の闇のなかでひっそりと時を過ごしていたはずである。阪神大地震クラスの地震が今後発生した時点で、漆喰は崩れ落ち、壁画は消滅してしまうかもしれない。発掘されて、保存修理された壁画は、元の場所に戻されるという保証は今のところない。そのことが、彼らにとって幸せかどうか・・・。 |
またまた明るみに出た文化庁の失態橿原のアパートでは、筆者は新聞を購読していない。購読する必要がない。この別天地(?)にいる間の最大の関心事は考古学や古代史だが、パソコンを立ち上げれば、Yahoo! Japan の考古学ニュースが関連情報をいち早く報じてくれている。自宅にいて朝刊や夕刊を見るよりも早く知ることができるので有り難い。また、橿考研付属博物館の資料室では、受付の女性が毎日の考古学関連の新聞記事を切り抜いて、誰でも閲覧できるよう整理してくれている。
一昨日の4月12日、新聞各紙のインターネット版は高松塚古墳の壁画に関する文化庁の不祥事を報じた。4年前に文化庁の作業員が壁画に傷をつけていたにもかかわらず、文化庁がこれを公表せず極秘のうちに修復していたというのだ。各紙のタイトルを列挙すると、次のようになる。
・高松塚の極彩色壁画を損傷 文化庁がカビの除去中(共同通信)
作業員は、その日のうちに傷ついた衣服の部分に和紙を張ったうえで樹脂を刷り込み、周囲の泥をまぶして汚れに見せかけ、目立たないよう“修復”し損傷を隠した。このため、今では損傷状況はほとんど分からなくなっているという。 この時の作業とは、石室内でのカビ除去作業だったとも、石室内でのカビなどの微生物の調査だったとも言われていて、新聞によって報道の内容が異なる。また、ほとんどの新聞は、なぜ今頃になって4年も前の事故が発覚したのか明らかにしていない。ただ、奈良新聞だけは、文化庁が報道機関から問い合わせを受け、当時の作業日誌を確認して判明したと伝えている。あるいは内部告発があり、それを受けて報道機関が問い合わせて明らかになった事実かもしれない。 文化庁は作業日誌と写真で事故の報告は受けており、これらの事故について把握はしていたという。しかし、事故があったことを公表せずに補修を済ませた。国宝の管理を委託された文化庁であっても、自ら国宝を傷つけるなどという行為は許されるべきことではない。しかも、そうした事実があったことを今まで隠してきた。そのため、新聞各紙は同庁の隠ぺい体質を批判する関係者の声を載せている。その一部を拾ってみよう。
●菅谷文則(すがや ふみのり)・滋賀県立大教授(考古学) 高松塚古墳の西壁壁画は、つい先日も女子群像の中央に立つ女性の右の目尻付近に黒いシミが見つかって話題になったばかりだ(2月21日付け橿原日記参照)。文化庁はこの事実を1週間後の2月9日に公表した。大量のカビの発生の事実を長い間隠蔽してきたことが、今日の極彩色高松塚壁画の劣化を招いた最大の原因であるとして、文化庁は世間からの非難の矢面に立たされた。そうした教訓を受けて、文化庁としては意外と早い情報公開だった。 高松塚古墳の石室(正確には石榔(せっかく)という)は凝灰岩の切石で作られていて、その内部の広さは、長さ2.655m、幅1.035m、高さ1.134mにすぎない。この石室の内部が天井、四側壁・床に漆喰が塗られ、 東西の側壁、北の側壁そして天井に人物像、四神図、日像・月像などを極彩色で描かれている。 日本家屋の押入の半分にも満たない石室に7人の作業員が同時に入って作業していたとはとても思えないが、一人一人は壁画を傷つけないように細心の注意を払っていたはずだ。それでも事故は発生した。 国民の大切な国宝の壁画を傷つけたことは残念なことだった。だが、識者はそのことを批判しているのではない。識者が批判しているのは、度重なるミスを隠匿し情報公開に消極的な姿勢をとり続けてきた文化庁の管理体制に対してである。飛鳥古京を守る会事務局長の花井節二氏は、「なぜ今日まで黙っていたのか。もう文化庁を信じられない。壁画は国宝なのだから、すぐに国民に知らせるべきだった。村民を対象にした説明会で文化庁次長は情報公開を約束したはず。このままでは解体も任せていいのか不安いっぱいだ」と、怒りに声を震わせて語ったという。高松塚古墳の発掘調査を現場で直接指揮した網干善教氏は、文化庁のやり方は完全な隠ぺい工作で犯罪的行為だと糾弾し、「文化庁の不注意で壁画を傷つけていながら隠し、石室解体を決めるなんて」と怒りを隠されない。 文化庁は「国民の大切な国宝の壁画を損傷したことについては、管理する文化庁としても申し訳ないと思う」と謝罪した。そして、「当時、なぜ事故を公表しなかったのかや事故原因について関係者から事情を聴くなど調査する」とし、近く事故調査会を設置することを明らかにした。だが、今頃になって事故を調査したところで、傷ついた壁画が元の状態に戻る訳ではない。問われているのは、身内の不祥事を隠蔽し続け、国民の大切な財産を台無しにしてしまった管轄省庁の官僚的体質である。 |
