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日本は中国を中心とする漢字文化圏に属する国である。言うまでもなく、漢字は中国で発明された。その周辺諸国は漢字を中国との通交の公用語とすることで、多くの文化を受け入れてきた。ふと気になって、我々の祖先はいつ頃から言葉の表現の手段として漢字を使い出したのか調べてみた。 |
漢字の伝来漢字が我が国に伝えられたのは中国本土から直接だったか、あるいは朝鮮半島経由だったかは不明である。一説には、漢字の伝来は紀元前3世紀まで遡る可能性が高いとする説がある。その説によれば、秦の始皇帝が国土の統一事業に乗り出したことで、始皇帝に追われ国を挙げての流亡の動きが始まった。その一環として、山東半島付近から十余万人人々が日本列島に渡来し、稲作文明を伝え、弥生時代が始まったという。後に「倭(わ)」と称する国名はこれらの人々の故郷の地名であった可能性が高い。
我が国では、対馬、壱岐をはじめ佐賀県から福岡県の海岸に沿った地域や、河内平野のかっての「河内潟」の南岸に沿う港津集落跡から、貨泉が出土している。これらの地域は、いずれも港津があったところで、貨泉の存在は、倭の国々と中国の新との間で頻繁に交流が行われたことを物語っている。交易には貨泉が支払い通貨として用いられたかもしれない。 洋の東西を問わず、交易は書類を仲立ちして行われることは今も昔も変わりはない。つまり、紀元前後の頃交易に従事していた倭人たちは漢字を読んで理解する能力があったと思われる。交易だけではない。漢王朝との外交にも文書が仲立ちしたはずである。紀元57年、倭の奴国王は後漢に朝貢し、光武帝から「漢倭奴国王」の金印を下賜されている。この朝貢使節団を構成したのは、おそらく大陸または半島からの渡来人の後裔であろう。当然のことながら、漢語を理解し、漢字を読むことができた。 3世紀になると、邪馬台国と中国の魏との通交が開始される。史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」によれば、景初三年(西暦239年)、邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)は魏に朝貢し、「親魏倭王」の金印や「銅鏡百枚」を贈られている。その後、正始八年(247)には、卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼がたがいに攻撃する状況に至ったため、魏は帯方郡から曹掾史(国境守備の属官)の張政らを邪馬台国に派遣し、詔書・黄憧をもたらし、また檄(げき)をつくって、攻めあうことのないよう告諭した。邪馬台国と魏とのこれら一連の外交でも、当然のことながら公式な文書を介した交渉が行われたことは、想像に難くない。
4世紀になると、百済は369年に倭国との軍事同盟が成った記念に七支刀(しちしとう)を作り、倭王に送ってきた。七支刀は現在、天理市の石上神宮に神宝として安置されている。全長74.8cmの七支刀を有名にしているのは、その特異な形状もさることながら、刀身の両面に金象嵌された61文字の銘文である。当時の大和朝廷にはすでに銘文の意味を理解できる官人たちがいた。その多くは朝鮮半島からの渡来人およびその子孫たちであっただろう。 以上で見たきたように、我が国における漢字の受容は我が国にそれなりの必要があって取り入れられた可能性が高い。すなわち、政治的・経済的利益を図るために、中国および朝鮮半島の王朝との通交・外交関係を継続しようという政治的行為が、漢字の受容の背景にあったことは明らかだ。 |
漢字の日本語化では、漢字はどのようにに日本語化されたのだろうか。一般に、次の3つの方法があったとされている。
さらに、3世紀以前の「論語」などが書かれた時代の発音が、朝鮮半島で一度定着し、それから我が国にもたらされた読み方があり、これを「古韓音」という。例えば、停止の「シ」を「ト」と読む場合がある。7世紀前半に書かれたいわゆる「推古遺文」にも古韓音の例がある。このため、推古天皇の時代の文筆に従事したのは、半島からの渡来人だったとされている。 2つ目の方法は、漢字と同じ意味の単語が我が国にあれば、それを当てはめた。いわゆる「訓読み」と言われる読み方で、例えば山(サン)を「ヤマ」と読む場合などがある。 3つ目の方法は、漢字が表す意味を棚上げして発音だけを借りて別の語を書き表す方法で、「仮借(かしゃ)」と呼ばれている。たとえば。「来」という字は、本来は麦の穂の形象であるが、同じ発音の動詞を書き表すのに用いられた。仏教の経典などにも印度語の発音を表すのにさかんに仮借の方法が用いられている。我が国では「仮借」が定着して「万葉仮名」になった。その万葉仮名が平安時代に簡略化されて「片仮名」や「平仮名」になった。 |
朝鮮半島での漢字のはじまり
朝鮮半島でも、漢字を朝鮮語風に読む必要から、誓記体(せいきたい)と呼ばれる変体漢文が工夫された。古代朝鮮の自国語風なまった語順の漢文で、例えば「之」の字は文章の終わる句点「。」、「也」は文章が大きく変わる段落を示すために用いられた。特に、古代新羅語の語順は日本語と同じであり、当時の人々は、同じ文字の彼我の発音の違いを理解していれば、通訳なしでも十分に会話ができたと思われる。 |
【参考文献】『古代日本の文字世界』(平川満編、大修館書店)、『古代日本 文字の来た道』(平川満編、大修館書店)
【注】このテキストは昨年7月18日、ブログ「Panchoの古代幻想」に掲載したものである。