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| 植山古墳の現状 (2006/02/18 撮影) |
植山古墳にも副葬品はあった!
内容は、1つの墳丘に横穴式石室2基を有する長方形の形をした古墳時代終末期の双室墳(=長方形墳)であり、「推古天皇とその息子竹田皇子(生没年不詳)の最初の墓と推定」されるというものだった。翌日の全国紙は、推古天皇・竹田皇子合葬陵の発見とセンセーショナルな見出しでこの発表を報道した。 現地説明会は、それから1カ月後の8月26日と27日の2日間行われた。多くの考古学ファンや古代史ファンが、この新しい発掘現場を一目見ようと詰めかけた。その中に私もいた。真夏の太陽がジリジリと照りつける暑い日だった。近くの畝傍東小学校の校庭で発掘の概要の説明を受け、長蛇の列を作って現場を一巡したことを昨日ことのように覚えている。 昨年、「飛鳥保存財団」が主催する「あすか塾」開催の案内を入手したとき、あっと思ったことがある。今月に予定されている第141回あすか塾は、橿原市教育委員会の技師・横関明世女史を招いて、『古墳の出土品を科学する』というタイトルで講演していただくことになっている。タイトルだけでは具体的な話の内容は想像できなかったが、そのサブタイトルに「植山古墳の副葬品を中心にして」とある。植山古墳の副葬品? そんなものあったっけ? と、まず疑問が頭をかすめた。
だが、出土品はあった。そのことが明らかになったのは、それから1年後のことである。新たに古墳の北側を区切る柵跡が発見されたため、平成13年(2001)の7月22日に二回目の現地説明会が行われた。その際、東石室の石棺内部の土を取り除いて調査しても、副葬品・遺骨などはまったく発見できなかったと報告された。しかし、石室からは次のような金属製遺物が出土していた。 残念なことに、当日は埼玉の自宅にいて、現地説明会に参加できなかった。そのため、遺品があったことなどすっかり忘れていた。その存在を知ったのは、平成15年(2003)になってからである。その年の5月14日、東側石室から見つかった金銅製の歩揺付飾金具(ほようつきかざりかなぐ)は33個だったことを新聞紙上で読んだ。また、橿原市の教育委員会が飾り金具の断面に電子線を当てて調べたところ、台座などの表面に金と銀を重ねた部分があったことも報道された。 |
文化財の調査や修理のために活躍する保存科学本日の「あすか塾」の講師として招かれたのは、橿原市教育委員会の技師・横関明世女史だった。植山古墳の発掘調査にも携わった女性である。スライドを用いて、実に歯切れがよい説明をされる方で、聞いていて楽しかった。その彼女が最初に口にした言葉が「保存科学」だった。初めて聞く名前だった。
そのために、さまざまな先端技術が応用されている。横関女史はそうした技術を「科学の眼」と表現された。たとえば、X線写真撮影は遺物の見えない部分を見るために、実体顕微鏡や走査型電子顕微鏡(SEM: Scanning Electron Microscope)は遺物を拡大して調査するために、蛍光X線分析や電子線プローブ・マイクロアナライザー(EPMA:Electron Probe Micro-Analysis)は遺物を分析を行なうために、それぞれ応用されている科学の眼である。
歩揺付飾金具とは馬具の尻繋(しりがい)の革帯上に取り付けられた装身具のこと。その構成は、吊手の役目を果たしている心棒、吊手に下がる歩揺、心棒を包む筒金、台座、台座内の詰め物を固定する革、革帯に固定するための円形座金の6つの部品からできている。 今回の分析には、電子線プローブ・マイクロアナライザー(EPMA)が用いられたそうだ。この装置は、細く絞った電子線を試料に照射して、その部分から発生する特性X線(物質を構成する元素に固有な波長をもつX線)を検出し、元素の種類と分布状態、濃度を調べる装置である。
次に、金の部分に水銀を伴っていたことから、水銀を用いて行なう金アマルガム法が用いられたことが判明した。金アマルガムとは、金を細かくして水銀に溶かしこんだ合金のことである。金アマルガム法では、こうしてペースト状になった金アマルガムを銅板に均一に塗りつけた後、加熱して過剰な水銀を蒸気にして除去する。すると、金色の表面が得られるが、この段階ではまだ鈍い山吹色をしていて、金色の光輝く光沢はない。光り輝く光沢を出すには、ヘラ磨きという最終工程を経なければならない。ヘラ磨きによって、金アマルガムの粒子がつぶされ、表面が平らになって光沢が益す。
金属製の遺物は、土の中にあって劣化してもその形を残しているが、糸や布などの有機物は長い間に分解され完全な形で発掘されることはほとんどない。ところが、今回出土した歩揺付飾金具では、心棒を束ねるために使われていた糸がサビに覆われることなく残っていた。分析調査したところ、糸の材質は麻の一種である苧麻(ちょま)で、繊維をS撚りに強く撚ってあったとのことだ。
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(2006/02/28 記す)
参考・引用文献:第141回あすか塾講演のレジメ