オオカミが人間に飼われてイヌとなった朝の散歩で、イヌを連れたご婦人と結構すれ違う。大抵は室内で飼っているイヌのようで、本人よりもイヌの健康維持のために散歩させているのだろう。手入れが行き届いて毛並みも良い。早朝の散歩に気遣ってか、防寒チョッキなどを着せた愛犬も見かける。筆者も以前、イヌを飼ったことがある。何処にでもいる雑種だが、成犬を譲り受けた。前の飼い主が一日三回散歩させていたようで、朝と夕方と夜9時に散歩に連れ出さないと、いつまでも鳴き声をあげて催促し、ほとほと弱った。 今や日本の社会の核家族化が進んで、子供たちは結婚すると親元を離れて行く。老夫婦たちは子供のいない寂しさを、イヌやネコをペットとして飼うことで紛らしている。特にイヌは、ペット以上の存在になっているようだ。家族の一員として扱われ、強い精神交流を通わす対象として、すでにコンパニオンアニマルになりつつある。このことは、さらに新しい進化をイヌ族にもたらすかもしれない。
こうして、オオカミがイヌに変化したという。イヌのDNAで近縁関係を調べてみると、非常にイヌとオオカミは近いそうだ。日本犬などアジアのイヌは、アジアのオオカミの遺伝子が混じっているとも言われている。 家畜化されてイヌになったオオカミは、自ら移動することはなくなり、人間と一緒に住むようになった。西アジアでは1万2千年前の遺跡から、人と一緒に埋葬された子犬の骨が発見されているという。その頃には、完全にイヌとして飼い慣らされて、猟犬や番犬として重宝がられたのであろう。
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十二支に加えられたイヌ、神になったイヌ
十二支の各文字は、一説に草木の成長における各相を象徴したものとされ、動物の名前とは何の関係もなかった。十二支と身近な十二の動物(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)が組み合わされたのは、人々が暦を覚えやすくするためだったとされている。 十二の動物は、中国の後漢時代の思想家・王充(AD27 - 100?)が著した論文「論衡」の中に記されている。しかし、王充がこれらの動物を決めたのではなく、それ以前に当たり前のこととして中国では知られていたようだ。秦の時代の墓から出土した竹簡にも、十二の動物が示されているという。しかし、現代のものとは違っていて、現在の十二の動物は漢の時代に決められたものらしい。
奈良県明日香村にあるキトラ古墳は、700年代の初めに築造された古墳である。その石槨の4面の壁には、玄武、青龍などの四神像だけでなく、2001年のデジタルカメラによる調査で獣頭人身の十二支神像も描かれていることがわかった。現在までに確認されているのは、北壁の三体(亥・子・丑)と東壁北辺の1体(寅)だけである。十二支神像はいずれも武器を持っている。棺に納められた遺体を守護する辟邪(へきじゃ)の意味をもっていると考えられている。 統一新羅時代の王陵には、その墳丘裾に十二支神像を浮彫りした古墳が見られる。新羅が半島統一を成し遂げた7世紀ころ活躍した新羅の英雄・金庚信(キム・ユシン)将軍の墓は最も古い例で、その外護列石に十二支神像が刻まれている。その中にはイヌの顔をした像もある。獣頭人身の神となったイヌの姿である。 (*)特別陳列説明文よりコピー
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