常識では考えられない文化庁の高松塚古墳管理体制昨日、さらに驚くべき事実が明らかになった。文化庁が作成した「高松塚古墳の石室内保存修理マニュアル」には、古墳内の定期点検や壁画保存などの際には、カメラや室内灯など搬入機材をアルコールで滅菌し、作業者は防護服を着るように定めてある。それにもかかわらず、平成13年(2001)年2月に墳丘内の石室入り口の崩落防止工事を行った際、工事関係者が、滅菌した防護服を着用せずに作業していたことが判明した。この工事では用具や土を頻繁に運ぶため、作業服のまま出入りしたというのだ。
カビ大量発生の原因を究明できない文化庁は、ついに高松塚古墳を覆っている封土を剥いで発掘調査するという思い切った手段にでた。文化庁は自ら国の重要文化財に指定した古墳を自らの手で破壊するという暴挙に訴えたのである。調査は奈文研に委託され平成16年10月から半年にわたって実施された(平成17年2月27日付け橿原日記参照)。だが、発掘調査でもカビの原因は見つけることができなかった。 壁画のカビの進行が早い。昨年の6月、文化庁は現況保存を断念して、石室の解体補修で壁画の保存に対処することを決定した。 石室そのものを解体して運び出し、壁画の保存修復を行なうというのだ。文化庁の計画では、壁画を保護する養生期間を経て来年2月半ばから約1カ月半かけて石室を解体し、約10年にわたり石材、壁画を修理保存するという。
こうして当時の様子が明るみに出ると、文化庁はこの国宝の管理を委託されながら、組織体制や管理体制の不備から二重三重のミスを重ねていたことになる。しかも、そのミスが早い時期に明らかにされていれば、手の打ちようもあったのだろうが、官僚組織に染みついた隠蔽体質は、適切な対策を講じる機会をすべて失わせてしまった。高松塚壁画の損傷は自然現象ではなく、役所の縦割り体制や隠蔽体質がもたらした人災であるとの指摘もある。 哀れなのは、石室に描かれた壁画たちである。昭和47年3月に1300年の長い眠りから無理矢理にたたき起こされ、それから35年も経ないというのに修復のために解体されることになった。修復された壁画たちは、良い環境下に戻して保存管理していく方針までは決まっているらしい。だが、良い環境をいかに作り、どう戻すかまでは決まっていないとのことだ。 (H18/04/14記す) |
【追記 06/05/03】キトラ古墳にまたカビ? 天井の天文図に黒いシミ
カビ状の黒いシミは、これまで確認されていなかった金ぱくにも及んでいる。5月2日に調査したところ、どうやら墳丘の土壌に潜む菌が増殖したもので、これまで発生したカビとは種類が違うようだ。幸いなことに、菌糸が深く根付いていなかったため、エタノールをしみこませた筆で黒色部分の大半を除去、滅菌することができた。しかし、再発の可能性もあり、微生物の研究者が今後、種類を特定、対策を検討するとのことだ。 キトラ古墳ではカビやバクテリアにより極彩色壁画が描かれた漆喰(しっくい)が劣化したため、壁画のはぎ取りが行われてきた。すでに青龍、白虎、玄武、朱雀の四神と、獣頭人身十二支像の朱雀と寅(とら)のはぎ取りはすでに完了している。だが天文図については技術的にはぎ取りが難しく、日程が決まっていないという。 高松塚古墳とは異なり、漆喰崩落のおそれがあるキトラ古墳では、石室を解体して壁画を修理する手法は取れないのだろう。壁画のはぎとりをいち早く決断し実行したのはやむを得ない処置だったかもしれない。しかし、天文図のはぎ取り方法がまだ決まっていないとは驚きだ。四神や十二支像の保存も大切だが、キトラ古墳の最大の価値は東洋でもっとも古く精緻とされる天文図であろう。一日も早く解決策を見つけて欲しいものだ。 (*) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060429-04405515-jijp-soci.view-001 より転記 |