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| 大和川越しに望む高井田古墳群のある丘 (2006/01/18 撮影) |
数多く点在する横穴墓の墓域を整備した史跡高井田横穴公園
凝灰岩は柔らかい。掘るのが簡単で、加工もしやすい。そうした性質を利用して、この地域に盤踞した古代氏族は、丘陵の斜面に多くの横穴を穿ち集団墓地を築いた。6世紀の中頃から7世紀の初めころのことで、ちょうど聖徳太子が生きた時代にあたる。現在までに確認されている横穴墓の数は162基、実際には200基以上はあると推測されているという。 「高井田横穴群」と呼ばれているこれらの古墳群は、その一部がすでに大正11年(1922)3月に国の史跡に指定されいた。周辺に宅地開発の波が押し寄せた平成2年(1992)3月には、約3万5000平米の面積を国史跡として保存するため追加指定された。大阪府の柏原市はその全域を2年がかりで整備して、1992年に「史跡高井田横穴公園」としてオープンした。
筆者が住む埼玉県にも、高井田横穴群と同じ頃築かれた、吉見百穴という名で全国的に知られている史跡観光地がある。数年前に訪れた時の最初の印象は、まるで幼稚園の児童がクレヨンで描いた高層マンションの絵を見るようだった。灰色の壁に黒い四角の窓が整然と並んでいた。高井田横穴群についても、同じようなイメージを描いていたが、実際は違っていた。ここでは、凝灰岩に穿(うが)かれた横穴墓は、3万5000平米という広大な公園の中に点在している。 高井田横穴群は、地形によって大きく4つのグループに分けられ、それぞれを第1支群〜第4支群と呼んでいる。このうち、第2支群から第4支群が国史跡に指定され、史跡公園として整備されている。この史跡を有名にしているのは、横穴墓が密集していることもさることながら、線刻壁画が描かれた古墳が27基も存在することだ。 壁画に描かれているのは、人物、馬、船、家、鳥、蓮の花、木、葉、意味不明の記号とさまざまである。何を描いたのか理解できない線刻も多数あるという。27基の横穴墓の中でもっとも有名なのは、第3支群5号墳だろう。玄室(げんしつ)から入口を見た場合の蒼ケ(せんどう)の右側にあたる壁に、よく知られた複数の人物が描かれている。 写真で見ただけの印象では、それらの人物像は、なぜか先日訪れた群馬県の古墳(平成18年1月13日付け「橿原日記」参照)に復元されて配列されていた人物埴輪に似ていた。そのことを確かめたくて、本日、JRのローカル線を乗り継いで高井田横穴公園まで出向いてきた。 吉見百穴と違って、史跡公園内の横穴はいずれも内部が一般公開されていない(注)。お目当ての横穴ばかりかすべての横穴の入口にフェンスが築かれ施錠されていて、見学者の立ち入りを禁止している。心ない見学者によって壁画に落書きされるのを未然に防ぐための措置だろう。そのことを知らなかった。そのため当初の目的は果たせなかったが、平日の昼下がりは訪れる見学者の姿はほとんどなく、おかげで史跡公園の中の散策を堪能することとなった。 (注) 後で知ったのだが、お目当ての横穴を含めていくつかの横穴が一般公開される日がある。5月と10月の第3土曜日の2日間だけだが、午前10時から午後3時まで見学できるとのことだ。 |
柏原市の歴史を物語る資料を展示した市立歴史資料館
柏原市内で庭石として使われていた大県廃寺(おおあがたはいじ、大里寺)の礎石を集めた野外展示広場を過ぎると、右手の下り斜面が竹林に変わる。眼下の竹の間から休憩所のあずま屋が建つ広場が見える。さらに進むと、分譲住宅地へ続く上り階段があった。その階段の脇に、公園に隣接して「市立歴史資料館」が建っている。 柏原市立歴史資料館の常設展示室は、この地域の古墳や古代寺院などの遺跡から発掘された考古資料と、寄贈された民族資料を展示している。展示室の入口には、大和川左岸の丘陵に築かれた松岳山(まつおかやま)古墳(4世紀後半に築造された前期前方後円墳、墳長130m)から出土した鰭(ひれ)付楕円形埴輪が2基置かれていた。 この資料館の古代展示品は高井田横穴群に特化したものではない。柏原市内の主な古墳からの出土品が並べられている。見回したところ、高井田横穴群から出土したものは意外とすくない。盗掘が激しかったせいで、見つかった副葬品は種類においても量においても、あまり顕著ではないとことだ。そんな中にあって、公園の中にある高井田山古墳から出土した青銅製の火熨斗(ひのし)と神人龍虎画像鏡が目についた。 |
5世紀の終わり頃築造された円墳の高井田山古墳
高井田山古墳は、整備事業の作業中に高井田山の頂上で見つかった古墳で、5世紀後半から5世紀末にかけて築造された直径22mの円墳である。埋葬の主体部は内部に薄い板石を積み上げた初期横穴式石室だった。近畿地方では最も古い横穴式石室とのことだ。副葬品の中に、古代のアイロンと言われる青銅製の火熨斗(ひのし)があった。火皿に炭火を入れて使われたと見られており、日本で2例目の出土品である。その他に、純金製やガラス玉製の耳飾り、剣、槍、矛などの武器類や甲冑(かっちゅう)、および神人龍虎画像鏡と呼ばれる銅鏡などが出土した。 高井田山古墳は、石室の内部が上から俯瞰できるように、透明の屋根がかけてある。中を見下ろすと、副葬品のレプリカが石室内に配置されていて、出土時の様子を再現している。出土した副葬品から判断して、被葬者は朝鮮半島からの渡来した氏族の族長と推定されている。 |